ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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夏休みと図書館Ⅳ
図書館のある場所は観音山公園といい、すぐちかくに女子高があった。
夏休みでもクラブ活動の嬌声が風にのってきこえてきたりした。
それを打ち消すようなセミのミーンミーンという声があたりを支配していた。
つちぼこりの舞いあがる道をすこしずつのぼっていって図書館に着くのだった。
おおくの小学生が宿題をかかえてやってきていた。
図書館では、いつも中国の古典を読んでいた(もちろん原典ではない)。
彼らにまじって「紅楼夢」「聊斎志異」「近古奇観」などを読むのはなんだか気がひけた。
ほかには生物学の図鑑とかいろんな本を読んだのが懐かしさとともに思いだされる。
しかし夏休みの宿題をやったという記憶はいっさいないのである。

N4803イス

「脳のシワ」 養老孟司 新潮文庫 ★★★★
養老先生の本はいつどんなものを読んでも、わたしには刺激的、啓蒙にみちている。
『男と女の関わりかたは、考えようによっては、、無限にあるだろう。それはそれでいい。
すべての関わりかたがそれぞれあっていいのである。
しかし、もし結婚という形がこの世になければ、
そうした関わりかたは、一切の物差しをなくしてしまう。
そうなると、われわれはそれをどう考えるか、基準がわからなくなってしまう。
それでは、一般論ができない。だから、人間は、結婚という制度を考え出したのであろう、と。
それで納得していただけるかどうか、それはわからない。
しかし、結婚という制度があるおかげで、男女の関わりは簡単になっている。
なぜなら、一切を結婚に照らして考えることができるからである。
同棲とか、不倫とか、そうしたたぐいのことばも、結婚制度があるから、成立するのである。
私はなにも、結婚が正義だとか、道徳の規範だとか、そういうことを言っているのではない。
それがないと、男女の仲を、どう考えたらいいか、社会的には、万事が不明確になるだろう、
と言っているのである。つまり結婚とは物差しであり、物差しに正義も倫理もない。
それによって、ただし、物事を測ることが可能になるのである。
だから、物差しを壊すな、というのである。』
尺度というのは基準値があってのことである。それが若いころはわからなかった。
良い悪いではない、という議論についてもその意味が理解できていなかったと思う。
それが一般的な考え方とはちがうというのも、最近になってやっと世間とはそういうものかと知った。
『ひょっとすると、私が苦労して学んだ内容を知りたがる人がいるのかもしれない。
残念ながら、そういうものはなにもない。先生から学んだことは、すでに述べた。
あとは要するに独学である。もちろん大学では、大勢の先生から、さまざまなことを学んだ。
同僚からも、後輩からも、多く学んだ。私が言いたいのは、そういうことではない。
学ぶことは自分で学ぶことだ。それが言いたいのである。自分で学ぶには、自分でやるしかない。
そうすると間違える。だから覚える。間違えるのを嫌うと、安全に学べることしか学べない。
ほかの分野は知らない。しかし、学問だけは安全第一では成り立たない。
どうも私はそう思っているらしいのである。』
こういうことも理解できない、あえてしない方々がいるということを知るのである。

「シャドウ・ストーカー」 ジェフリー・ディーヴァー 池田真紀子訳 文藝春秋 ★★★
カリフォルニア州捜査局のキャサリン・ダンスはキネシクス(ボディランゲージ分析)の専門家だ。
休暇で訪れたフレズノで、友人の人気カントリー歌手ケイリー・タウンから相談をうける。
執拗なストーカー行為を続けるエドウィンに悩まされていることを打ち明けられる。
数日後のコンサートに彼はやってくるというのだ。
そんななか彼女のスタッフのひとりボビーが殺害されるという事件が起きた。
しかもケイリーのヒット曲の歌詞をなぞるような状況であった。
不安にすごすうちに、第二の殺人が起きた。
犯人はストーカーのエドウィンなのか、その犯行を証明できるのか。
後半はディーヴァーお得意のどんでん返しの連続でストーリーは展開していく。
捜査の過程でリンカーン・ライムも登場したりと、ここらはサービス精神旺盛である。
そもそもストーカーと殺人はそんなに密接に結びつくものなのか、どうなのか。
影のようにしのびよるというシャドウ・ストーカー、結末はいかに、というところだ。
さすがはディーヴァーといったところだが、やややりすぎの感は否めない。

「完全なる証明」 マーシャ・ガッセン 青木薫訳 文藝春秋 ★★★
数学はわからない、嫌いだ、苦手である、さらには意味が分からないというようなことはよく聞く。
そういうあなたのことがわからないというと、どうしてと反論がかえってくる。
だが、ついさっきあなたが言ったことばについては問題がないと思う気持ちがわたしには理解不能だ。
そうそうかたくなにおっしゃらなくても、そのどこがわからないかを考えるとおもしろいものですよ。
いやいや、数学なんてものは一部の専門家(?)に任せておけばいいという声もきこえてくる。
みんながその意味を知るとなにかお困りのことがあるのですか、といいたくて仕方がない。
わからないことはわからないといえばいいが、端からそういう態度はだれかを喜ばすだけだろう。
などと考えたりするので、こんな本があると、つい読んでみたくなるのである。
数学ってどんな役に立つのだろうと、なんとなく考える人も多いのかなって。
『一九四一年の六月二十二日、ナチスドイツがソビエト連邦に侵攻した。その三週間後には、ソビエト
空軍は壊滅状態に陥っていた。飛行場は爆撃され、ほとんどの機体は離陸する暇もなく破壊されたので
ある。ロシア軍はすぐさま、民間の航空機を改造して、爆撃機として使えるようにする作業に取りかか
った。しかしひとつ問題があった。民間機は軍用機にくらべて飛行速度がはるかに遅いため、爆撃にか
かるそれまでの知識はまったく役に立たなくなったことだ。空軍が標的を確実に爆破するためには、速
度や距離にかかわる数値を新しくはじき出してくれる数学者が必要だった』
こうしたことのためにも数学者(あるいは物理学者も)はときの政府に必要とされたのである。
アメリカの原爆開発について考えてみればすぐにわかるだろう、と思う。
本書は数学の七つの難問のうちのひとつ「ポアンカレ予想」を証明したグレゴリー・ペレルマンの話。
これらの問題にはクレイ数学研究所によって一〇〇万ドルの賞金がかけられている。
ロシアの数学者ペレルマンの伝記でもあるが、数学の世界を垣間みせてくれる好著となっている。
フィールズ賞(数学のノーベル賞といわれる)も一〇〇万ドルの賞金も拒否した男とは。
読めばなぜ拒否しているのか、ということがおぼろげながらわかってくる。
どこかのだれかと違ってこの賞はいらないがこの賞はいただく、ということは言わない人であるようだ。
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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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