ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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読書の左岸
読書といっても小説はあまり読まない。いま考えると不思議な気がするのだが、ある時期にフランソ
ワーズ・サガンのものをよく読んでいた。最初に読んだのは「悲しみよこんにちは」だった。朝吹登
水子訳の新潮文庫。翻訳ものというとなんだかやたら堅苦しい日本語というイメージだったのだが、
この作品に関しては気にならなかった。やはり訳者の朝吹さんの力量がぬけていたのだろう。あらす
じや細かいところはほとんど憶えていない。しかし、フランス人はこんな生活を送っているのだろう
かと衝撃をうけた。もちろん、すべてのフランス人がとは思はないが。だが、あまりにもちがうぼく
たちとの差がある。アメリカ文化とはあきらかに一線を画している。いま思うと、人はどのように生
きるべきなのか、生きるというのはどういうことなのか。人によっては堕落ともいえる生活スタイル
だ。かたわらにある倫理社会の教科書とのはなはだしい乖離にすこしブルッとした。

N6319夏蝉

「サバイバル・マインド」 下條信輔×タナカノリユキ 筑摩書房 ★★★★
脳科学と現代アート、異質なものだと思われがちだ。だが、おなじヒトの営みではないか、と考える
ことは決して不思議なことではない。たぶんアプローチがちがうのだろう。ではどういうふうに、ど
んなところがちがうのか。そんな思いから「ルネッサンス ジェネレーション」という催しが始まっ
たのだろうと想像できる。十五年間続いたそうだ。当事者どうしの語りあいがこうして本になったと
いうことである。なにか接点がみつかったのだろうか。読んで考え感じるしかない。たとえば、見る
ということは案外単純なことではない。
『見ることはカメラで撮ることとは全然ちがうんです。眼と網膜の構造が似ているために、見るとい
うとついカメラで撮ることを想像しがちですが、それは網膜に像を結ぶまでの話です。そこまではカ
メラの機能と同じ。では、何が違うかというと、われわれが見る場合には、網膜に与えられている情
報以上のもの、外界の情報を復元して見ているのだと点。そしてもっと言ってしまえば、見える可能
性のあるものとして立ち現れるものを見ているということ。ここに一つの知覚の本質があるんです。
見えているものは見えていて、見えていないものは一切見えていないという見え方とは、本質的に違
うんです。』(下條)
見るということは網膜にうつる像を言葉なり概念と結びつけること。生まれながらに視覚神経系統に
障害があっておとなになった場合、その障害がなくなっても目が見えるということにはならない。網
膜に映っているものがなにかと判断できなければ、見えてることにはならない。見えるということは
視覚像がある意味をもって認識されるということだ。たとえば、見知らぬ言語が話されている空間に
ほうりこまれたら、ことばではなく雑音がきこえているのとおなじである。生きものはつねに快を求
めているというふうに考えられている。だが、そう単純ではなさそうなのだ。
『ある瞬間を切り取れば、快と不快が同時に含まれていることがあるはずです。それは強烈な快、強
烈な不快の場合に起り得ます。もうひとつは、不快なものが反復されてゆくと快に変わるケースです。
こちらは神経メカニズムがかなり分かっていて、ドラッグやスポーツのトレーニングなどの場合、初
めのうちは苦痛の信号が出ているんですが、繰り返しやっていると次第に脳が苦痛に対処し始めるん
です。』(下條)
ヒトにはどのような状況下でも対応できるような可塑性があるから、人生はおもしろいともいえる。

「新廃線紀行」 嵐山光三郎 光文社 ★★★
旧国鉄がJRになったとき、多くの地方線が採算がとれないということで廃線になった。また地方の
私鉄もおなじ運命をたどったものもおおい。第三セクターという新たな組織でがんばっているものも
あるが、どこも厳しい現状に青息吐息である。
『廃線には過疎化する地方というイメージがある。
 村の人口が減って、鉄道が赤字になり、やむにやまれず電車が消える。企業努力しても経営が行き
づまって力つきる。
 けれども、過密する都市で幹線道路が整備された結果、鉄道が不要になってしまうケースがけっこ
う多い。廃線は都市化現象でもあり、わかりやすい例をあげれば路上を走っていた市電がそうである。
 鉄道には寿命があり、一定の役割を終えると廃線になる。では、廃線となったあとはどうなるのだ
ろうか。これが廃線の課題である。』
三木鉄道は二〇〇八年四月に全線が廃止されました。廃線となると、全国から鉄ちゃんが襲来して、
サボ(行先標示板)を盗んで大騒動になったりする。こんなことがあったりするとますます廃線がう
ながされてしまうのだろうか。
『イジメられてサボを盗まれて、かわいそうに。頭の芯に昨夜、三宮ガード下の居酒屋で飲んだ焼酎
がヒヤヒヤと残っている。「金盃、森井本店」という居酒屋で四三〇円のドテ焼きがめっぽうしぶと
く、つい飲みすぎた。』
しかし、消えゆくものにはなぜか哀愁を感じるのもまた事実である。
『カラスが鳴く。蛇が横切る。コウモリが舞う。蟻がうごめく。蜘蛛の巣が顔にかかる。蛾にぶつか
る。蚊の群れが襲う。ミミズが這う。蜂が飛ぶ。日は暮れる。なんでこんなうら淋しい道を歩かねば
ならぬかというと、ひとえに廃線霊にとりつかれたのである。』
形あるものはいつかは消えゆく運命であるが、それでもなんだか忘れがたいものでもある。どこか初
恋に似ているかもしれない。時間のなかで美化されていくということもありそうだ。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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