ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
05 | 2017/06 | 07
S M T W T F S
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

続・趣味的読書
読書が趣味だというと、たいていは小説を読むということを意味しているらしい。
と気づいたのは、そんなにむかしのことではなく、わりあいに最近のことである。
本を集合と考えるとき、要素は小説をも含むだろうが、一部であることはまちがいない。
どちらかとえば文学以外のジャンルのほうが多いのじゃないか、となんとなく思っていた。
あるとき、読書好きといわれる方と話していて妙な違和感があったのだ。
というよりは、どうも話がかみあっていないというか、ズレているというのか。
どうも相手は小説全般についてなのだが、こちらは書籍全体について話していたのだ。
それでもまったく的外れでもなく話が続きつつ、どうもおたがいしっくりこないという状態。
小説を読むことと単に読書では、似ているようで似ていない二卵性双生児のようなものか。

N2632書棚

「心と脳」 安西祐一郎 岩波新書 ★★★
副題に、認知科学入門とある。では、認知科学とはどういう学問なのか。
『心のはたらきにかかわる現象を、伝統的な学問分野や文系理系医系の区別にとらわれず、
「情報」の概念をもとにして理解しようとする知的営み、それを「認知科学」と呼びます。』
ということから、当然のことながら、
『長い伝統をもつ多くの学問に比べ、認知科学の歴史は短い。
心理学、生理学、神経科学、言語学などの伝統的な分野が、一九三〇年代から四〇年代に
かけて確立された情報の概念と情報科学の方法論をもとに合流し、
心と脳のはたらきに関する新しい知的営みとして認知科学を誕生させた。
それは、今から半世紀余り前、一九五〇年代のことである。』
であるから、心や脳を情報処理システムとしてみなす考え方のもとに研究がなされている。
テューリングマシンの情報処理モデルや、サイバネティクスのフィードバックモデルが中心にある。
よって時代の最先端にある機器を駆使しているのであるが、次の点に注意が必要である。
『fMRI(機能的磁気共鳴画像法)、NIRS(近赤外線分光法)、PET(陽電子放射断層撮影法)、
SPECT(単一光子放射断層撮影法)などによって直接測定されるデータは、脳の中を流れる血液
(正確には酸化ヘモグロビン)の変化量(PETやSPECTではグルコースの代謝量なども含む)で
あって、神経系がどのように活動しているのかを直接測っているわけではない。』
ということを知っておく必要があるのはいうまでもない。

「ツチヤの貧格」 土屋賢二 文藝春秋 ★★★
土屋氏は、お茶の水女子大学で哲学の教授をしている(本書出版時)。
哲学はむずかしい、という世間の風評にどうたちむかっていこうかと考えられていたのだろう。
むずかしいの対極にあるばかばかしい路線ではどうだ、と編みだされたのではなかろうか。
とわたしは推察しているのだが、はたしてどうなんだろうか。
読まれたことのない人に説明するのはむずかしいので、すこし引用してみよう。
耳の欠点という文章(エッセイ)のはじまりが以下である。
『耳は、人体の中では、脳と並んで最も進化が遅れている器官である。
まず音量調節機能がない。喫茶店で勉強しているとき、音量を下げらないため、
隣で男女のカップルがケンカをしているのが聞えて勉強に集中できないことがある。
しかも、音量を上げられないため、ケンカの内容がよく聞えない。
先日、珍しくカップルのケンカがよく聞えたと思ったら中国語だった。翻訳機能もほしいところだ。
音量調節だけでなく、スイッチもフタもない。
そのため、虫などの侵入を防げない上に、音声を遮断することができない。』
こういう文章を嫌う人もいるようだが、わたしはおもしろいと思うしなんだかリラックスできる。
こういった文章こそ、まさに哲学的思考(?)の結晶ではないだろうか(笑)。

「運命論者ジャックとその主人」 ドニ・ディドロ 王寺賢太、田口卓臣訳 白水社 ★★★★
ドニ・ディドロはフランス十八世紀、啓蒙の時代を代表する哲学者である。
哲学はとかく一般的に敬遠されることがおおく、その思想をどう伝えるのかがむずかしい。
そこで旅をする主人公ジャックとその主人との対話をとおして、理解してもらおうという算段か。
題名にもあるように、ジャックはすべての行為はすべて天上に書かれているとする運命論者だ。
『ジャックは悪徳とか美徳とかいうものは知らぬと言っていました。
彼の意見では、人間は生まれつき幸福であるか不幸であるかのどちらかだというのです。
報いだの、罰だのといった言葉が口にされるのを聞くと、彼は肩をすくめます。
彼によると、報いとは善人たちへの奨励であり、罰とは悪人たちへの威嚇にすぎないのです。
自由なんてものが存在せず、わたしたちの運命は天上に書かれてしまっている以上、
それ以外ではありえません、と彼は言っていました。』
そんなジャックと主人の会話は飛躍と逸脱に終始するのだが、あるとき主人はこう言う。
『なあジャック、君も一種の哲学者みたいなものだろう。
哲学者というのは嫌われ者でね。
王侯貴族は自分の前でひざまずこうとしない哲学者を嫌う。
司法官は職業上、世の中にある偏見を守ろうとするから、それを追求する哲学者を嫌う。
司祭は礼拝堂に来もしない哲学者を嫌う。
詩人は原則など持たない連中だから、哲学なんて文芸を守るための武器くらいにしか考えてないし、
諷刺みたいなつまらないジャンルに精を出して、単なると追従者に堕落してしまう者たちまでいる。
そして庶民ときたら、暴君には虐げられ、詐欺師にはだまされ、
道化者には気をまぎらされているだけなのに、いつもそいつらの奴隷に甘んじてしまう。
だから、君も知っての通り、哲学という仕事がどれほど危険で、君が哲学者であるとわたしの頼み
どおりに告白することがどれほど大事かは、わたしもよく承知しているんだ。』
哲学的命題を庶民に理解してもらうには、こうした物語を書くしかしかたなかったのかもしれない。
スポンサーサイト

テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://moucheokuno.blog26.fc2.com/tb.php/1275-a8c91c08
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリー