ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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なぜ書くのか
このブログを書きはじめる前にも、ときおり思うところを書きつけたしたことはあった。だから文章
を書くのが苦手だと思ってはいない。しかし、書かなければいけないという状況になるとなぜか書く
のが嫌になる。こうなると、すらすらと書けることはほとんどなくなる。まあ、考えを文章にする訓
練を自分に課してこなかったつけがまわってきたということだろう。もっと書くことが楽しいと思え
ればいいのだけれど、これはまずない。では、そこまでしてなぜ書くのか。書くことの意味がわかっ
ているから、というしかない。書くためには、考えなくてはならない(私の場合)。まず共感したこ
と、感銘したことが思いうかぶ。うかばなければ、再読することもある。なんども思いだすことにな
る。反芻しているといってもいい。消化されてどろどろの液状になればもう吸収されたといえるのか
もしれない。ちなみに私は丑年生まれであるが、それが関係するのかどうかは知らない。

9062庭に咲く

「あたらしい哲学入門 なぜ人間は八本足か?」 土屋賢二 文藝春秋 ★★★
現代は科学万能とはいわないまでも、科学が物事の本質への道だと思われているふしがある。科学的
という呪文は水戸黄門さまの印籠のようでもある。しかし科学とは仮説である。だから、ニュートン
はその席をアインシュタインにゆずった。しかし、ニュートンがまったくまちがっていたのか、とい
うとそうではない。アインシュタインがより包括的な理論を提案したというだけのことである。人は
絶対を志向する。二値的な判断を好む。コンピュータはその要求を満たしているだけかもしれない。
もともと、哲学は科学の師であった。では現在の哲学の意義はなにか。いつのまにか、そんなことを
思いながら本書を読んでいた。
有名なゼノンのパラドックスに「飛ぶ矢は飛ばない」というのを知っているでしょう。彼の証明はこ
うです。A点から矢を放つ。その矢が地点に向かって飛んでいる。AからBまで矢が飛んでいる間、
どの瞬間をとっても矢はA点からB点までのどこかにあるはず。ある瞬間をとらえると、この矢は止
まっている。瞬間とは幅のない時間のことだから、その瞬間には矢は止まっているはずだ。時間は瞬
間が無数に集まったものである。瞬間瞬間の矢を集めると運動がでてくるはずなのに、止まっている
ものをいくら寄せ集めても運動はでてこない。たとえばこの机はいま止まっている。こういう机を何
百個集めても、それこそ無限に集めてもそこから運動はでてこない。それとおなじように、どの瞬間
をとってもこの矢は止まっているのだから、それをいくら集めても運動はでてこない。だから、この
矢は飛んでいない。こういう証明でした。現実とは一致しないが、なかなか反証できない。
『これをアリストテレスはどう解決しているのかというと、一定の時間の幅の中でしか「運動」とか
「静止」ということばは使えないのに、ゼノンは幅のない瞬間について「運動している」とか「止ま
っている」ということばを使っていると指摘し、そこから、ゼノンの主張は誤ったことば使いの上に
成り立っている以上、問題はなくなる、と主張して解決したんです。「ある瞬間に矢は止まっている」
という言い方は、「天使は存在しない。では天使はどこにいるか?」という言い方と」同じように意
味がありません。』
なるほど、よくわかるような気がする。そういえば、この手のことは日常茶飯事である。問題のすり
替えは国際政治でもよくある。それってダブルスタンダードでは、というようなこともおおい。
『哲学がことばに関係していて、ことばの誤解を解くことによって問題が消滅するということは、古
代ギリシアから発見されていました。ただ、哲学の歴史の中では、それとは違う考え方もかなり多く
出されました。いろいろな歴史的ないきさつを経て、二十世紀以降は哲学の問題というのは言語的誤
解、言語の誤用から発生していると考える人が多くなってきました。その流れを作った一人がウィト
ゲンシュタインで、哲学の問題は言語の規則を破ることによって発生すると考えたんですね。』
ちょっとウィトゲンシュタインを読んでみようかな。でも、むずかしいんですよ。しかし、避けてい
ては先にすすめませんからね。そのうちに、かならず読んでみます。いつもはユーモアというか逆説
連発の土屋氏であるが、こういう(大学の講義だそうだ)真面目なものも書かれるんですね。しかし、
私としてはあっちのほうが好みです。

