ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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本棚のほこり②
本を買うのは読むためであるから、単行本より文庫・新書になっているものを買いもとめた。古典と
よばれるようなものはまず岩波文庫にある、という認識が一般的だったころである。そのころ岩波は
定価をあらわすのに★のマークがつかわれていた。★ひとつが50円というようになっていた。それ
がすこしづつ値上がりしていった。大学生のころに☆マークが追加され値上がりするということで、
値上がり前に買っておこうとする人たちで梅田の旭屋書店は大混雑だったことを記憶している。古本
屋にもよく立ち寄ったが、岩波文庫は別格のあつかいだった。他の文庫は、まあ二束三文なのだが、
岩波文庫であれば、内容に関係なく高く買いいれてくれた。それだけ岩波文庫の信用が絶大だったの
である。だから岩波文庫を置いているところとそれ以外では、本屋の格がちがうという。たしかに岩
波は時流にのったベストセラーを文庫にはしなかった。いま現在についてはどうか知らない。

N5196沼津港の夕暮れ

「お言葉ですが…別巻4 ことばと文字と文章と」 高島俊男 連合出版 ★★★★
本書でいままで、なんとなくわかっているようなわからないことがすっきりと理解できた。漢字を読
むときにでてくる音と訓。漢語と日本語というぐらいのばんやりとした認識だった。
『総じて、文明程度の高さに関係のある語(字)や、抽象的な観念にかかわる語(字)には訓がない。
早い話が、この「字」という字には訓がない。それはそうで、日本には字がなかったのだから、それ
を指す日本語がないのは当然である。
この「字」にあたる日本語がないのは昔の日本人にとってはよほど残念なことであったようで、「文
字(もんじ)」という漢語の撥音ン(さきののべたようにこのンは外来音である)を故意に抜いて「
もじ」と言い、「もじと言うと日本語らしくきこえる」と負け惜しみを言っている。
しかし「字」だけではない。「言」も「語」も「辞」も「詞」も「句」も訓はない。つまりこれらの
語(字)にあたる語はない。しいて言えばみな「ことば」である。しかし元来単語ではないし、それ
にこれらの語(字)がはいってきたころには、現在のような意味での「ことば」ということばはなか
った。人が手ですることも口で言うこともふくめて「こと」という語があっただけである。
したがって、訓のない漢字は多い。あるいはそうほうが多いかもしれない。』
それから音といっても漢字ひとつにいくつもあるのは、たしか呉音と漢音のちがいだったかな。流れ
としてはまず奈良時代ごろまでに日本にはいっていた中古漢語の音の代表が呉音であった。比較的南
方系ということになる。そして平安時代の初めごろ、比較的最近中国から遣唐使や中国人の先生をと
もなって直輸入された発音が「漢音」と名づけられたということなのだ。
『呉音・漢音の対立は非常に多い。
たとえば「人」をとってみよう。
人間、犯人などの「にん」は呉音である。日本人、人物などの「じん」は漢音である。
その人間の「げん」は呉音で、期間、間隔などの「かん」が漢音である。人間(にんげん)は仏教語
で、もとは、人の住むこの世、の意味であった。
……
呉音と漢音のちがいは、ことばが日本にはいってきた時期によるちがいであって、意味のちがいがあ
るわけではない。人(にん)も人(じん)もひとのことであって、意味のちがいでないことは容易に
わかるだろう。』
しかし、いつのまにか意味がちがってくるということもありそうである。
『逆に、一つの日本語が複数の漢字の訓にあてられた場合も多い。
 たとえば、「をさむ」(おさめる)は「納」「収」「修」「治」などの訓である。
 日本語には、漠然と広い範囲の意味をふくむ語が多い。このばあいで言えば、行政者が国や地域を
おさめるのも、人民がお上に年貢をおさめるのも、人が容姿をととのえるのも、物を容器にしまうの
も「をさむ」(おさめる)と言った。そこで、「治」「収」「修」「納」などの訓がみな同じ「をさ
む」になるのである。
 あるいは、「はかる」という語が「計」「量」「測」「称」「度」「諮」「図」「謀」「忖」など
の訓になる。日本語では、長さや重さや広さや値段をはかるのも、人に相談するのも、未来を予測・
憶測するのも、何かを企図し計画するのも「はかる」と言う。それで、かくも多くの漢字の訓が「は
かる」になるのである。
 そこで、その時そのばあいの意味によってあてる漢字を使いわけているうちに、別の日本語である
かのような錯覚、あるいは観念が生じてくることがよくある。』
ことばはこのようにして広がりをもつ、といういい勉強になりました。しかし、いつの世にもかくか
くしかじかと愚にもつかない講釈をのべる人たちもいるのである。気をつけてまいりましょう。

「スケアクロウ」 上・下 マイクル・コナリー 古沢嘉通訳 講談社文庫 ★★★
まず、スケアクロウとは案山子のこと。その意味するところは、薄汚く醜い鳥すべて、つまりハッカ
ーや、特許ゴロや、コンピューターウイルスすべてを作物に近づけないようにするデータセキュリテ
ィの責任者のことなのだ。アメリカのミステリにはこの手の犯罪話がおおい。もちろん、それはアメ
リカ社会を映しているのだが、なにか殺伐としたものを感じるのである。コンピュータがらみの犯罪
が多いということは、そこに巨大な市場が形成されているからである。金が集まるところにはその血
をかぎつける者たちが集まってくるということでもある。
こう考えてくると、アメリカとヨーロッパのミステリのちがいがよくわかる。そのちがいが互いの社
会の価値観のちがいになるのかどうかまではわからないが、ちがった哲学が社会を支配しているよう
な気がする。さて日本はどちらの社会に近づいてゆくのか、あるいはまったくちがう道を歩むのか。
そんなことを考えさてくれるコナリーの作品である。ある意味人気があるのがわかるのであるが…。
本書の主人公、ロサンジェルス・タイムズ社記者のジャック・マカヴォイは感じているのである。
『紙とインクの新聞自体と同様、わたしたちの時代は終わった。いまはインターネットの時代なのだ。
およそ一時間ごとにオンライン版やブログに新しい記事がアップロードされる。TVとのタイアップ
記事やツイッターでアップデートされる。記事のリライトをするため電話を使うのではなく、電話で
記事そのものを送る時代なのだ。日刊新聞は、日刊補足新聞と呼んでいいのかもしれない。そこに載
っている記事はすべて、まえの夜にウェブ版にポストされている。』
だが、そうなのか。そうなっていいのか、というようなことも考えさせられるのである。
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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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