ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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寒風と読書
駅で待ちあわせをすることになった。約束時間のすこし前に着いて、改札口がみえる柱にもたれて脚
を交差するようなかっこうで本を読んでいた。なかなか相手は現れない。まあ、いい。そのまま読書
をしていた。冬のことで足元が寒かった。なんどか足を組みかえてみたが、じんじんしてきた。時計
を見る。すでに30分以上すぎている。もうこないのだろう。なにか急用でもできたのだろうか。そ
れとも忘れてしまったのだろうか。携帯電話もない時代だったので、そこであきらめた。相手から相
談があるということだったのだが、もう解決したということなのだろうと思った。あまりに寒かった
のでどこかで熱燗でも飲もう。路地奥の居酒屋で関東煮をあてに燗酒をのんだ。五臓六腑にしみわた
るというのはこのことだ。そのあいだも文庫本を読むことをやめなかった。すっぽかされた、という
事実を考えたくないだけだったのだろうか。もしや、ふられたのか。書名は思いだせない。

N6605蝶二匹

「闊歩する漱石」 丸谷才一 講談社 ★★★★
漱石の出世作は「坊ちゃん」であることはいうまでもない。しかし、単なる痛快青春グラフティのよ
うなものであったのかと思ったのだが、丸谷氏はそういう立場をとらない。
『つまり『坊ちゃん』はイギリス十八世紀文学のことを考えつづけるかたはらに想を構へ、筆を執つ
た小説であつた。それゆゑもしもあのころの漱石の小説を大学教師の余技とする立場(これが昔は横
行した)に立てば、『坊ちゃん』はイギリス十八世紀文学研究の副産物と見立てることもできるでせ
う。そしてもちろんわたしとしては、漱石がフィールディングに刺激され触発されたからこそ、あれ
だけの名篇を書くことができたと感がへるのである。念のため言ひ添へて置くならば、一般に文学作
品は単なる個人の才能によつて出来あがるものではなく、まして個人の体験のみによつて成るもので
なく、伝統の力による所が大きい。しかもそれが自国の文学の伝統と限らないことは言ふまでもない
でせう。』
イギリスに留学していたことがおおきく影響しているというのである。漱石は作家になるまえは英文
学の研究者、教師であった。
『コールリッジが、亡くなる二週間ほど前、友達を相手に文学談に興じてゐる最中、文学作品で構成
の見事なものが三つあると言つた。それは、
 ソポークレス『オイディプス王』
 ベン・ジョンソン『錬金術士』
 ヘンリ・フィールディング『トム・ジョーンズ』
の三つです。』
どれも読んでいないのだが、ベン・ジョンソンは知らないですね。さらにこれに「坊ちゃん」を並べ
て丸谷氏はこう言うんです。
『といふ名作のリストをじつとみつめてゐるうちに、わたしは一つ妙なことを考へた。『坊ちゃん』
は『トム・ジョーンズ』の影響下に書かれたのではないかと思つたのです。』
うーむ、また読んでみなければならない本が増えた。こういう本との出会いは楽しい。

「日本雑記帳」 田中章夫 岩波新書 ★★★
中国語とおなじく日本語も漢字をつかう。だが、おなじ漢字であっても意味はちがうこともおおい。
『「奥さん」の意味の「愛人」や「無理やり」の意味の「勉強」、あるいは「自動車」を指す「汽車」
などは、日中両語間の意味の隔たりの例として、よく引かれるが、日本に来た留学生などがとまどう
のは、大学の「学長」は「同窓生・先輩に対する尊称」であり、学校の「長」は小学校から大学まで
「校長」である。』
おなじ漢字だから余計に混乱するのでしょう。熟語など中国からきたものもおおいのですが、逆に日
本から中国へと逆輸入されたものもおおいのです。「新名詞」と名づけられて排斥もされながらも、
「取締・場合・打消・手形・切手・片務・経済・相場」など二〇世紀初頭に中国へ流れこんでいった
のです。また科学技術・医学などで「遺伝・温度・科学・細胞・触媒・比重」なども日本語由来なん
だとか。どれがと判断するのは至難のわざのようです。身近なことばではこんなのがあります。
『永井荷風が、一九一九年(大正八)に発表した、短編『申訳』の中に、
  お民は父母のことを呼ぶに、当世の娘のやうに「おとうさん、おかあさん」とは言はず「おつか
 さん、おとツつアん」と言ふ。僕の見る所では、これは東京在来の町言葉で、「おとうさん」と云
 ひ、「おかアさん」と云ひ、或は略して、「とうさん、かアさん」とふのは田舎言葉から転化して
 今は一般の通用語となつたものである。
という一節がある。東京人を自負する断腸亭主人には「オトウサン・オカアサン」は耳ざわりなコト
バだったようである。』
ちょっと考えると、逆のような気がするのだが実際はこうなのだったのでしょう。ことばは時代と共
に変化していくものです。いまでは「パパ・ママ」なんて呼ぶ家庭もおおいのではないかと思われま
す。それぞれこだわりがあるのでしょうね。関西の芦屋あたりの子息は関西弁をしゃべらない子ども
もいるし、意外に「おとうさん・おかあさん」派が主流なようです。「パパ・ママ」はすこし恥ずか
しいという感覚のようで、呼び方は厳しく躾けられているようであります。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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