ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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級友の読書
工業高校だったせいもあるかもしれない。クラスメイトに読書が好きそうな連中はいそうもなかった。
ぼくも休み時間に本を読むなんていうことをしなかった。それがあるとき、本を読んでいる奴をみつ
けた。彼はハンドボール部の正ゴールキーパーだった。県内ではトップクラスらしく毎年国体に出場
していた。ある日、背も高くて強面の彼が文庫本をひろげているのをみつけた。おやっと思って声を
かけると、照れたように笑った。日本の小説が好きなんだという。国木田独歩、田山花袋や正宗白鳥
とか。ぼくにはあまりなじみがない小説家の名前をあげた。ときにはリラックスしないとな。スポー
ツばかりやっていると、遊ぶ時間もない。それに疲れきった体でどこかへ出かけるのも億劫だ。本を
読むのなら自分のペースでできるからいい。すこしの空き時間にでも本を読んだりしてると、これが
集中力の訓練になるんだ。意外な面はだれにもあるんだと、そのときから考えるようになった。

N6285スパイシーベル

「そよ風ときにはつむじ風」 池辺良 毎日新聞社 ★★★
筆者は往年の映画俳優というか銀幕スタアであった。いつだったか、もうずいぶんと前のことだが、
そこらへんにあった雑誌をぺらぺらとめくっていると池部良という名でエッセイが書かれていた。な
にげなく読んだのだが、なかなか達者なものだという印象はうけた。それからすっかり忘れていたが、
ここでまたこうして出会うというのも不思議なものだ。大正七年、東京は大森の生まれ。父は画家の
池部鈞で、母は漫画家の岡本一平の妹。ということは、岡本太郎が従兄になる。立教大学の学生のこ
ろから東宝のシナリオ研究所で学び、卒業と同時に入社。監督希望だったが戦時下のこと助監督の空
きがなかった。しかし人生はどこでどうなるかはわかないものなのである。島津保次郎監督に請われ
て「闘魚」に俳優として出演することになる。知的ですらりとした風貌から人気をがでてきたところ
で、太平洋戦争がまじまる。陸軍の将校として中国、さらには南方戦線へ。インドネシアの島で終戦
をむかえる。帰国後はふたたび映画界に復帰し、「青い山脈」をはじめ数々の文芸作品にも出演する。
「坊ちゃん」、「雪国」、「暗夜行路」など。そして東映の高倉健主演「昭和残侠伝」、渋い演技で
好演してあらたなファン層を獲得する。もともと監督志望だったので文章を書くのに躊躇はなかった。
毎日新聞に連載されたこのエッセイ集が文筆家でのデビューとなる。
夕餉の光景、父親が自分のまえにならべた大好物の秋刀魚を食う。突如縁側に飛びだし、庭に向かっ
て血を吐いた。しまった胃潰瘍だと騒ぎ巻紙に筆で遺書を書きだした。とりあえず近所のかかりつけ
の医師に診察してもらうことになった。一同そろって杉田医師のご宣託をまつ。
『「骨が刺さっとる」と杉田先生が言った。
「ホネ?」とおふくろ。
「咽喉の奥に魚の小骨が刺さっとる。血は吐き出すとき刺さった処から出た血だな。胃潰瘍なんぞ、
何もありはせん」
 おやじの右腕が毛布の中から伸びて、書きかけの遺書をつかみ布団の下に挟んだ。』
戦争前、昭和のはじめころの家庭のありさまがいきいきと描かれている。

「世界を騙しつづける科学者たち」 上 下 
     ナオミ・オレスケス+エリック・M・コンウェイ 福岡洋一訳 青土社 ★★★

世間の人は科学的ということばは知っているが、科学とはどういうものかは知らないことがおおい。
だからそこを逆手にとって、似非科学なるものがはびこることになる。もともと科学は厳密な手続き
を要求する。だからその手続きにあてはまらないものは科学では扱わないことになっている。たとえ
ば、宗教などがそれにあたる。仮に科学的な宗教というものがあるとして、どう思われるだろうか。
宗教家といっても人格者とはかぎらない。科学者も邪悪なこころをいだいていないとはいえない。人
がいろんな性格・気質・倫理観をもっているのとちがいはない。本書はいかにもアメリカという感じ
がする。こうした書物が出版できるということが、どこかの国とのちがいである。良きにつけ悪しき
につけアメリカは資本主義(経済第一)の国だなあと思う。ここで問題としてとりあげられているも
のは、おもに環境がらみのものがおおい。酸性雨、オゾンホール、二次喫煙、そして地球温暖化。政
治的な立場がちがえば、主張もちがってくる。しかし、科学は思想ではなく、証拠に基づかなくては
ならない。だが、思弁は巧妙だから正しく判断できるのかが問題だ。だから、近年リテラシーという
ことがいわれるようになっている。
『科学研究――実験、経験、観察――を通して検証可能で、実際にこれまで検証されてきた主張、仲
間の科学者による批判的な検討が加えられてきた科学研究に基づく主張こそが重要だからだ。このプ
ロセスを経ていない主張や、このプロセスにかけられて通過できなかった主張は科学的ではなく、科
学論争において同等の時間を割く価値はない。』
もっといえば、そうしたプロセスを経ていても後日まちがいだったということがわかったものは、ノ
ーベル賞(科学分野)を受けたものでも皆無ではないことを肝に銘じていなくてはならない。しかし、
根拠のおかしい主張はいつの時代にもある。それが見抜けるかどうか。
『時代は一気に二〇〇七年に移る。インターネットに、レイチェル・カーソンはヒトラー以上の大量
殺人者だという主張があふれている。カーソンはナチスよりも多くの人々を殺した、カーソンの手は
血にまみれていると、故人を非難する発言がある。なぜだろうか。『沈黙の春』によってDDTが禁
止され、おかげで何百万ものアフリカ人がマラリヤで死んだというのだ。』
ばかばかしいと笑うのは簡単だが、これを信じる人たちがいることも事実である。この論法だと、ノ
ーベルも同罪ということになるのだろうか。彼の発明したダイナマイトが戦争で使われ多くの人が亡
くなっている。こうした論陣はコマーシャルに似ている。ある面しか述べない。異様に強調する。冷
静な筆致で書かれることがない。なにかうしろめたさをいだいているのか。科学の及ばない、及ぼせ
ないことについても考えてみようと思わせられた。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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