ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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海辺の読書
海からの風がふいて、テーブルのうえで文庫本のページがぱらぱらと音をたてた。
コップのなかのビールは泡がすっかり消えて、黄金色の液体になっていた。
それでもときおりうかんでくる水泡につかまっているゴミムシが、つかのまみえた気がした。
いつのまにか眠っていたのだろう、まぶたにうっすらとやにがついて目があけづらい。
おまけに水面に反射する光がよけいにまぶしさを感じさせた。
たしかによびかける声を聞いたと思ったのだが、あれは夢のなかでのことだったのだろうか。
あたりをみまわしてみても、シンとしてだれもいないようだった。
洗面所で顔をあらって、つと鏡をみたら右頬に木目模様がくっきりと刻印されていた。
思わず笑い声をあげたところで、その声におどろいてすっかり眼が覚めた。
だが、これではたしてほんとうに目覚めているのかどうか。
しばらくは、ぼんやりとした頭でよるべなく海をみていた。

6556芝桜&蝶

「奥山准教授のトマト大学太平記」 奥本大三郎 幻戯書房 ★★★
とある独立法人となった元国立大学に勤める奥山萬年准教授がこのものがたりの主人公である。
名前から、「万年准教授」と渾名される奥山先生だがいっこう気に病むところなどない。
しかし、学生に対しては遠慮がない発言で知られている。
たとえば、こういうぐあいに。
『「地球に優しく……」
「バッカモン。人間のごとき、滅びようと何をしようと地球に関係あるか。地球さんは何とも思っとらん。
人間の構造物なんて、地球にしてみれば、モチの表面に生えたカビよりもっと薄いものなんだから。
人間が滅亡して数百年もすれば、街路樹の根が大きく育って道路の舗装なんかは粉々になるし、
建物はたいてい崩れて鳥の巣かなんかになる。河川も山も元に戻って綺麗になるだろうよ。
まして一億年も経ってごらんよ」』
ではあるが、学生を集めて飲むのはすきなのだ。こんな講釈もある。
『それより君たち、シンポジウムということばの語源を知っているかい。
syn-が〝共に〟で、後の部分は、ギリシャ語の〝酒を飲む〟pineinという動詞から来ている。
つまり〝一緒に酒を飲む〟ということ。古代ギリシャの〝酒宴〟〝饗宴〟ということだ。
〝論文集〟という意味もあるそうだ。議論するには酒がなければならないんだがなあ。』
といまどきこんな先生が大学にいればなあ、と思わせるようなお話なのである。

「私家版・ユダヤ文化論」 内田樹 文春新書 ★★★★
だれもがいちどは思ったことがあるのではないだろうか、ユダヤ人とはだれのことをいうのだろう。
すこしばかりの本を読んだが、いっこうに要領をえない。
それでもどこかにそんな疑問が残っていて、やっぱりまた知りたくなって読んでみようかと思った。
では内田氏はどうユダヤ人をとらえているのだろうか。
『第一に、ユダヤ人というのは国民名ではない。』
たとえば、『イスラエル国民の二〇パーセントはイスラム教徒であるから
イスラエルは厳密な意味では「ユダヤ人の国」ではない。』、そういうことか。
『第二に、ユダヤ人は人種ではない。』、まあなんとなくそう思っていた人が多いのではないか。
『第三に、ユダヤ人はユダヤ教徒のことではない。』、ここらあたりから、うーむとなってくる。
『ユダヤ人は「ユダヤ人を否定しようとするもの」に媒介されて存在し続けてきたということである。
言い換えれば、私たちがユダヤ人と名づけるものは、
「端的に私ならざるもの」に冠された名だということである。』
『私たちは、ユダヤ人と非ユダヤ人を対概念として社会を区分する習慣を持った文明の中に生きている。
つまりユダヤ人というのは、すでに私たちがそれなしには世界を分節できないような種類の
カテゴリーなのである。』、これはどういうことかというと、
『使える言葉がそれしかないので、(うまく定義できない言葉であることを分かっていながら)
仕方なくそれを使うしかない言葉というものが存在する。
「男と女」がそうであるし、「昼と夜」もそうだ。私たちはその語を毎日のように使っているが、
改めて、「昼」そのもの、「夜」そのものを、厳密に定義せよと言われても、そんなことは誰にもできない。
私たちは、「昼」を「夜ではないもの」として、「夜」を「昼ではないもの」として差異化する因習のうちに
脱け出しがたく嵌入しているからである。』
やはり明解な答えはなかった、というかそういうことではないということがぼんやりとわかった。

「桜もさよならも日本語」 丸谷才一 新潮社 ★★★★
日本語については、いろいろと思うところが多いでありましょう丸谷氏の舌鋒はするどい。
そして国語の教科書の中身の貧しさ(?)を実例をあげて嘆くのである。
例としてあがっているのは、東京書籍『新しい国語』中一の『春の岬に来て』。
『 明るい春の岬のながめは
  ごちそうのうちのひとつだ
  潮の風と花のにおいにつつまれて
  いっそう心がふくらむ

  心をふくらませているのは
  旅のわたしたちばかりではない
  バレリーナーのちょうもしま模様のはちたちも
  春のパーティに酔っている 』
この詩を読んでどう思われますか。丸谷氏はこういう。
『発想は陳腐で下品である。言葉の選び方はいちいちぞろつぺえである。
そして「バレリーナー」と延ばすのは、日本語としても英語としてもイタリア語(これが本家)としても
間違ってゐる。無理をしてこんなものを選ばなくちゃならないくらゐ、現代日本の詩は貧しくないはずだ。
つまりこれによって言へるのは、教科書編纂者たちがよほど詩がわからないか、日ごろ詩に親しんで
ゐないか、あるいはその両方か、まあとにかくそのへんだといふことだらう。』
好例もあげておられますので、日本語について考えたい方はご一読されるのがよかろう、かと。
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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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