ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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読暑中
暑い暑いと板張りの床をころげまわっていた。どこにもだれもいないので、自分の声だけが狭い空間
にこだましていた。しょうがないかと起きあがり机の前にすわった。窓の外をながめてもだれがが来
る気配はなかった。ひとりぼっちなのか。そうだな、ひとりぼっちだよな。慣れるしかないよ。いわ
れるまでもなく慣れてますが。のどが渇いたなあ。冷蔵庫に冷たいお茶があるよ。他になにかないの。
ビールはありません、ジンなら冷やしてありますが。昼間からジンはねえ。ふと気づく。だれがだれ
と話しているの。だれもいないはずだよね。まわりを見わたすが物音もしやしない。なんか変な感じ
だ。だけど、ここってどこなんだ。ゴロンと寝ころがって天井を見あげた。たしかに見覚えのある板
の木目だが。ガタンという音がして目が覚めた。机につっぷして寝ていたようだ。横に本がひろげた
ままになっていた。夢かと思いながら、汗のあとが点々とついている机をしばらくみつめていた。

N6373かたつむりベイビー

「パンツの面目ふんどしの沽券」 米原万理 筑摩書房 ★★★★
筆者は九歳から十四歳まで在プラハ・ソビエト学校に通っていた。ソ連外務省が管轄する学校だから、
教科書もソ連製、教師もソ連人、生徒も大半はソ連人。四年生になって女の子は家庭科の裁縫の授業
で最初に教わったのが、スカートでもエプロンでもなく、下着のパンツの作り方だった、というとこ
ろから筆者の疑問がはじまるのである。なぜパンツなんだ。パンツって自分で縫うものなのか。夏休
みにあった林間学校は二ヵ月間。「持参すべき物品リスト」にあったのは、寝間着二枚、パンツ三枚、
シャツ二枚、…。日本人の母親はびっくり、自分で洗濯しなさいということだとなんとか納得。しか
し、彼女と妹には一〇枚のパンツを持たせた。いろいろ注意はあったが、毎日パンツを取りかえるよ
うに、とは注意しない。気候が乾燥してるからかと思いつつ、なんだか腑に落ちなかった。
『ところが、イタリアにコック修行に行っていた妹から、あるとき、こんな話を聞かされたのである。
妹の間借りしていた家の中学生ぐらいの娘さんが、ある日、合宿から帰って来るなり、
「ねえ、ママ、○○ちゃんて、どうしようもなく不潔なのよ。あたし一緒の部屋なのが、気持悪かっ
た」
 と憤懣やるかたないという風情で母親に言いつけていた。
「だって、最低一日一回もビデを使わないのよ!」
 この話を聞きながら、心の中で叫んでいた。
 そうか、そうか! 彼らはパンツを取りかえないかわりに、パンツの中味を毎日洗浄していたのか
! ということは、もしかして、プラハ時代のルームメイトたちは、心の中でわたしのことを不潔だ
と思っていたのかもしれないな、と。』
なにごともそうなのだが、文化のちがいは意外なところにその理由が隠れているのだ。パンツという
形態の下着は比較的歴史が浅い。日本人も比較的最近まで、女は腰巻、男はふんどしであった。その
男の場合はどんなことになっているのか著者の興味はそちらへものびる。
アイルランドのケルトの民族衣装を着用するときなど、正式には絶対にスカートの下にはなにもはい
てはいけない。そんなこともわかってきた。フィンランド人はワイシャツの下端で下半身をくるんで
いた、という証言もある。ルパシカの下端が、そろいもそろって真っ黄色になっていたとも。ソ連に
抑留されていた人たちが一番困ったのは、一枚のちり紙も支給されなかったこと。トイレにいってど
うすればいいのか。どうもソ連人はふかないようだと知るが、日本人はそうはいかない。四苦八苦し
たとのこと。なかなか興味深い考察が続きます。パンツはどうも騎馬民族の発明らしいということは
わかる。それはそうでしょうね。ふんどし状態では馬に乗りにくいでしょう。あたりまえと思われる
ことがじつはローカルルールということはよくありますからね。
これは文化人類学の論文といってもいいのではないでしょうか。じつにおもしろい。

「風の食いもの」 池辺良 文春文庫 ★★★★

池部良さんは高倉健さんのヤクザ映画にも多く出演してなかなか渋い演技をみせていました。ですが、
戦争時には戦地でそれこそ辛酸をなめられたであろうことはこの本を読むとわかります。暗くならず
にひょうひょうと書かれているところに逆にその厳しさが伝わってくるものです。戦争批判の書より
もこうした実体験にもとづくエッセイから、なにか感じられるところが多々あるものなんですね。
『昭和十九年五月中旬、北中国に駐屯していた第三十二師団はフィリピン・ミンダナオ島警備のた
め上海を出港した。
 師団衛生隊小隊長だった僕も、当然同行、途中セレベス海で、便乗していた輸送船がアメリカ潜水
艦の魚雷攻撃を受け撃破、一時間も持たせずして、水深三千メートルはあるという海溝に沈没。
 十一時間泳いだ夜陰、味方駆逐艦に救助され、赤道直下のハルマヘラ島なる島に上陸した。拾った
生命に改めて感激、涙を落としながら虚ろな心で砂浜に立ったのを覚えている。』
題名からもわかるように軍隊でのたべものの話が軸となって語られる。では兵士のめしとは。
『めしは白米六分高粱四分、お菜は透明度世界で三番目だという湖の如き味噌汁、身ときたらあるか
なしの名もない菜っ葉、マグカップを半分にしたほどの汁食器に一杯。寸法で言えば五ミリと違わな
いメニューで三食が宛がわれた。叫びたくなるほどに嘆いたのが食事の量だった。』
今日わかっているところではアメリカ軍とのちがいは歴然である。よく頑張ったものです。しかし、
赤道直下のハルマヘラ島ではもっと悲惨なのだが、これを池部さんは「風の食べもの」と称する。
『漁ったものが紹介する風の食べもの。
 椰子の実。椰子の木もそうは沢山なかったから、みんな腹を満足させるわけにはいかなかった。
 とけい草。時計草なのかトケイ草なのか分からなかったが、棘のない野薔薇に似た葉と茎の蔓草、
干して煎じて飲む。お茶の代わりに。不味いの、なんの。腹を空らしているときに飲むものじゃなか
った。
 ホルステリン。インドネシア語なのだろう。青々とした葉っぱの類。長い柔らかい茎。幅の狭い長
い葉。多くは見つからなかったから、七十名にひと摘みほどの「おひたし」にして何回も口にしない
で終わってしまった。
 ひどい青臭さには驚いたが、青物のない際だったから有難く頂戴した。』
このあたりはまだなんとなくそうなのかと分かる。塩も海水からつくり、パパイヤの根っこのキンピ
ラなどちょっといけそうな気がする。
『蛇、蜥蜴、蛙、鼠、鰐、なまけもの、鸚鵡、サペタ(虫の幼虫)、鹿など、蛋白質源になる動物も
いることはいたが、たまに見かける程度だった。見かけたときに、隊員を総動員して三八式歩兵銃で
撃ってはみたが、なかなか命中してくれない。兵隊さん達の栄養失調もひどくなって来たから運動神
経が鈍くなって狙っても的を外してしまったのか、銃の精度が悪いのか、数えるほどしか捕まえてい
ないから、十分に賞味致しましたというところまでには至っていない。
 魚。目の前はワンレ湾と呼んでいた綺麗な内海だったから、魚はいるに違いないが、海岸に出れば
アメリカ軍の飛行機が怖かったし、釣り針も糸もなく、徒に指を銜えていた。』
いよいよ取って置きの乾パンもすくなくなる。七十名の身体は餓鬼のようになってきた。
『「隊長どの、どうしますか」と下士官の相談があったが、隊長にしても知恵がでない。
 土俵際のうっちゃり的に思いついたのが「蚯蚓」だった。首を傾げる隊員たちに蚯蚓を集めさせた。
蚯蚓が食いものになるのか、ならないのか見当もつかなかったが、口に入る最後の蛋白質源だと思い
込むことにして、集めた蚯蚓を茹でに茹でぬき、それぞれに茶碗半分ほどを配給して食べてもらった。
誰も「結構なお味です」とは言わなかった。』
最後にはその辺に生えている雑草を、毒にあたるかと思いながら海水で煮て食べたという。
『それが半年も続いたある日、青天の霹靂か、終戦の通報を受けた。』
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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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