2015-10-16 | 22:00
その女性は壁際にすわって本を読んでいた。離れた場所からなのでどんな本を読んでいるのかはわか
らない。広間のような畳敷きの部屋の片隅にである。窓からの朝の光が彼女の顔半分に射していた。
まわりでは多くの人が行きかっていた。話し声もきこえてくる。だが、そんなこともなにも気になら
ないというふうに読書していた。しばらくぼくがながめているあいだ、顔をあげることもなかった。
ふっくらした頬がすこし赤みがかってみえた。大学生なのだろうか。おちついた雰囲気をかもしだし
ている。だれかに呼ばれてすこしのあいだその場を離れた。戻ってきたぼくがふたたび見たとき、す
でに彼女はいなかった。どこに行ったのか、探そうという気はまったくしなかった。逆に、ほんとう
にここに居たのだろうか。なんだか夢をみているようだ。そのときふいに思いだした。本を読んでい
る彼女が微笑んでいたのを。アルカイックスマイルとでもいったらいいのだろうか。
「警視の因縁」 デボラ・クロンビー 西田佳子訳 講談社文庫 ★★★
ダンカン・キンケイド警視シリーズの第十三作目になる。シリーズものが長く続くというのは人気が
あるという証である。しかし、ながく続くことによる弊害がないわけではない。いわゆるマンネリに
なるのである。だからマンネリを避けようとして墓穴を掘る方向へと作品がむかってしまうことがな
きにしもあらずなのだ。また作中の人物が歳をとることになる。警察の機構のなかにいれば昇進する
こともあるだろう。するとおのずと仕事の内容、進め方も変わらざるを得ない。それがミステリの場
合など変化であったり、あるいはなにか違和感であったりするのだ。このシリーズはどうなのだろう。
ダンカンのパートナーであるジェマの友人ヘイゼルを訪問したとき彼女の夫ティムの知り合いのパキ
スタン出身の弁護士ナツが娘を残したまま、どうやら失踪したのではと相談をうける。彼の妻サンド
ラも数ヵ月前から行方知れずになっていた。どうやら事件に巻きこまれたのではないかと心配してい
るところにナツが公園で遺体で発見されたという知らせがとどく。自殺ではなく殺されたのだった。
事件は所轄からの要請でスコットランドヤードのキンケイド警視が担当することになった。残された
幼いシャーロットはどうなってしまうのか気をもむジェマ。事件はどうやら移民問題にも関係があり
そうな様相になってくるのである。ミステリは時代をうつす鏡でもあり、イギリスもそうした問題を
抱えていることが本作からもうかがえるのである。
「お言葉ですが…別巻⑥ 司馬さんの見た中国」 高島俊男 連合出版 ★★★★
高島さんは本が好きでよく読まれる。で、本の話がこれまたよくでてくる。今回はこんな話に興味が
わいた。小島毅『「歴史」を動かす 東アジアのなかの日本史』亜紀書房、この本のことをこう書く。
『「現在日本国がこういうかたちで存在しているのは、足利義満のおかげです。」
「へえっ」と思いますよね。足利義満なんて、あんまり知らない人だものね。
この本は、この「へえっ」にみちみちている。びっくりすることばかり。』
歴史上の人物ではあるが、そんなに有名ではないですね。その後、この小島氏の本の紹介が続く。
『研究者たちは日本の歴史の事実をつぎつぎに明らかにしているのだが、それは一般の日本人には知
られない。一般世間ではあいかわらず、古くさいおはなしが通用している。それを少しでも正すため
に、小島先生は熱心に講演活動をしているのである。
この本は、坂本龍馬のことからはじまる。坂本龍馬は明治維新に何の働きもしていない。明治の初
めごろには誰も知らない人であった。ある時明治天皇の皇后が夢を見た。白い服を着た人が出てきて、
自分は海軍の守り手だと言った。おつきの田中光顕にきいたら「ああそれは私の友人の坂本龍馬とい
う者です。いつも白い服を着てました」と言ったので、名が知られるようになったそうだ。皇后が会
ったこともない、存在も知らない者が夢に出てくるというのもけったいな話ですねえ。
今の日本人が思い描く坂本龍馬は、司馬遼太郎が作った虚像である。
そのように、現在世間で流布している日本史観念を作ったものとして小島先生は、三つのものをく
りかえしあげる。頼山陽の『日本外史』と、司馬遼太郎と、NHKの大河ドラマである。先生は大河
ドラマを実に丹念に見ていらっしゃる。頼山陽については「一九世紀における司馬遼太郎のような役
割をはたした人なのです」とある。端的でわかりやすいね。
いや、この三者を、取るに足りないもの、として軽視するのではありませんよ。それどころじゃな
い。「頼山陽の『日本外史』がなかったら明治維新はなかったろう」とあります。
『日本外史』は、源平から徳川氏までの時代を書いた歴史書である。水戸藩の『大日本史』の観点
によっている。文政年間、十九世紀前半に出た。幕末の知識人たちは皆争ってこれを読み、これが日
本の歴史だ、と信じた。』
歴史かあ、そういえば大学生のとき読んだ本を思いだす。E・H・カー「歴史とはなにか」岩波新書。
正しい歴史認識なんてなにを言っているのだろう、と思いますよね。
らない。広間のような畳敷きの部屋の片隅にである。窓からの朝の光が彼女の顔半分に射していた。
まわりでは多くの人が行きかっていた。話し声もきこえてくる。だが、そんなこともなにも気になら
ないというふうに読書していた。しばらくぼくがながめているあいだ、顔をあげることもなかった。
ふっくらした頬がすこし赤みがかってみえた。大学生なのだろうか。おちついた雰囲気をかもしだし
ている。だれかに呼ばれてすこしのあいだその場を離れた。戻ってきたぼくがふたたび見たとき、す
でに彼女はいなかった。どこに行ったのか、探そうという気はまったくしなかった。逆に、ほんとう
にここに居たのだろうか。なんだか夢をみているようだ。そのときふいに思いだした。本を読んでい
る彼女が微笑んでいたのを。アルカイックスマイルとでもいったらいいのだろうか。
「警視の因縁」 デボラ・クロンビー 西田佳子訳 講談社文庫 ★★★
ダンカン・キンケイド警視シリーズの第十三作目になる。シリーズものが長く続くというのは人気が
あるという証である。しかし、ながく続くことによる弊害がないわけではない。いわゆるマンネリに
なるのである。だからマンネリを避けようとして墓穴を掘る方向へと作品がむかってしまうことがな
きにしもあらずなのだ。また作中の人物が歳をとることになる。警察の機構のなかにいれば昇進する
こともあるだろう。するとおのずと仕事の内容、進め方も変わらざるを得ない。それがミステリの場
合など変化であったり、あるいはなにか違和感であったりするのだ。このシリーズはどうなのだろう。
ダンカンのパートナーであるジェマの友人ヘイゼルを訪問したとき彼女の夫ティムの知り合いのパキ
スタン出身の弁護士ナツが娘を残したまま、どうやら失踪したのではと相談をうける。彼の妻サンド
ラも数ヵ月前から行方知れずになっていた。どうやら事件に巻きこまれたのではないかと心配してい
るところにナツが公園で遺体で発見されたという知らせがとどく。自殺ではなく殺されたのだった。
事件は所轄からの要請でスコットランドヤードのキンケイド警視が担当することになった。残された
幼いシャーロットはどうなってしまうのか気をもむジェマ。事件はどうやら移民問題にも関係があり
そうな様相になってくるのである。ミステリは時代をうつす鏡でもあり、イギリスもそうした問題を
抱えていることが本作からもうかがえるのである。
「お言葉ですが…別巻⑥ 司馬さんの見た中国」 高島俊男 連合出版 ★★★★
高島さんは本が好きでよく読まれる。で、本の話がこれまたよくでてくる。今回はこんな話に興味が
わいた。小島毅『「歴史」を動かす 東アジアのなかの日本史』亜紀書房、この本のことをこう書く。
『「現在日本国がこういうかたちで存在しているのは、足利義満のおかげです。」
「へえっ」と思いますよね。足利義満なんて、あんまり知らない人だものね。
この本は、この「へえっ」にみちみちている。びっくりすることばかり。』
歴史上の人物ではあるが、そんなに有名ではないですね。その後、この小島氏の本の紹介が続く。
『研究者たちは日本の歴史の事実をつぎつぎに明らかにしているのだが、それは一般の日本人には知
られない。一般世間ではあいかわらず、古くさいおはなしが通用している。それを少しでも正すため
に、小島先生は熱心に講演活動をしているのである。
この本は、坂本龍馬のことからはじまる。坂本龍馬は明治維新に何の働きもしていない。明治の初
めごろには誰も知らない人であった。ある時明治天皇の皇后が夢を見た。白い服を着た人が出てきて、
自分は海軍の守り手だと言った。おつきの田中光顕にきいたら「ああそれは私の友人の坂本龍馬とい
う者です。いつも白い服を着てました」と言ったので、名が知られるようになったそうだ。皇后が会
ったこともない、存在も知らない者が夢に出てくるというのもけったいな話ですねえ。
今の日本人が思い描く坂本龍馬は、司馬遼太郎が作った虚像である。
そのように、現在世間で流布している日本史観念を作ったものとして小島先生は、三つのものをく
りかえしあげる。頼山陽の『日本外史』と、司馬遼太郎と、NHKの大河ドラマである。先生は大河
ドラマを実に丹念に見ていらっしゃる。頼山陽については「一九世紀における司馬遼太郎のような役
割をはたした人なのです」とある。端的でわかりやすいね。
いや、この三者を、取るに足りないもの、として軽視するのではありませんよ。それどころじゃな
い。「頼山陽の『日本外史』がなかったら明治維新はなかったろう」とあります。
『日本外史』は、源平から徳川氏までの時代を書いた歴史書である。水戸藩の『大日本史』の観点
によっている。文政年間、十九世紀前半に出た。幕末の知識人たちは皆争ってこれを読み、これが日
本の歴史だ、と信じた。』
歴史かあ、そういえば大学生のとき読んだ本を思いだす。E・H・カー「歴史とはなにか」岩波新書。
正しい歴史認識なんてなにを言っているのだろう、と思いますよね。
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