ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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読立読歩
いつかは旅立たなくてはならないさだめに、人はなっている。
とある町かどで、壁にもたれながらしばしの休息を読書にあてたりすることもある。
ヒトは直立することによって、前足は自由を手にいれることができたともいわれている。
その手をじっと見つめる詩人もいるにはいるが、なにかをつかむことが可能になった。
一方、足はあいかわらず身体をささえ移動するときには二倍の荷重にたえている。
しかし筋肉とは不思議なもので、鍛えれば鍛えるだけ強くなっていくようだ。
逆に、楽をすると楽をしたなりの状態に適応していくことも事実である。
このそれなりにというところが、ヒトのおもしろいところだと私は思う。
どこまで読めるのか、歩けるのか、せいぜい頑張ってみようと考えているのである。

N3377むかしの電話

「面白い本」 成毛眞 岩波新書 ★★★★
『ただただ、ページをめくるのが楽しい。
これが読書の喜びであり、その喜びに耽溺してしまうのが本読みというものだと私は思う。』
という著者は、ノンフィクションの書評サイト「HONZ」を主宰しているほどの本読みである。
本書で紹介されるのは、全部あわせて100冊というからどんな本がと興味がわいてくる。
ただだれそれがこれは絶対おもしろいといっても、自分がそう思うか感じれるかは別問題である。
逆にだれもがおもしろいって本は、どうなんだというくらいの人がおもしろいのではないか(笑)。
まあ、100冊もあるんだから、これは読んでみたいという本が見つかる確率はかなり高い。
『医学も本読みには外せない分野だ。
良質なメディカル・ノンフィクションは探偵小説にも勝る第一級のミステリーである。』
とおっしゃるのはその通りで、フィクションはノンフィクションを超えられないと確信するほどだ。
世間でも、事実は小説より奇なり、といっていますからね。
最後に100冊中何冊読んでいるのか、つい数えてみました。
13冊でしたが、この冊数ってなんか微妙ですね。

「男もの女もの」 丸谷才一 文藝春秋 ★★★
丸谷さんが亡くなってもう一年が経ちました。
いろんなことを教えていただいたし、共感できることも多かったですね。
まあ小説はあまり趣味にあいませんでしたが、評論はきっぱりしていて好きでした。
『久しい以前、わたしはなにがしという通人から、色道の極致は男装した女と女装した男とが
おこなふことであるといふ説を聞き、そのややこしさに一驚を喫した覚えがある。
これに加ふるに例の上位とか下位とかの要素をもつてするならば、
事柄のもつれはいつそうはなはだしくなるであろう。
そしてこの極致とやらをうんと水割りしたものこそ、最初期の歌舞伎の方法にほかならなかつた。』
このように興味をもつ幅がひろいところも魅力的に感じるんです。
『西洋のもてなしの場合、お客が席につく以前に、ナイフとフォークのあひだに何も料理を入れてない
大きな皿が置いてある。それも模様なしの真白な皿といふことはない。
わりに単純な、大ぶりの、見ばえのする模様が描いてある。
あらかじめあれを飾るのは、美術史学のほうで言ふ「空白の恐怖」のせいだ
。何もない空白は魔的で恐しいから、そこを蔓草だの何だのの模様で補填する。
これは原始美術についてよく言はれることだが、実は西洋文明一般に見られる傾向である。
二十世紀の西欧人が居間の壁の一面に何点も絵をかけるのも、
それから食卓に見せ皿を置くのも、この空白への恐怖に由来する。
ところがわれわれ東洋人は、むしろ余白の美と称して空白を喜ぶ。そこに余韻を聞く。
だから山水画の天なんかほんとに広々としてゐる。
もつとも、中国人はあそこに代々の所蔵者の印を押したりする。
あれはいささか(といふよりもはつきりと)空白への恐怖がうかがはれるね。
日本人はそんなことはしない。まあよほどの中国かぶれなら別だらうけれど。
してみると、われわれこそ本当の東洋人か。』
なるほど、私は空白が好きなタイプのようですが、机の周りはちらかっています(笑)。

「不機嫌の時代」 山崎正和 講談社学術文庫 ★★★
時代の空気というか雰囲気というか気分というか、そんなものがあるとわたしも思う。
日露戦争のころ、ちょうど明治三十七年あたりが筆者のいう不機嫌な時代にあたるのである。
『志賀直哉の描いた青春より以前に、
これほど特徴的に不機嫌であった青春といふものは、日本にはなかった。
そしてその反面、これと同じ不思議な感情は、このとき三十代であつた永井荷風にも、
四十代であつた夏目漱石にも、さらには五十代であつた森鴎外にすら、偶然といふにはあまりにも
典型的なかたちでわけ持たれてゐるのである。』
では不機嫌とはどういうことをいうのか。
『「人見知り」と不機嫌はたんに見かけばかりではなく、本質的な性質のうへからもたがひに酷似して
ゐるといへる。いはば、「人見知り」はより防衛的な不機嫌であり、不機嫌はより攻撃的な「人見知り」
だといへるかもしれない。』
『ある意味で、不機嫌の引き鉄となる他人は自分自身の分身なのであつて、
それゆゑにしばしば見られるやうに、誰かにたいする不機嫌は容易に自己嫌悪にも変はるのである。
不機嫌な人間から見れば、それは他人であるがゆゑに不快な異物として感じられ、同時に自分の分身
であるがゆゑに離れることのできない存在として感じられる。いはば不機嫌とは、一方で強く孤独に
憧れながら、しかも他人との結合を求める矛盾した衝動の共存なのである。』
筆者は芭蕉のこんな句も引いている。
  うき我をさびしがらせよかんこ鳥
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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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