ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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観光バスで読書
学生時代にはいろんなアルバイトをした。観光バスの車掌というかガイドというかのようなのもやっ
た。バイト代がよかったのもあるが、いろんな所へ行けるのが魅力だった。いちど女子高の遠足に添
乗したことがあった。昼休みになると数人がバスで休憩しているぼくのところへやってきた。座席で
本を読んでいたのだが、なにかと話しかけてくる。どこの大学ですか。K大学だけど。彼女はいるん
でしょう。いないよ。どうしてですか。いやあ、別に理由はないけど。もてそうな感じですよ。いや
いや、気のあう女性にめぐりあわないな。あのういっしょに写真を撮らせてもらえませんか。うーん、
いいけど。ぼくのまわりをぐるっと取り囲んで、はいパチリ。ありがとうございます。やったね、と
かなんとか騒ぎながら去っていった。彼女らをながめながら、青春ここにあり、なのかなあと思った。
しばらくは本を読む気にもなれず、ぼんやりとしていた奈良は春日大社の杜の昼下がりでありました。

N6642森のサンタクロース

「ガセネッタ&シモネッタ」 米原万里 文藝春秋 ★★★★
いつも軽妙な話しぶりで、読者をあきさせない米原さんである。こんな有名なジョークはいかが。
『神様との意思疎通には是非とも通訳を使うべきです。そんなことをわたしが申しますと、どうせ通
訳者の雇用拡大を図りたいのだろうと勘ぐられてしまいそうですが、これだけは、少し事情が違いま
す。
 というのも、ニューヨークはハーレムで数年前、例の恐ろしい事件があったからです。すでにお聞
きおよびかと思いますが、ある黒人のホームレスの前に、神様が立ち現れ、三つの願いをかなえてあ
げようとおっしゃたらしい。ホームレスは迷うことなく、叫んだと伝えられています。「白くなりた
い! 女たちの話題の的になりたい! いつも女の股ぐらにいたい!」
 たちまち男の姿は跡形もなく消え失せ、路上には小指大の白いタンポンが転がっていたのだそうで
す。
 どうです? それでもあなたは神様と通訳なしで直接交信なさる自信がおありですか?』
たしか、ちあきなおみの曲にそういうのがあったような気がします。欧米のジョークっぽいですね。
おもしろい。男女間のいろいろな問題(?)についても明確な意見をもっている米原さんである。
『ジェンダーが言葉の表現として表れるか、あるいは言語外の様式や習慣として表れるかは、民族や
国によってそれぞれ異なると思います。ヨーロッパの習慣にレディファーストがありますが、必ずし
も女性が尊敬されているわけではないし、また最近の日本では夫婦別姓が話題になってるけれども、
それですべてが平等になるかというとそうではない。中国や韓国は伝統的に夫婦別姓だけど、では日
本より女性の社会進出や権利拡大が進んでいるかというと、そうは言い切れないでしょう。形に表れ
ないからといって差別がないということではないと思うんです。』
言い方を変えただけでは差別はなくならない。その言葉にしみついている差別意識というものは、言
葉の問題ではない。というような認識はある、と思う。しかし世間一般はそうはとらえない、という
ことなのだろうか。そこにこそジャーナリズムの出番だと思うのだが、日本ではそれも期待できない。
メディア自らが自己規制とかなんとか。あ~あという感じ。触らぬ神に祟りなし、なのか。

「心の視力」 オリヴァー・サックス 太田直子訳 早川書房 ★★★
視るということは、網膜に映されたものを理解できるということだ。生まれつき視神経に問題があっ
て見ることができなかった人は、手術でその障害が取り除かれれば視えることになるのかというと、
そうではない。しかし、逆の立場も成り立ちうるということがだんだんわかってきた。
『認知神経学者は二、三〇年前に、脳はかつて考えられていたように回路が固定されているわけでは
ないことを知った。ヘレン・ネヴィルはこの分野のパイオニアの一人で、言語習得前難聴者(つまり、
二歳くらいになる前に耳が聞こえなかった、または聞こえなくなった人々)の場合、脳の聴覚野は退
化していないことを示した。その部位は変わらず活動的で機能するが、活動も機能も新しくなる。つ
まり視覚言語を処理するように変化する――ネヴィルの言葉を借りると「再割り当て」されるのだ。
生まれつき目が見えない、あるいは幼いときに目が見えなくなった人についての類似の研究は、視覚
野の一部が音と触感を処理するように再割り当てされて使われる場合があることを明らかにしている。
 このように視覚野の一部が再割り当てされることで、視覚障害者の聴覚や触覚などの感覚は、目の
見える人にはおそらく想像もできないほど、素晴らしく鋭くなりうる。一九六〇年代に球面を裏返す
方法を示した数学者ベルナール・モランは、六歳のとき緑内障で失明した。彼は自分の数学の業績に
は、特別な種類の空間感覚が必要だと感じていた――それは目の見える数学者がもっていそうにない
触知覚と想像力だ。貝類学者のヒーラット・ヴァーメイが、貝殻の形と輪郭の微妙な違いをもとに多
くの新種の軟体動物を正確に叙述した業績も、同じような空間や触覚の能力が中心になっている。ヴ
ァーメイは三歳のときに失明している。』
視るとはいったいなにを指すのだろうか。サックス博士は自分の経験などからこれらの問題について
考える。自身右眼にメラノーマ(黒色腫)をわずらい視力を完全に失っているのだ。そんなサックス
氏は二〇一五年八月三〇日に眼にできた早期のメラノーマが肝臓に転移し、がんのため死去している。
八二歳でした。ご冥福をお祈りいたします。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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