ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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菓子工場で読書
チョコレートファクトリーではない。長期のアルバイトだったと思う。出勤すると作業用の服に着替
える。今日はどこどこの作業場と指示される。いろんな機械がある通路をくねくね歩いて本日の現場
へいく。機械の銘板をみる。ドイツ製だ。高価なんだよ、とチーフにいわれる。ここはキャンディの
製造、包装までの工程。慣れない作業だからあっというまに昼休みの合図がなる。おおきな食堂へい
き、定食ともう一品きつねうどんの食券を買う。若かったのだな。肉体労働のあとの食事は格別であ
る。バレーボールなどやる連中を横目に、ロッカー室にもどる。本を手に片隅のベンチに腰をおろす。
読みながら、こんなことをしていていいのかと自問する。しかし、働かざる者食うべからず。そうな
のだ、とりあえず食うぐらいは稼がなくては。それから後のことは、どうする。そこが問題なのだが、
生来ののんきな気性からか特に不安になるような気配には、いっこうにならなかった。

N7003雪化粧

「インディアスの破壊についての簡潔な報告」 ラス・カサス 染田秀藤訳 岩波文庫 ★★★
わたしなら大量虐殺というと、ナチスのユダヤ人虐殺とスターリンの粛清を思い起こす。しかし、本
書に書かれているスペイン人によるインディオの殺戮はそれに勝るとも劣らない。コロンブスが新大
陸を発見して以来、おおくのインディオの生命が奪われた。これは厳然たる歴史的事実である。ただ
その死者数については異論もある。ラス・カサスは書いていないが、インディオに免疫性のなかった
ヨローッパ伝来の天然痘、麻疹、チフス、インフルエンザなどの疫病の流行がインディオの人口激減
の最大要因であったのも事実だ。それを差し引いても多くのインディオが征服戦争の犠牲者になった
ことに変わりはない。では、なぜそんなことができたのか。学者セブールベダの議論はこうだ。
『セブールベダがスペイン人によるインディアス征服を正当化するために挙げた理由は以下の四つで
ある。(一)インディオはアリストテレスのいう「先天的奴隷」、つまり、生まれながらにして理性を
欠き、愚鈍であるゆえに、理性を具えた人(スペイン人)に従うべき「自然奴隷」である、(二)インデ
ィオは偶像崇拝や人身犠牲など、自然に反する罪を犯している、(三)圧政的支配(人身犠牲など)から
弱者(供犠となる人びと)を救う、そして(四)インディオをキリスト教世界へ導きいれるのはスペイン
国王がローマ教皇から授かった使命(義務)であり、その目的を達成するために軍事力を行使するのは
やむを得ない。』
だがインディオはスペイン人たちをどう見ていたのか。捉えられたキューバ島のカシーケ(首長)の
アトゥエイと修道士との会話は次にようなものであるという。
『修道士はアトゥエイに、「もし私の話を信じるなら、栄光に満ち溢れ、永遠の安らぎが得られる天
国へ召されるが、信じなければ、地獄に落ち、未来永劫に罰を受け、苦しむことになる」と語った。
カシーケはしばらく考えてから、「キリスト教徒も天国へ行くのですか」と尋ねた。聖職者は頷いて
答えた。「ええ、善良なキリスト教徒であれば」と。すると、アトゥエイは言下に言いはなった。「
天国などには行きたくない。いっそのこと地獄へ落ちたい。キリスト教徒がいるようなところへ行き
たくもないし、二度とあんな残酷な連中の顔を見たくもない」と。』
こんな記述もある。
『じつに稀有なことだが、インディオが正当な理由と神の正義にもとづいて、時にキリスト教徒を数
名、手にかけることがあった。すると、キリスト教徒はそれを口実に、インディオがキリスト教徒の
生命をひとつ奪うごとに、その仕返しに一〇〇人のインディオを殺すべしという掟を定めたのである。』

「プルーストとイカ」 メアリアン・ウルフ 小松淳子訳 インターシフト ★★★★
副題に、読書は脳をどのように変えるのか?とある。アプローチの仕方はいろいろとあるだろうが、
筆者はディスレクシア(読字障害)に注目する。ことばのもつ音と書かれた文字には本来なんの関係
もない。恣意的である。だがそれを習わなければ字を読むことができないし、理解もむずかしくなる。
ディスレクシアとは読字習得に苦戦する脳をもつ人たちのことである。有名な人たちでいえば、トー
マス・エジソン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アルベルト・アインシュタインがディスレクシアだと
言われている。知能はすべて文字を通して測れるものなのか。口頭試問でも可能なのか。知能テスト
の限界はこのあたりにあるのかもしれない、と私は思う。
『ディスレクシアは、脳がそもそも、文字を読むように配線されてはいなかったことを示す最もよい、
最もわかりやすい証拠である。私はディスレクシアを、脳の編成がまったく異なったものになりうる
ことを日々の進化のなかで思い出させてくれるものだと考えている。文字を読むには不向きでも、建
築物や芸術作品の創造やパターン認識に不可欠な編成もある。パターン認識の舞台が古代の戦場であ
ろうと、解剖のスライドの上だろうと、変わりはない。』
この障害は案外気づかれにくく、単に知能の発達遅滞とまちがわれることもおおい。
『どんな形のディスレクシアを抱えている子どもも、“頭が悪い”わけでも“強情”なわけでもあり
ません。もちろん、“やる気がない”わけでもない。三つとも、最もよく使われる謂れのない表現で
す。しかし、彼らは、自分自身も含めて、大勢の人々に何度となく、誤って、こう決めつけられてい
ます。』
そもそも脳は言語に対応しているのか、という問題もある。
『先祖代々の読み手の脳はそれぞれに、シンボルとしての文字を読むために複数の脳領域を接続する
術を学ばねばならなかった。現代の子どももみな、同じことを学ばなければならない。世界中の幼い
読字初心者たちが、読むために必要な視覚システム、言語システム、運動システムすべてを連結する
方法を学習しなければならないのである。これらのシステム自体は、古くからある脳の構造物を利用
せざるを得ない。そこで、それらの構造物の特殊化された領域は、順応し、無理やり働き、自動化す
るまで練習を積まなければならないことになる。』
ヒトはことばを獲得したことによって得たもの、失ったものがあるのだろう。それと幸せははたして
どうリンクしているのかと考えだすと、スパイラルのなかに落ちこんでいく。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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