「「自分」の壁」 養老孟司 新潮新書 ★★★★★
養老先生の本は、飽きることがない。なぜなんだろう。いつも考えているからだと思う。いつも考え
ている人は少数者である。いつも悩んでいる人は多い。考えることと悩むこと、似て非なるものだと
いえる。悩まず考えるようにしよう、と思ったりしながら本書を読み終えた。今回も、こんなところ
に、うーむとうなずくのであった。
『私は若い頃からよく山に出かけています。多くの場合は虫とりのためです。
 田舎の山には案内板が設置してあります。これも地図の一種です。困るのは、往々にしてその地図
には「現在位置」が示されていないということでした。
 つまり、その山がどんなふうになっていて、どういうふうに道があって、という情報は描かれてい
るのですが、肝心のその地図がどこに立てられているのか、という情報がありません。当然、自分が
どこにいるのかがわからない。これではまったく役に立ちません。
 いくら詳細に山の情報が書かれていても、現在位置の情報がなければ役立たずの地図なのです。
 溶けていく自分
 なぜ地図の話をしているか。生物学的な「自分」とは、この「現在位置の矢印」ではないか、と私
は考えているからです。ほかの人がこういう言い方をしているのを読んだり聞いたりしたことはあり
ませんが、そう考えるとわかりやすいのです。
「自分」「自己」「自我」「自意識」等々、言葉でいうと、ずいぶん大層な感じになりますが、それ
は結局のところ、「今自分はどこにいるのかを示す矢印」くらいのものに過ぎないのではないか。
 そのことは実は脳の研究からもわかっているのです。
 脳の中には、「自己の領域」を決めている部位があります。「空間定位の領野」と呼ばれています。
 なぜそんなことがわかるのか。その部位が壊れた患者さんの症例等を調べた結果、わかってきたの
です。』
もちろん自分しかないという感じはわかるのですが、それでも肥大しすぎだと。
『「自分」とは地図の中の現在位置の矢印程度で、基本的に誰の脳でも備えている機能の一つに過ぎ
ない。とすると、「自己の確立」だの「個性の発揮」だのは、やはりそうたいしたものではない。そ
う考えたほうが自然な気がしてきます。
 もともと日本人は、「自己」とか「個性」をさほど大切なものだとは考えていなかったし、今も本
当はそんなものを必要としていないのではないでしょうか。』
「個性」なんてものはあとからついてくる。個性的でありたいと考えている奴に個性なんかない。い
や、そう考えているところが個性的だ(笑)。「絆」という言葉についてもこう書かれている。
『東日本大震災の後、「絆」という言葉がよく使われ、その大切さが改めて説かれるようになりまし
た。その一方で、そうした風潮への違和感を口にする人もいました。「絆」という言葉はなんとなく
気持ち悪い、偽善的だ。そんな反発をおぼえたようです。
 私はその頃、これをきっかけに絆の大切さを考えるのは結構なことじゃないか、と思ったほうでし
た。たしかにケチをつけようと思えば、いろいろ言えることでしょう。しかし、そういうことはあま
り気にしないようにしています。文句を言えばキリがない。むしろ、そのいい面を考えていけばいい
だろう、と思ったのです。
 絆の問題が、一番わかりやすく表れたのが、親子の関係の変化です。親子関係は、子どもが社会に
出てからの人間関係の基本にもなります。その絆が明らかに薄くなった。
 以前から気になっていたのは、団塊の世代の人々がしばしば、「老後は子どもの世話にはならない」
と言っていることでした。親孝行といった道徳をなくしていけば、当然、そういう考え方になります。
「私は親孝行をしない。よって子どもも私に孝行する必要はない」となるからです。
 でも、体が動かなくなれば他人に迷惑をかけざるをえません。それでいいのです。世の中には元気
でも迷惑な人だって、たくさんいます。他人に迷惑をかけずに亡くなるのが一番いいというのならば、
災害で死んで、遺体も見つからないのが理想だということになってしまう。いくら何でも、それはお
かしいと思うでしょう。
「子どもの世話にならない」という考え方を持つ人は、それを一種の美学だと捉えているのかもしれ
ません。しかし、社会全体がそういう考え方に向かうのは、ちょっと危ない傾向に思えます。それは、
「子どもの世話をしない」ということの裏返しだからです。要は、「人のことなんか知ったこっちゃ
ない」ということです。これは実に人間関係において、手抜きをしているということです。このこと
は、「自分の体は自分だけのもの」という考え方にもつながります。そして自殺も「俺の勝手」にな
ってしまう。』
この論点は人が生きるうえで大切なことだと思います。傲慢にならないように(逆説的ですね)気を
つけていきたいものです。他にもたくさん附箋がついているのですが、これはそれぞれで是非お読み
いただきたいと思います。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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