ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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本とカバー
これには肯定派と否定派があるらしい。わたしはかならずカバーをして読む。電車のなかであろうと
木陰の下であろうと、トイレのなかであろうとも。できるだけ汚さないようにというより、痛まない
ようにというのがあっている。まあある意味貧乏性だが、ものは大切にあつかいたい。乱雑にあつか
われたりして破れたりきたなく汚れた本はいやだ。では古くてシミがういているような本はどうなの
かというと、その範疇にははいらない。これは経年劣化であるからさけることはむずかしい。本は読
むためのものである。読むことをさまたげるような人為的なことはできるだけ避けたいというだけな
のだ。だから本は丁重にあつかうようにしている。かといって、本をバラバラにしたりして資料とし
て扱うという人がいてもそれはその方の見識であるからいっこうにかまわないとも思う。自分がかか
わる範囲だけで大事にしたいと思うだけなのだ。

9049苺

「かつお節と日本人」 宮内泰介・藤林泰 岩波新書 ★★★★
目には青葉山ほととぎす初鰹、などという俳句が有名なようにカツオは日本人にはなじみがふかい。
日本の食生活において、だし文化の観点からすればかつお節と昆布が双璧であろう。
『カツオは古くから日本列島の住民が獲っていたものと考えられている。また、現在のかつお節の原
型のようなものも古くからあっただろう。しかし、現在のものと同様のかつお節がつくられるように
なったのは、一七世紀の終わりごろの土佐(高知県)においてだと考えられている。そのころ紀州(
和歌山)から日本各地に専業漁師たちが出稼ぎ出漁に出ていたが(宮下章『鰹節』)、そのなかで土
佐清水(高知県土佐清水市)へ出漁していた紀州印南(和歌山県印南町)出身の角屋甚太郎という男
が土佐に定着し、そして、その息子二代目角屋甚太郎が、地元の播磨屋佐之助と協力し、いわゆる改
良土佐節を開発した。この改良土佐節こそが、焙乾やカビ付けをする、現在でいうところのかつお節
だった。』
この伝統的な食材であるかつお節だが、庶民の食卓をにぎわしているだけではなかった。
『保存性、携行性、簡易性に富んだ動物タンパク源、そしてうまみ、類い希な特質によって兵士たち
の携行食の座を得たかつお節は、地味ながら必須の軍用食として販路を拡張してきた。数百年をかけ
て大衆化と市場化を実現してきたかつお節は、室町・戦国時代以後いくたの戦争を経るごとに販路を
切り開いてきた歴史的軍需物質であった。』
だから、かつては日本だけではなく台湾、ミクロネシアやインドネシアでも生産されていた。だが、
戦争によって海外のかつお節生産の拠点は消滅する。そして戦後しばらくはかつお節生産は落ちこむ。
だが事態は一九六〇年代末に急展開するのである。
『一九六九(昭和四四)年、かつお節のマーケットを一変させる画期的な商品が、かつお節問屋の老
舗にんべんから発売された。「フレッシュパック」という名で売り出された削り節の小口パックであ
る。今から四〇年以上前のこの商品が、かつお節という伝統食材の消費を増やしつづける魔法の杖に
なった。』
ということで伝統的な食品が消費量を減らしていくなか、かつお節の生産量は増えつづけている。
『一九六〇(昭和三五)年に六三四八トンだったかつお節の生産量は一九八〇(昭和五五)年に二万
二一六二トン、そして二〇一〇(平成二二)年には三万二七九五トン、と増加を続けている。近年で
は輸入のかつお節も増えており、これを加えると、二〇一一(平成二三)年の供給量は、三万五七七
五トンに達している。まさに空前絶後のかつお節ブームといってもよいくらいだ。
 ……
 実のところ、かつお節ブームといっても、昔ながらのあの堅いかつお節がブームなのではない。こ
うした調味料やめんつゆに入れられるかつお節が増えつづけていることが、この隠れたブームを支え
ている。こんにち調味料やめんつゆに求められているのは、健康志向であり、また「こく」である。
健康でありたい、しかし豊かな風味を味わいたいという消費者のいささかぜいたくな需要に合わせる
ため、かつお節が陰に主人公としてせっせと使われている。』
という事情も忘れてはならないだろう。

