ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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本を旅する
読書をしていて自分がどこにいるのかを失念してしまうことが、これまでにいくどかあった。ふとわ
れに返ってみると、なんだかまわりの景色がなじみがないように感じる。どこにいたんだったか、と
考えてみるがしばらくは見当もつかないことがある。別にぼんやりしていたわけではないのに、と思
うのだ。これって旅をしているのと似ているとあるとき直感した。世界はどのようになっていても旅
するわたしが感知することがすべてだ。わたしが、たとえば体調が悪くなって、それまでとはまった
くちがった印象をいだくというのはありそうなことだ。本を読むということは、本のなかの世界へは
いりこむことなのだ。感情移入もあるだろうし、ストーリーの主人公になっていたり、わたしが語り
手と入れ代わっていたりする。本を読むことは、ある意味ちがった人格になって経験する旅にでてい
るということなのだろうか。

8779帝釈峡・雄橋

「サブリミナル・インパクト」 下條信輔 ちくま新書 ★★★★
『現代社会は過剰な刺激に満ちている。直接快楽を刺激する音楽と映像。絶え間なくメッセージを投
げかけるメディアやコマーシャル。それらは私たちの潜在脳に働きかけて、選択や意思決定にまで影
を落とす。が、私たちはそれを自覚しない。』
新書カバーに書かれているこのことばは、確かにそうだと思わせられる状況に生きていると思う。し
かし現代においては、自由な意志というのもそう単純なものではないようなのだ。
『前の章で「世の中は、外界を正確に写し取るという意味での物理的リアリズムではなくて、脳内の
神経活動を最大化するという意味でのリアリズムに向かっているのではないか」と述べました。また
「その神経活動を活性化するものこそが最高の快であり、テクノロジーとコマーシャリズムもそれを
最大化する方向に突き進んでいるのではないか」とも。そういう考えをまとめて「ニューラル・ハイ
パー・リアリズム」と名づけてみました。
ここで述べてきた感覚刺激の過剰と自己促進という話も、ニューラル・ハイパー・リアリズムの流れ
と軌を一にしています。「国民総ながら族化」は、そういう不可逆の変化を顕していると思うのです。
さらにこうした並行化、多元化は自ずと「選択」の問題につながり、そこに現代人の「自由」を巡る
より本質的な問題が提起されています。前章で述べた「神経学的快の自覚的追求」についても、こ
のことを踏まえて違う角度から捉え直す必要があるのかも知れません。』
たしか自由をうたっているヒトがじつはある宇宙の生物の家畜であったというSFがあったように記
憶している。世のなかはいろんな意味で入れ子状態にあるのかもしれない、と考えさせられるのだ。

「「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー」 高橋秀実 ★★★★
開成高校といえば、西の灘高とならんで東大へ進学する生徒数では群を抜いている。そんな高校にも
硬式野球部があるのである。どんなチームなんだろうか、だれもが興味をもつのではあるまいかと思
うのだ。
『「野球はプレイとプレイの間に思考する時間があります」
 キャプテンの瀧口耕介君がそう言っていたが、確かに野球の試合というのは、プレイより待ち時間
のほうが長い。守備についた選手たちは球が飛んでくるのをじっと待っているわけで、ややもすると
一度も飛んでこないこともある。打者たちもひたすら自分の打席を待ち、打席に立つと今度はピッチ
ャーからの球を待つ。ピッチャーも投げるタイミングを待ってるようで、みんな何かを待っている。
待ち時間と待ち時間の間にプレイがあり、観戦する私もプレイを待っているうちに、ふと「あれっ、
今、何回だったっけ?」「どっちが勝っていたんだっけ?」と取材メモをめくり返したりする。選手
たちの一挙手一投足をじっと見つめ、「彼らは何を考えているか?」と考えながら待っていると時間
が間延びするようで、それまでの試合の経過を忘れてしまいそうになるのである。
 もしかすると、野球は「待つ」競技なのだろうか。』
うーん、さすがに開成高校とうなるのだが、監督はどう考えているのだろうか。
『「俺たちは必要十分な練習を徹底的に追及する。これが俺たちのプライドだ」
 つまり、このチームは本当に必要な練習しかしない。例えば、ダブルプレイは必要以上だからとら
なくてもよい。自分の守備範囲を無理なくさばいてアウトにすることが必要十分なこと。ピッチャー
はストライクをとることが必要十分。そして打者は打球を遠くに飛ばすということが必要十分。ベン
チで声を合わせたり。ウオーミングアップを号令をかけて全員揃ってやるのは必要以上のこと。ヨソ
のチームはムダな練習をしてくれていると考えて、このチームは必要と思われる練習を徹底的にする。
必要十分な練習の量と質に徹底的にこだわる。、というのである。
「数学で習っただろう。必要十分条件」』
なるほど、頑張れ開成高校野球部!。いつか甲子園に登場するの楽しみに待っているぞ。

「ニュートンはなぜ人間嫌いになったのか」 ハロルド・L・クローアンズ
        加我牧子他訳 白揚社 ★★★★

神経内科医が書く本の双璧といえば、オリヴァー・サックスとクローアンズだろう。人によって、ど
ちらが好きかというのはあるだろうが、私はクローアンズのほうがじつは好きなのである。そんなこ
とはどうでもいいのだが、ふとそんなことも思ってみるのだ。で、神経内科医ってなにか。
『ジェイムズ・パーキンソンは、患者が「彼の」病気にかかっていることを証明する検査ができると
は思っていなかった。これは今日でも同じである。パーキンソン病を診断するための検査はない。生
きている間に、診断を確認できる組織はないし、レントゲンでも何も見つからないし、血液検査にも
何の異常もない。パーキンソン病の診断は、観察し、洞察する臨床医の目にかかっている。美や他の
人間的事象のように、パーキンソン病は見る人の目の中にある。』
これでは、いまの医者の日常が戯画のように思えてくるということに気づく。また、以下のような文
章を書くクローアンズが、なんとなく好きである。
『私が毎日診ているパーキンソン病の患者が、ビタミンEを飲むべきかどうか質問する。
「その問題は、神様を信じるかどうかという問題みたいなものですよ」と私は答える。
「もしあなたが神を信じないとして、死後に神様が存在することを知って、さらに神を信じていたら
人生がもう少し違っていたとしても、やりなおすには遅すぎます。もし四年後にビタミンEがパーキ
ンソン病に有効であるとわかっても、あなたは逆戻りできないんですよ」
「では、私はビタミンEを飲んだ方がいいのですね?」
「自分で決めなければいけないことです」
「先生、あなたならどうしますか?」
「飲みますね。私は神様を信じているんですよ」』
神の存在は、たぶん、存在するとも存在しないとも証明できないだろう。そういう範疇におさまる問
題ではないのだと思う。ではどうするのかは自分で決めるしかないし、人生の時間は止まって待って
はいてくれないのである。

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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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