ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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流行流
流行とは不思議なもので論理ではないし、すくなくとも論理的である必要はまったくない。
だからといって法則がなりたたないというのでもない。
多くの場合、50対50なら均衡しているということがいえるが、均衡状態は長く続かない。
49対51になった時点で、49から51への流れがはじまる。
30対70になれば、70が圧倒的多数であることから流れはとまらない。
ではあっというまに0対100になるのかというと、そうはならないことはだれもが知っている。
一方が100に近づけば近づくほど逆方向へとむかう圧力が強まってくるのだ。
いつしか、流れは逆方向へと動きだしまた均衡点へとむかうということになる。
流行とはこの運動のことであって、だから手を替え品を替えておなじようなものが現れる。

74551砕石

「目撃者の証言」 エリザベス F.ロフタス 西本武彦訳 誠信書房 ★★★★
表題にあるように、裁判で物的証拠がなく目撃者の証言だけがあったらどうなるのか。
アメリカでは陪審員制度であるため、有罪になる確率はかなり高いかもしれない。
その結果、無実の人が有罪に、あるいは死刑になったりすることも少ないとはいえない現実がある。
では、記憶とはどういうものなのか、その特性を知っていなければ問題は解決できないのだ。
『一度学習したものは、すべて記憶のどこか奥深いところに埋め込まれている
と信じる人が多いが、これはまるで正しくない。
たとえば、一見すると催眠状態で子供の頃の体験を再現できること、犯罪捜査で催眠を使うと
時どきうまくいくというといったことは、記憶がある意味で永久的であると信じさせる。
しかし、研究者の多くは催眠が信用できないものであり、予測性がないこと、
さらに古い記憶を思い出すと同時に新しい記憶も作ってしまうと信じている。』
記憶はCDに録画されたようなものではなく、日々上書きされるデータというほうが近いだろう。
そして誘導にもきわめて弱いというか、敏感に反応するのでますます取り扱いはむずかしい。
記憶は後からのもたらされた情報により変貌していくことはよく知られている。
目撃者が嘘をついていなくても、記憶が変化していないという証拠にはならないのだ。
いくども証言しているうちに確信したり、枝葉がつけくわえられたりすることは、よくあることだ。

「ワインズバーグ・オハイオ」 アンダソン 小島信夫・浜本武雄訳 講談社文芸文庫 ★★★★★
シャーウッド・アンダソンといっても聞き覚えのない方が多いかとも思う。解説文から引用してみよう。
『アメリカ文学は、ヘミングウェイ、フォークナーらの「失われた世代」をへて、第二次世界大戦後の、
より複雑で、より活力のある発展段階へとつながってゆくのであるが、そのアメリカ独自のものの
発祥をマーク・トゥエインに求める評者も多く、フォークナーやヘミングウェイ自身たちが、自分たちと
トゥエインとをつなぐ鎖の一環として、アンダソンを位置づける発言をしていることもまた有名である。』
「オハイオの田舎町についての一群の物語」と副題にあるように、登場人物はこの町の住人である。
『そのグロテスクな人びとは、みんながみんな、見るも恐ろしいというわけではなかった。
あるものは笑いを誘い、あるものは美しいといってもよいほどだった。
見る影もなくなった一人の女のごときは、そのグロテスクさが、老作家をいたましい思いにさせた。』
『世界がまだ若かったはじめのころ、おびただしい数の思想があったが、
真実などというものはまだなかった。ところが人間がいろいろな真実を自分でつくりだし、
一つ一つの真実はおびただしい数のあいまいな思想の寄せ集めだった。
こうして世界じゅういたるところ真実だらけになり、それらはみな美しかった。』
『人びとをグロテスクにしたのは、そういう真実だった。』
人は生きるのにグロテスクであるしかないのか、グロテスクとはなにを意味しているのか。
考えつつ読んでいると、いつのまにかワインズバーグに暮らしているかのような気分になった。

「魚は痛みを感じるか?」 ヴィクトリア・ブレイスウェイト 高橋洋訳 紀伊國屋書店 ★★★
魚はほんとうに痛みを感じているのかという科学的興味で読みはじめると、すこしがっかりする。
『たとえば甘味づけられた水と、不快な味のする薬品を混ぜた水を与えられた場合、
ラットはどちらを選択するかを試すような実験がある。
このケースでは通常、健康なラットであれば不快な味のする水を避け、甘い水を選択して飲む。
しかし、ラットのもつ嗜好性は変化する場合もある。たとえば関節炎にかかっているラットは、
甘い水よりも、たとえ不快な味がしても鎮痛剤を含む水を選択する。
関節炎にかかったラットが鎮痛剤を摂取しようする事実は、
この動物が痛みに似た感覚を経験していることの説得的な証拠になるにちがいない。』
これを読んで少し疑問に思ったが、不快と痛みはおなじことだといえるだろうか(訳の問題なのか)。
こうした西欧の研究の出発点は、以下のようなところにあったのだ。
『動物福祉は、動物には苦しむ能力があり、したがって可能な限り苦しまないように
動物を扱わなければならないという考えをめぐって築かれてきた。』
牛や豚、それに実験動物だからといって、劣悪な環境で残酷に扱われてもいいものだろうか。
西欧で盛んなスポーツフィッシングなどは、いたずらに魚に苦痛を与えるだけのものではないのか。
もし釣りあげたときに、魚が苦痛にゆがめる顔をしたらあなたはどう感じるだろうか。
といったところから、本研究がはじまったというところもあるようなのだ。
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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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