ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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メタ読書趣味
趣味が読書だということではなく、読書について考えることが趣味なんだそうだ。
というと、どういうことになるんでしょうね、とお尋ねしてみた。
世のなかには、趣味は読書ですとおっしゃったり履歴書に書いたりする人が多くいる。
しかしながら、そのことばを文字通りにうけとってはいけません。
世間話の延長であたりさわりのない話題として、ということも多いのだというのです。
書籍といったって、いろいろな分野があるわけだし、雑誌も含めるという方もおられますから。
内容が哲学、思想、科学だから高級だとか、漫画なんて低級なものはといった区別もいけません。
芥川や直木の名に惑わされていると、評判を読んでいるという満足感しかあじわえないでしょう。
AKBとKGBとモーツアルトではどちらがお好みですか、っていわれても困るでしょう(笑)、と。

N4257多肉植物

「バカの壁のそのまた向こう」 養老孟司 かまくら春秋社 ★★★★
養老先生は保育園の理事長をされているので、子どもたちとも遠足がてら虫採りにいく。
冬でももちろん虫採りができるので、一月に子どもたちを連れだして恒例の虫採りとあいなった。
とはいいながら、べつに虫を採るのが目的ではない。野外にでて自然とふれるのが大切だ。
『冬場の空き地だが、枯草の下からすぐに虫が見つかる。大きなハネカクシはちょっと珍しい。
ハサミムシやらムカデ、ダンゴムシの類はたくさんいる。
そのうち「先生、バナナ虫がいるよ」と女の子が呼びに来た。
バナナ虫とはなんだ。勝手に名前をつけやがって。
そう思いながら見に行くと、ツマグロヨコバイが何頭かいる。
念のためだが、頭のある生きものの数え方は何「頭」である。なるほどバナナ虫である。
色艶が未熟から完熟のバナナを思わせる。なかなかうまいこというなあ。
これだから子どもとの付き合いがやめられない。夏になると、うちの庭にもたくさん出てくる。
これがこんなところで冬を越しているとは気づかなかった。
この女の子は「私、虫は嫌い」という。それでいっこうに構わない。
嫌いというほど、嫌っていないことは、態度でわかる。
そもそもヒトに好き嫌いがあるのは当然である。
でもなにが好きで、なにが嫌いか、これには教育が大きい。だから孟母三遷なのである。
いまのお母さんたちは、たいていは虫嫌いだから、子どももそうなる。
それを無理に変えても、別なものが嫌いになるだけのこと。
好き嫌いがあること自体は、変えようがない。
虫嫌いは、日常のふつうに必要なものを嫌うよりマシである。
というより、そうだからこそ、現代人は虫を「あえて嫌う」のであろう。
虫嫌いを標榜しても、だれにもクレームをつけられる恐れがない。
単純だが、世間を生きる知恵の一つなのかもしれないと思う。』
そうか、そいう捉えられ方もできるんですね、なるほど。
『子どもがする面白い質問に、
口の中にあるとき、ツバキは汚くないけど、外に出すとどうして汚いんですか、というのがある。
脳が決めている「自分の範囲」には、同時に強い感情が伴っている。
その感情は、脳が決めた自分の外に出たものを否定的に、自分の中なら肯定的に、扱う。
自分は好きで、外は嫌いなのである。「自分が確立」すると、自分の外も確立する。
たとえ自分の一部であっても、「外」に出たらとくに汚くなるので、水洗トイレなのである。
環境問題が発生するのは、だから「自分と外を区切る」脳の働きが根本である。
じつは田んぼは自分の一部で、本当にそうだというしかない。
そこから取れた米で、自分が作られるからである。現代人はそんなことは認めない。
それはただの理屈だろうという。それをただの理屈だとして納得しないのは、感情のせいである。
合理的、理性的と思っている人ほど、感情に左右されていることに気づかない。
だから「外に出たツバキはなぜ汚いんですか」と子どもに訊かれても、返事ができないのである。』
子どももバカにできないのである。ときに哲学的であるから、どきりとするしおもしろくもある。

「良い父親、悪い父親」 ジェフリー・M・マッソン 安原和見訳 河出書房新社 ★★★
副題には、動物行動学から見た父性とある。
筆者は、動物の父親についての一般向けの本は、これまで一冊も書かれていない。
たぶん本書が初めてだと思う、とおっしゃるのだからそうかもしれないが、少ないことは確かだ。
母性および父性は、その婚姻形態によって影響をうけるだろうとはすぐに想像できる。
『一夫一婦制の度合いが強いほど、雄が子育てにかかわる比重が大きいとよく言われるが、
オオカミと犬のちがいを考えるとこれは納得できるように思える。
哺乳類では一夫一婦制をとる種は全体の三パーセントに満たないが、
鳥類では全体の九〇パーセントが一夫一婦制である。
したがって、哺乳類にくらべて鳥類では父親の役割が大きいだろうと予想できる。
そして、これはまさしくそのとおりである。』
厳寒の南極大陸で雄の皇帝ペンギンは四か月半ものあいだなにも食べず足の上に卵を抱いて立ち続ける。
それに仲の良い夫婦のことをオシドリ夫婦とよんだりもする。
しかし、これは鳥類が倫理的にストイックな生活をおくっているということではないだろう。
種が存続していくうえでとった(とってしまった)戦略であるのだろうと思う。
『鳥の雄に子育て参加するものが多いのは、雄も雌と同じように卵(最初からヒナの形で
生まれる鳥はいない)を抱くことができるし、またヒナが誕生すれば、
雌とともに給餌することができる(授乳する鳥はいないから)ためもあるにちがいない。
こう考えると、男性諸氏からしょっちゅう聞かされる(そして私自身もしゅっちゅう口にする)
言いわけを思い出さずにはいられない。
いわく、乳飲み子の世話を平等に分担しろと言われても困る、なにしろ授乳は母親にしかできないから、
男はいつでも無力感にさいなまれているのだ。』
ではありますが、鳥の生き方も参考にして悪いということはないだろう。

「凍える森」 アンドレア・M・シェンケル 平野卿子訳 集英社文庫 ★★★★
マルティン・ベック賞の受賞作(2008年)というので、どんなものかと手にとってみた。
文庫で200ページ足らずというから、最近のミステリにしてはずいぶんと短い。
作者はドイツの小さな村に住む大学もでておらず専業主婦だったが、本書を書くことを決意したという。
一九二二年、南バイエルンの片田舎の大きな農家で一晩のうちに六人が惨殺された。
「ヒンターカイフェック殺人事件」という実際にあった有名な猟奇的事件を題材としている。
ミステリだが、ここには警部も探偵もでてこない。
ただ事件が起きた村に住む人々の証言だけである。
もちろんときとして証言はくいちがい、重なりあうことになる。
途中からは読者が刑事であり新聞記者になったかのような錯覚にもおちいるのである。
どこかでこんな小説を読んだことがあったと思うのではないだろうか。
映画にもなった芥川龍之介の「藪の中」である。
ではあるが、それとはまたすこし趣のちがうものにはなっている。
こういうものは自分で読んでみる、それしかないのである。
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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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