「漢字雑談」 高島俊男 講談社現代新書 ★★★★
学ぶ(知る)ことは楽しいことである。いままでまちがっていたと分かれば、なおせばいいのである。
それをなんだかんだと言い抜けようとすることはみっともない、と私は思う。人間そうそう完璧な人
はいないだろう。というようなことを高島さんの本を読んでいると知らされるのである。
『「篇」と「編」とは、日本語で読むとどちらも「ヘン」だが、意味・用法がちがう。
「篇」は作品一つ一つをかぞえることばである。一篇、二篇、三篇……のごとく。
 また作品のひとかたまりをもかぞえる。「前篇」「後篇」のごとく。
 また、作品の篇幅(分量、長さ)をも言う。「長篇」「短篇」、あるいは「小篇」「掌篇」などの
ごとく。
 竹かんむりがつくのは、昔の書物は竹片(簡)だったからである。字を書いたものを指す語は竹か
んむりが多い。書籍の籍、書簡の簡、便箋の箋、名簿の簿、等々。
「編」は糸へんがついていることでわかるように「あむ」という動詞である。だからひもをあむとか
毛糸をあむとかにも用い、新しくは編成、編隊などとも用いられるが、また本をつくることによく用
いられる。編輯(編集)、編纂、共編などのごとく。これは昔の本は竹片を糸であんで作ったので、
本をつくることを「編」と言うのである。』
そうですね。若いころは知らないで、いま思えばずいぶんと恥をかいていたのかもしれません。だが、
ものごとを正すのに遅いということは、たぶんないのでしょう。気をつけたいと思います。こんなお
もしろいと思える文をみつけました。原文とは異なりますが、引用の訳語をカッコ書きで示します。
『なお、漢字(訳語)の左側にわかりやすい日本語で説明をつけた所は非常に多い。「実験」(タメ
シ)「精神」(タマシヒ)「権」(ウクベキドウリ)など。「努力」(ホネヲヲル)もその一つ。「
勉強」(ホネヲヲル)と説明している。つまり「努力」も「勉強」も日本語で言えば「骨を折る」で、
同じことであった。』
なんだかストンと腑に落ちる思いがいたします。
『産経新聞に「幕末から学ぶ現在(いま)」という読み物が連載されている。先ごろの第九十九回は
「行蔵は我に存す」であった(この連載は二〇一二年三月に終った)。
 これは福沢諭吉の「瘠我慢の説」を紹介したものである。勝海舟、榎本武揚、福沢諭吉はともに幕
臣であった。幕府が倒れ、明治新政府ができると、勝、榎本は新政府の官になった。福沢は在野を貫
いた。
 福沢は、両人の二朝に仕えた変節をなじるこの文を書いて、直接両人に送りつけた。榎本は多忙を
理由に事実上黙殺したが、勝は返書を送った。そのなかに「行蔵(こうぞう)は我に存す、毀誉は他
人の主張」とある。
 筆者の山内氏はこれを「行動は私の判断によるもので、けなしたり誉めたりの評論は他人様の仕事
です」と訳しているが、これは不適切な訳だ。多くの読者は、「行蔵」とは行動の意、と思うだろう。
 ごくわかりやすい短いことばで訳すなら、「進退」もしくは「出処進退」とするのが親切だろう。』
そうですね。公人といわれるような人は出処進退は自分で決めなければいけない。決められないよう
な人はそういう立場にいるべきではない。最近の日本では決められない、否、決めようとしない人が
増えてきたように思うのは、気のせいですかね。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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