ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
10 | 2017/11 | 12
S M T W T F S
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

夢幻読書
本を読みながらときに本をはなれて夢想していることがあるようだ。
あるようだというのは、自分では気づいていないというか、ゆめゆめ意識にものぼっていないからだ。
じゃあなぜそれが分かるのだといわれれば、それはこういうことがあったからなのである。
あるとき読書をしながら、うとうととしつつそれでも気力をふるいたたせて読もうとしていた。
はっとしたときに、気づくと図書館らしきところの書棚が立ち並ぶなかではるか頭上を見上げていた。
明かりとりの窓があるようだが、まぶしくて輪郭もはっきりとはつかめなかった。
そこに自分が探している本があるとかたく信じていたので、どうすればとれるかと思案していた。
はっと閃いて、なんだこうすれば簡単にとれるじゃないかと安堵の気分になった。
その途端、眼前に活字がおおきく飛びこんできたので、思わず背筋をのばして起立してしまった。

N3366ビリケン

「殺人者の顔」 ヘニング・マンケル 柳沢由実子訳 創元推理文庫 ★★★★
スウェーデンの警察小説、刑事クルト・ヴァランダーを主人公とするシリーズの第一作である。
舞台はストックフォルムではなく、人口が一万人にも満たない田舎町イースタで殺人事件が起こる。
老人が夜中に目を覚まし、なにかちがうと耳を澄ます。
なぜだろうかと思ってまた耳を澄ますが、隣家の牝馬がいつものようにいななかないと気がつく。
叫び声が聞こえるようだし、どうも隣家の窓も壊されているようだ。
おそるおそる覗きに行くと、老夫婦が惨殺されていた。まだ夜明け前のことだった。
『「変ですよね。まずじいさんを惨殺する。それからばあさんの首を縄で絞める。
それから馬小屋に行って馬に干し草をやる?だれがそんなおかしなことをするでしょう?」
「たしかに、変な話だ」
「なにか意味がありそうな気がしたので。なんでもないことかもしれませんが」』
殺されたヨハネス・ルーヴグレンは平凡な老人かと思われたのだが、陰の顔をもっていた。
ここから事件はいろんな方向へとつながってゆくのだが…。
それとは別にこのさえない刑事ヴァランダーがなぜか気になるのである。
『見知らぬ住居に入るとき、クルト・ヴァランダーは新しい一冊の本を開くような気分になる。
部屋、家具、絵、匂いが本のタイトルだ。いま彼は本を読もうとしていた。
だが、エレン・マグヌソンの住居には匂いがなかった。
まるで、人の住んでいない住居に入ったようだった。
慰めも楽しみもない空気を吸い込んだ。灰色にあきらめ。
色のさめた壁紙に抽象画が何枚か掛かっている。
狭い部屋いっぱいに一昔前の重々しい家具が陣取っている。
マホガニーの小テーブルの上にはレース編みのテーブルクロスが畳んでおいてある。
小さな吊し棚にはバラの茂みの前に立った子どもの写真があった。
エレン・マグヌソンが飾っている息子の写真は、子どものときのものであることにヴァランダーは
目をとめた。大人になった息子の写真はどこにもなかった。』
こんなところも本作の魅力なのでしょうね。

「男はなぜ新しい女が好きか?」 サイモン・アンドレアエ 沢木あさみ訳 原書房 ★★★★
副題に男と女の欲望の解剖学とあるように原題は「ANATOMY of DESIRE]だ。
読めばわかるのだが、なぜこんな邦題をつけるのだろうか。
売らんがためとしても、なんだかうらさびしい気分になってしまう。
筆者はロンドン在住のジャーナリスト、TVプロデューサーだそうだがなかなかのものです。
キリスト教についても論客ぶりを発揮しています。
『イエスの死後数世紀の間、幾人もの預言者が、ヨルダンの砂漠や近東の辺境地に現れた。
イエスの教えの中に、かなり異なった可能性を見出した人々だった。
イエスほど純粋な魂の持ち主でもなければ高度な動機があったわけでもないこの人々は、
イエスの教えを乗っ取り、それを十把一絡げの指南書にまとめると、
ローマ帝国のたそがれのなかで不安に苛まれていた人々を操る道具としたのである。
彼らは寛大な心ではなく、裁きの心を説いた。慈悲の心ではなく、地獄の業火について論じた。
神の国ではなく、黙示録と現世の幸福の否定について語った。
それはすなわち、聖パウロ、聖ヒエロニスム、聖アウグスティヌスの三人のことである。
この初期キリスト教の忌まわしき三位一体が、イエスの偽の教えを振りまくことになった。』
どんな宗教(仏教もイスラム教)も変節してゆくのはしかたのないことなのだろう。
『四世紀以降教会は結婚の問題に関心を払ってきたが、その際の聖なる儀式は行ってこなかった。
ヒエロニスムの意見を尊重していたためである。
だがやがて、結婚を禁止するより管理したほうが教会自体の利益につながることを悟る。
それからは、結婚式の際、子どもの洗礼の際、そして結婚にまつわるあらゆる問題審理の際、
教会は料金を取るようになる。』
その流れでいまの日本においても、キリスト教会で結婚式をあげるというのがあるのかな。
まあ、仏教もおなじような轍を踏んでいるとといえば、そういえるわけです。
本書の主テーマからそれますが、このキリスト教史(?)はなかなか興味深かったです。

「ピカレスク 太宰治伝」 猪瀬直樹 小学館 ★★★
いまでもけっこう若い人には読まれている太宰治をピカレスク(悪漢)として描いた評伝である。
芥川賞が石川達三に決まって、太宰治は落選して散々愚痴をこぼしたとき、山岸外史はこういったという。
『太宰はそれでも承知しない。
「石川達三のどこが偉いんだ。俺のほうがずっと……」
 山岸はつい口走ってしまう。
「君のは文壇への執念であって、文学への執念じゃない。君は落選したほうがよかったんだ」
 太宰は不機嫌に黙った。』
まあ、これでだいたいの太宰の性格描写はおしまいにできるのではないか。
しかし、太宰の書名を眺めてみると、「人間失格」を筆頭に時代感覚はするどいところがあった。
文章もうまいし、それと性格は関係ないと思うのだが、世間はそうは考えない。
小説そのものだけでなく、どうしても書いた人間の人格までもが気になってしまうようだ。
だから逆にしばしば名のみで売れるということがあるのは、その社会の未熟ゆえだろうか。
スポンサーサイト

テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://moucheokuno.blog26.fc2.com/tb.php/1330-33042758
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カレンダー

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリー