ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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本棚のほこり完
とりあえず本棚の整理も一段落した。済んでしまえば、なんのことはなかった。そう感じるのだが、
なんとなく淋しい気がするのもたしかだ。すっきりした本棚をながめてみてもなんの感慨もわいては
こない。それでも個々の本についてはいろんな光景がうかんでくる。なけなしのお金を胸にハムレッ
トのように「買うべきか買わざるべきか」それとも呑んでしまおうか。と悩んだこともあった。本を
読むということは、逆に本を書く人もいるんだと気づくことでもある。いろいろと読んでいると、こ
んなものが本になるのかとおどろくこともままある。だが世のなかには、とてもじゃないがこんな見
識、洞察には至れない、と打ちのめされるような本もある。すこし経てば、そういうすべてをふくめ
て僥倖なのだと感じるのだ。百花繚乱のさまをしめす本たちの森を逍遥できる喜びをかみしめる。こ
れも健康体であればこそ。そのためにこそ節制しなければ、と思う今日このごろである。

N5824来しかたを見る

「人間とヘビ」 ラナ&デズモンド・モリス 小原秀雄監修 藤野邦夫訳 ★★★★
この本が書かれたのは1965年。翻訳がされたのが2006年ということであるから、モリスの著
作としてはずいぶんと忘れられていた(?)ということがいえるだろう。ヘビというとあまり一般受
けはしないとは想像できるが、こうして翻訳されたことはモリスのファンとしてはうれしい。
『本書は先史時代から現代までの歴史を通じて、人間とヘビの関係を考えようとする。人間とヘビの
関係はじつに不思議で、ときにひどく奇妙である。』
ヘビはどこでも嫌われものであったのかというと、そうでもないようなのだ。
『ギリシアの初期の神々は多種多様なヘビ神だった。ゼウスの前身でさえ、かつてはヘビの姿で崇拝
された。かれはゼウス・メイリキオスとして、巨大なひげのあるヘビの姿で描かれた。』
では、宗教においてはどうであったのか。
『創世記三章の文章には、ヘビがヘビ以外のなにかであることを示す記述はまったくない。古い時代
にはもっとも微妙で謎めいた、賢明な動物だと思われていた。それではどうして、ヘビは悪魔の道具
や変装した悪魔自身と見られるようになったのだろうか。ヘビはユダヤ人から見れば、エジプト人や
敵対する民族に崇拝されていたので、悪魔にふさわしい象徴だったのだ。』
だがヘビには実用的な意味もあったのである。
『古代エジプトの農夫が穀物畑にコブラがいることを喜んだと主張した。コブラは実った穀物を食べ
るネズミを退治すると同時に、周辺の野蛮な侵入者を抑止できたからだった。ネズミ類は人間の食料
の深刻な簒奪者であり、病原菌のキャリアである。かつて家にヘビを飼う習慣が広がったのは、健全
な経済的考慮の影響だったかもしれない。今日でさえ、ボルネオの中国人はネズミから食料品をまも
るために、倉庫や船倉にニシキヘビを飼っている。』
ヘビは爬虫類に属する。爬虫類といえば恐竜を想像する方がおられるのかもしれない。
『今日、生きのこった爬虫類は、カメ目(ウミガメ、淡水ガメ、テラピン)、ワニ目(クロコダイル
とアリゲーター)、ムカシトカゲ目(ニュージーランドのムカシトカゲのみ)、有鱗目(トカゲとヘ
ビ)という四つの大きな集団に属している。これらのなかで、もっとも遅く進化した有鱗目のヘビ亜
目は、白亜紀(一億三〇〇〇万年前)のはじめ以降まで姿を見せることはなかった。これは遠い昔の
ことのように思えるかもしれないが、ほかの爬虫類はその一億二〇〇〇万年前に実在していたし、爬
虫類の勢力の主体は凋落しはじめていたのである。ヘビはほかのほとんどの爬虫類と違い、哺乳類と
鳥類が勢いをますにつれて繁栄した。ヘビの世界規模の飛躍は、基礎的な獲物のげっ歯類のおなじよ
うな世界規模の広がりに依存していたように思われるので、これは偶然ではなかったのだ。』
ヘビとヒトが共存できるようになればいい。しかし、サルはヘビを怖がるのも事実である。

「人間通」 谷沢永一 新潮社 ★★★
谷沢さんはもっと謹厳実直な(失礼!)方なのかと思っていたが、そうではなく、なにごとも真実を
追求する、つきつめて考える、理の当然を述べる人であったのだ。
『若き日の山本周五郎は五幕の喜劇を書こうとしていた。それは共産主義のドグマに挑んだ主題で、
最小限度にでも頭脳と胃袋と生殖器の能力が均一でなければ、公平なる分配はあり得ない、との判断
を主題とする構想であった。人間においては生殖器の能力が均一ではないのだとの主張は非常に重大
な提唱である。現実の問題として人間の容貌も体力も智力も食慾も人それぞれによって幾段階にも相
違する。ここまでの事実は誰でも完全に容認する。それだのに性慾の甚だしい個人差だけは決して素
直に認めようとしない。この思えば不思議な拘わりが人間世界に無限の紛擾を巻きおこしている。』
人には基本的な欲望というのものがある。なにかがアンタッチャブルということはない。違っていれ
ば、違っているのではないかと思えば、言えばいいのである。それが議論というものだ。あうんの呼
吸というものもあるが、過ぎたるは及ばざるが如し、である。
『性に放縦な他人を情熱的に責める閑があったら、自分も進んで好き勝手に振る舞えばよいのだ。い
っそ千人斬りを志すのもまた壮大ではないか。その甲斐性がないのを自覚するゆえに他人が羨ましく
て仕方がないのだ。嫉妬が悪徳であることは誰でも知っている。嫉妬は抑制しなければならぬと諸人
は心得ている。ところが他者の性的放銃を弾劾するときだけは嫉妬が野放しになるのが通例である。
それほど男も女も性的放埓への憧れが根強く、それを為し得ない為し得なかった自己束縛についての
怨念が心の底に蟠っているのであろう。嫉妬という情念をどこかで思い切り発散したいと誰もが念じ
ているのかもしれない。』
そういうことはありがちだ。痛いところをつかれると声高に反論したりして。
『権威とは一般者が仰ぎ見て押し立てるから虹の如く中空に出現する虚構である。権威とは何か。権
威とは権威ある存在であろうとする者が魔術の杖を振るって意図的に練りあげることができる程度の
生易しい拵え物ではない。権威を認めたい権威を賛仰したい権威に寄り掛かりたい権威への信頼に安
住したい出来れば繋がりたい権威を利用したい、こういう素朴な願いが広く瀰漫しているからこそ世
に権威なる不思議な幻が横行する。』
政治もおなじようなところがある。批判しながらも選んだのは批判者である、というような。
最後に、もうひとつ。ことばの意味というのはなんとなく思っていることとはちがうことがある。
『源頼朝がはじめて幕府政権を樹立した。幕府とは将軍が軍旅の際に置く陣営を意味するのみである。
律令すなわち国家法の定める政治機関ではない。幕府とは法体系が認めていない私設の権力組織であ
る。明治維新とは私権力を潰して公権力を復活させる改革であった。しかるに昭和五年から終戦まで
陸軍が私権力を行使したのである。陸軍省は三宅坂にあったのでこれを三宅坂幕府と呼ぼう。』
こういわれてみると、明治維新もちがったふうにみえてくるだろうか。
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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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