ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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尾道友愛山荘ものがたり(31)
 <第七話>色即是空 その一

 人の悩みというものは、傍から見るとつまらないことが多い。
でも、本人にとっては果てしもない苦悩の種であったりする。
ひとりで思い悩んでいると、決して抜けだせない迷路のようでもある。
いつしか時間が解決したと思っても、無意識の深層に潜み残っていることもある。
だからだろうか、人は同じあやまちを幾度も繰り返す。
解決してはいないのだから当たり前のことだ、ともいえる。
 では、どうすればいいのだろうか。
先人はいう、ものごとを違った角度から眺めてみることだと。
どんなに深い悩みと思えることでも、大局的には些末なことでしかあり得ないと気づくだろう。
しかしながら、逆説的に、それができないのだから悩むのであるとも云える。
ものごとは、決して理性のみで片がつくということではないようだ。
 いつの世でも、不平不満ばかりを口にする者がいる。
世の中不公平ばかりではないか、と声高に言う。
しかしながらよく聞いていると、彼は変革を望んでいるのではないようだ。
それはこんな言い草からも、うかがい知れてくる。
なぜ私がそのような責めを負わねばならないのか、と彼は言う。
万人がということではなく、なぜ私が運悪くも、などと言うのである。
彼が望んでいるのは、決して改革者になることではない。
我が身の不公平のみが、どんな手段でもあれ、解消されることでしかない。
 そしてこれが不思議に思えるのだが、不公平解消だけでは満足できないようなのだ。
それは不公平がまさに解消されようとしたとき、立ち現れてくる。
彼の眼前に、新たな不満の芽が間発入れずに浮上してくるのである。
だから、不満の芽が摘み取られ充足感に取って代わられることは決してない。
不満は、常に新たな不満の芽を捜して眼を光らせる。
不満がなくなることは、それ自身が不満の種になる。
それ故に、増えこそすれ、消滅することは断じてない。
矛盾に満ち満ちているのだ。不満は欲求の別称なのだろうか。

 海側に墓地を望みながら、やや登り勾配の小道を歩いていく。
狭い路地は尾道の町に毛細血管のように縦横にその触手をのばしている。
 道の狭さは防災上の問題点だという認識がある。つまり消防自動車がはいれない。
だから、区画整理をして道を広くして、ついでに地名も陳腐なものにする。
 しかし地名は突然そこに発生したのではない。多くの場合、いわれがある。
そのいわれこそが、文化であり、地方史なのだという認識は日本人にはうすい。
 だから簡単に町名を統一し、頭に東だの南だのとつけてよしとしている。
分かりやすいし、郵便物の配達にも便利であるという。
このように、ひとつづつ町の名は消えてゆく運命を内包しているのだろうか。
それもひとつの歴史であると云えば、それはそうである。
でもなぜか、消えてゆくものに対しての郷愁が残るのもまた事実である。
 尾道は幸か不幸か、こうした事態を迎えずにいるようだった。

 広島県立尾道東高校まで来れば、寺の多い町も残りわずかである。
東高の女生徒が二三人、自転車に乗ってぼくたちの脇を軽快に駆け抜けてゆく。
夏服の白がひかりかがやく真昼のなかでゆらめききらめく。
どこの地方であろうとも、若さは変わりなくまばゆい。
女生徒の嬌声が自転車に絡まりながら坂をころがってゆくのだった。

0071尾道東高等学校

 後姿をぽかんとした顔で見つめるぼくたちに、メグは笑いながら問いかける。
「男の人って、どうして若い女の子が好きなんでしょうね」
「なんでなんやろな、若さになにかを見ているのかも知れんな。
過ぎ去った自分の若かりし頃を懐かしんでる、そういうことかな」
「違いますよ、ムッシュ。そうじゃなくて、若さが発散する未来への憧れですよ。
分別くさくなってしまった自分への哀愁と、若さの持つ無鉄砲さが羨ましいんですよ」
「ぼくは決して分別くさくなったとは自覚してないけどな。
分別くさいんではなく、ものごとの本質に迫ろうとする感性と言ってほしいものだね」
「あー、阿呆臭い。そういうことを言うから、おじさんぽいって言われるんですよ」
「では真面目に答えてみることにしよう」
「きっと、変な理屈をつけるんでしょうね」
「変なかどうかは聞いてみて、判断してほしいな。
これはな、現代人の価値観が顕著に現れているんやと思う。
それを端的に表している言葉に、『新品』と『中古』というのがあるな。
これはその言葉そのものが見事に価値をも表明しとると思うで。
新しい、つまり若いは価値がある。逆に古い、年増は価値が低い、ということになる。
つまり、新しいもの好きということなんやな」
「新しいことばかりが、決していいことではないですのにね。おかしいですね。
どうして、日本人の価値観はそんなことになってしまったんでしょう」
「そうや、新しいことばかりが、という点をようく考えんといかんな。
新しいことに注目するのは、好奇心があるということでいいんやけどな。
それがどうして、古いものは駄目だとなるのか、よくはわからんな。
これは、悪しき科学教育と連動しているのかも知れへんな」
 三平は、疑いの眼をむける。
「なにか良からぬ考えをいだいてますね。
これから、どう論理を展開するのか、注意しておかなくては」
「そうなんですか」
 とメグも同調する。
「科学教育と云ったけど、科学技術教育という方がいいかもしれん。
科学と技術は相反する面もあると思うけど、それは別の機会に話すことにしよう。
工業技術は戦後の日本において経済復興の大きな原動力になった。
この点に異議はないと思うが、どうだろう」
「それはそうですよね」
「その弊害が出てきてる、ちゅうことや。
技術の世界は日進月歩でしのぎを削っている。
技術は常に新しい技術に取って代わられる宿命をもっている。
古い技術は、捨て去られていく運命でしかない。
よって、古くなった技術はもう価値がない。
ほんとうは、古くなったかどうか、価値がないかどうかおおいに疑問があるんやけど。
そういう雰囲気をすべてのことに無自覚に拡げてしまった、のと違うんかと思う」
「ふーん、そういうこともあるのかな」
「いや、時代の雰囲気というたら大袈裟かもしれんけど、確かにあるな。
また、それが新たな視点や発見をもたらし、ちがった分野での起爆剤になることもある。
一概に、デメリットばかりではないということや」
「それでムッシュ、結論はどういうことになるの」
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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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