ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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尾道友愛山荘ものがたり(36)
 <第八話>風神雷神 その一

 日本の夏につきものの風物詩、そのひとつが台風である。
いやなものだが、怖いもの見たさのような楽しみがあったこともたしかだった。
だから、あえて風雨のなかにでかけて行くというようなことさえした。

 そんなおりヒロミちゃんが夏休みをとって尾道にやってくるという知らせが伝わった。
やってくるという日にあわせてかどうかは知らないが、台風もいっしょにやってきた。
といっても、やってくる方向はたがいに逆だからそう言い切ってしまうのは正確ではない。
どうやらここ尾道で鉢合わせしそうな感じにもなってきたのである。
でも、たいへんな天候をついてやってくるのだから迎えにいこうかとも思う。
顔をあわせるといつもけなしあってばかりいるのだが、それでもいないとなんだかつまらない。

 その日は朝から天候は荒れ模様だった。
坂の町尾道は狭い路地がくねくねとどこまでも続いている。
ふった雨がその道を急流のように、曲がり角では白いしぶきをあげながらくだっていく。
風もふきつけるのでポンチョに身を包んで、ひたすら足元をみつめて歩いた。
家々の屋根からも雫がほとばしり、それが眼にはいって景色がにじんだりした。
アーケード通りの店々はシャッターをおろし、ときおりの風に鉄音を鳴らした。
雨まじりの風が吹きぬける商店街はひっそりとして人通りもまばらだった。
駅の改札口で待つことしばらく、ボストンバッグを手にヒロミちゃんはあらわれた。

4017尾道アーケード街

 おどろいたような顔をして。
「どうしたのムッシュ」
「どうしたのって、迎えに来たんやないか」
「わあ、どういう風の吹きまわし」
「そやから、台風になったちゅうことや」
「なに言ってるのよ」
「それよりふつうは、どうもありがとうって言うもんや」
「そうでしたわね、ありがとうムッシュ」
「なんやこそばゆいな、第二弾があるんちゃうやろな」
「いいえ、さあさあ行きましょう」

 とぼくの腕をとるから、ふりはらうのもなんだし、しかたなくそのまま駅をでた。
あいかわらず流れおちてくる雨水をよけながら、土堂小学校の横をゆっくりとのぼっていった。
はるかに向島の造船所群を見下ろしながら、なおものぼり続けた。
ヒロミちゃんは傘をさしているのだが、風まじりの雨だからあまり役にはたたない。
ときおり風にあおられて傘がめくりあげられそうになっていた。
それを必死におさえつけて歩かなければならなかった。

「疲れるわねえ」
「ほんまになあ、ヒロミちゃんはだいじょうぶ?」
「わたしはだいじょうぶよ」
「そうかあ、都会育ちのわりには元気やなあ」
「でも、足元がぬれてびしょびしょよ、気持ち悪いわ」
「もうすこしだから、頑張ろう」
「そうね、でもおなかもすいたわ」
「そうや、サンペイがお好み焼きを作ってくれるって」
「わあ、うれしい、早く行こう」
「現金やなあ~」

 やっとのことで玄関に到達した。

「サンペイくん、ついたでえ」
「サンペイちゃん、お好み焼きできた?」

 どたどたと走ってきたサンペイが言う。

「お好み焼きって?」
「あらあ、ムッシュがそう言ってたもん」
「まだですよ、いま粉をねっているところです」
「じゃあ、手伝おうかな」
「そうしてくれる、助かるなあ、おれってお好み焼きつくるの初めてなんだよ」
「えっ、そうなん。関東もんどうしでだいじょうぶかいな」
「だいじょうぶよ、ねえサンペイちゃん」
「まあ、ね」

 窓から外をながめると、なおもはげしく雨が降り風が吹きつけてくる。
そのせいか暑さもやわらぎ、雨にぬれたことともあいまって寒いくらいだった。
焦点を手前にもどして、ガラスをつたっては落ちてゆく水滴をしばらく見つめていた。
へばりついている水のかさぶたは、ちょっとしたことで合流してあっというまに落ちてゆく。
ときおりは指でなぞって流れをぼくがつくったりもした。
はてしなく繰り返される流れからどうしても目を離すことができないでいた。
こころのうちになんだかしらないが焦燥感がゆっくりとひろがっていった。

 時はながれ記憶は降り積もる、などというからそう思うだけなのかもしれない。
じりじりとなかなか時間がすぎてゆかないと感じることがある。
そうかと思えば、それこそあっというまに時計の針がすすんでしまっているという経験もした。
これはどういうことなのだろうか、時はながれるものではないのではないか。
すりへる石鹸のようなものだとしたらどうだろうか、使えば使う分だけ減っていくのだ。
だが人は自分が時間をつかっているということを考えもしないでいる。
浪費家は浪費していることに気づかないからこそ浪費家であるといえるように。
記憶のなかに住んでみれば、蓄積する記憶などないことがわかるだろう。
憶えていると思うのは、すべて連想、想像のたまものでしかない。
たがいにネットワークを形成した記憶は容易に変形することができるのである。
人は記憶したいことだけを記憶し、都合のいいように記憶をかえていく。
しかもそれが無意識のうちに進行しているとしたらどうなんだろう。
ヒトの意識などたわいもないと嘲笑っている輩がどこかにいるようにも思えるのだ。
 そうであるかもかもしれない、そうしていたのだろうか、それでよかったのだろうか。
思考はいつも生きるとは正反対の方向へとむかってはぼくに後悔の念を感じさせるのだった。
ときおり閃くようにたちあらわれる光景は、いったいなにを語っているのだろうか。
悔むぼくをながめるぼくはいつしか無感覚なヒトになってゆくのだろうか。
そうして人はなにかを忘れるのではなく、人生の耐性を獲得するのだとでもいうのか。
どうせちっぽけな生物にすぎないこのぼくなのに…。
だけどそれでも生きているからにはなにかを感じ、すべてを呼吸していくのだろうな。

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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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