ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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本棚のほこり⑧
読書と図書館とは縁のふかいものである。木立ちの深い緑にかこまれた建物を想像したりする。森閑
とした空間のなかでページをくる音だけがかすかにしている。ときおり遠慮がちに咳の声がもれたり
もする。そんな世界で本を読むことが苦手である。生来の落ちつきのなさがそうさせるのだと思うの
だが、長時間おなじようにしていることができない。注意散漫、優柔不断、思慮浅薄、といった言葉
がうかんでは消える。だからか、いつも興味はあちらこちらとゆらいでいるので話もとりとめがない。
とある一節にであって、あっと思う間もなく虜になっているのだ。こどもがそうであるように知った
ことばを使ってみたくてしかがない。どうつかうのかよく知りもしないうちからなのでいつも頓珍漢
になる。そうやって恥をかいたことが数知れなくあるのだが、これも生来の無頓着でなんとも気にな
らないようだ。そんな男を約一名知っているが、さてなんという名だったか思いだせないでいる。

F8379庭のメジロ

「銃・病原菌・鉄」 上巻 下巻 ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰訳 草思社 ★★★
筆者がニューギニアで出会った「ヤリ」という政治家の質問に答えるために本書は書かれた、といっ
てもいいかもしれない。彼が瞳を輝かせてこう尋ねたのだった。
『「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギ
ニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」。それは単純な質
問だったが、核心をつく質問であった。平均的なニューギニア人の生活と平均的な欧米人の生活とに
は、依然として非常に大きな格差がある。このような格差は、世界のほかの地域でも見られる。これ
ほど大きな不均衡が生まれるためには、それなりの明確な要因があってしかるべきだろう。』
筆者はこれに明確に答えられるだろうか。
『ヨーロッパ人が、他民族を殺したり征服することができるようになった直接の要因を指摘して、ヤ
リの質問に答えようとする説もある。その要因とは、ヨーロッパの銃や伝染病や鉄器や、さまざまな
加工品のことである。これらがまさしくヨーロッパ人による征服を可能にした直接の要因であるとい
う意味において、この説は正しい。しかし、たんに直接の要因を解明し、表層的な(一段階だけの)
説明しか提供していないという意味において不充分である。アフリカ人やアメリカ先住民ではなく、
ヨーロッパ人が銃や病原菌や鉄を持つようになった究極の要因を探求しなければならない。』
われわれは単純に進歩した武器を持つものが侵略者となったと考えがちである。では実際はどうであ
ったのか。検証してみると意外なことがわかる。
『人間の死因でいちばん多いのは病死である。そのため、病気が人類史の流れを決めた局面も多々あ
る。たとえば、第二次世界大戦までは、負傷して死亡する兵士よりも、戦場でかかった病気で死亡す
る兵士のほうが多かった。戦史は、偉大な将軍を褒めたたえているが、過去の戦争で勝利したのは、
かならずしももっとも優れた将軍や武器を持った側ではなかった。過去の戦争において勝利できたの
は、たちの悪い病原菌に対して免疫を持っていて、免疫のない相手側にその病気をうつすことができ
た側である。』
また文明と、農業の発達や家畜による食料の安定供給との関係の考察も興味深い。ここでそれをすべ
て述べていくことはできない。詳しいことを知りたいと考えたならば、本書を読んでいただくしかな
いのだが、大部なので骨が折れるかもしれない(笑)。

「日本人には二種類いる 1960年の断層」 岩村暢子 新潮新書 ★★★★
『「日本人には二種類いる」
 と言っても、残念ながら「男」と「女」の二種類ではない。「1960年以降に生まれた人」と「
’50年代までに生まれた人」の二種類だ。その間には「1960年の大断層」が走っていて、今の
日本人を大きく二つに分けているという話をしたいと思う。』
という文章ではじまる本書であるが、私はもちろん「’50年代までに生まれた人」なのだ。岩村さ
んのことだからどんな切り口をみせてくれるのか興味津々で読みはじめた。二種類あるというのだか
らそれには理由があるはずである。ではそれぞれどんなふうに育てられたのかに当然つながっていく。
『1950年代半ばまでの育児書は、著名な小児科医が子供のケガ、発育状態などについて書くもの
が多かったが、’60年代に入ると児童心理学者や幼児教育学者、幼稚園や保育園の先生、さらには
お母さん自身が体験に基づいて書くものまで登場して、書き手も内容も広がっていく。’50年代の
育児書に比べると、子供の発育や病気など身体に関することより、心理面や、知性・能力の発達に触
れるものが増えたのが特徴だ。子供は身体さえ元気に育てばいいという時代から、親が子供の心や知
性・能力などの発達にも大きな関心を向ける時代になってきたからだ。』
とにもかくにも戦後の混乱期をへて、社会はやっと落ち着きをとりもどした。子育てにも目が向くよ
うになってきて、それが日本では過保護とも思えるものにもなっていく。
『子供の大学受験会場に同伴する親と子供に暴力を振るわれる親は、」いずれも子供中心に転換した
’60年以降の家庭に発したものだと思う。
 そして当時の親たちは、いま孫の入学式や卒業式に列席するようになっている。家庭内暴力は減っ
たが、大学受験も入社試験も今では親がかりで、結婚後もいつまでも「してあげたい」親と、「して
もらいたい」「してもらうのが当たり前」と思う「’60年型」の親子関係は、既に一般的なものに
なりつつある。』
そこで思いだすのが、’70年に流行語となったのが「スキンシップ」。やたら子どものご機嫌をと
ったりして、それがうっとうしいと嫌われたりもした。
『’79年以降、ウォークマンやヘッドホンで、外界との余計な関わりやノイズを遮断して過ごそう
とする若者が登場するが、それも’60年以降生まれの人々と重なっている。』
そうした反動だったのだろうか。針はあっちこっちと揺れ動くようである。こうして「食のインスタ
ント元年」と言われた’60年から、ちょうど10年目の1970年を食品業界では、「外食産業元
年」と呼ぶ時代へとつながっていく。
『年配者は、よく「いまの人のことは解らない」と言うが、断層のあちら側とこちら側では基本的な
体験が違うのだ、と私は思う。』
つまりは世代の断絶なのであるが、こうしたバックグラウンドのちがいがあるようですね。
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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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