ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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歩きながら読書
読書に最適な場所はといえば、まず電車のなかと答える。かすかな振動と静かな車内が読書意欲をか
きたてる、とわたしは感じるわけだ。短い通勤時間のなかでは切りのよいところで駅に着くとはかぎ
らない。では、どうするのか。そのまま読み続ければいいのでは、と考える。もちろん周囲には気を
くばりつつ歩きながら読書を続けるのである。ホームで終わればいいのだがエスカレータまで、ある
いは改札口までということもある。しかしながら、あまり頭にははいらない。結局またすこし戻って
読みはじめることになることがおおい。だがもし、歩きながら読書を続けていて美人とぶつかったり
したらどうなるんだろうと妄想する。わたしの落とした本を拾いながらにっこりと微笑む美女の口か
らもれるのは、おだいじにという不可解なもの。えっ、どういう意味なんだろう。変人認定されたの
だろうか。がっくりと肩をおとしてまた本を読むのであった、というオチがいいところだ。

N7428沈丁花

「つながり進化論」 小川克彦 中公新書 ★★★
副題に、ネット世代はなぜリア充を求めるのか、とある。「リア充」とは、リアルの生活が充実して
いることだそうだ。こんなことばが生まれるということは、逆にリアルでない世界の比重が暮らしの
なかで増えていることを示しているのだろう。ネットの世界のそもそもの始まりは電話である。電話
とはもともとは「家の電話」を意味していた。それが「家族の電話」になり、「自分の電話」へと変
化していった。家、家族をへて連絡をとりあっていたのがいつのまにか直接つながるようになった。
家の電話なら、まずでた人に挨拶し用件を話さなければならない。それが面倒というか、ひとつの関
門でもあった。携帯電話になってそれがなくなった。つまり、ひとつ社会的な接触の機会が減ったの
だ。これがいいことなのか、まずいことなのか。本書のなかで、西垣通氏が述べていることが引用さ
れている。孫引きになるが以下にあげてみよう。
『まず、脳で喜怒哀楽を感じ、その結果として身体反応がおきるのではない。まず、身体反応が発生
して、それを脳が「経験」するのだ。』
むかしからいわれていた「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ」ということである。現
代においては主流の考え(実験でも確かめられている)だが、そこがわかっていないと変な方向に教
育などむかってしまう。頭は身体の一部であるということがわかっていないと困る。身体を鍛えると
いうことは頭を健康に保つことつながるのだろう。そういう意味ではイギリス人のパブリックスクー
ル出身者などは幼いころから実践されているようだ。あたまでっかち、などなりようがない、のかな。
ネットばかりの弊害がいわれて久しいが、その対策に首をひねることが多い。
『メールでもネットコミュニティでも、最初は「おはよう」や「こんにちは」の挨拶から始まる。い
つも一緒の仲間のつながりはもちろん、見ず知らずの偶然のつながりでも同じだ。ケータイメールの
つながりには返信しないといけないと思うのに、リアルでは返礼もしないことが多い。』
これが小川先生の学生たちに対する感想である。ネットのつきあいは気楽でいいと思っていたものが、
面とむかっていないので文章だけからしか判断できない。そのことによる齟齬が増えてきているので
はないか。ヒトはそもそもそのようには進化してきていない。そこらへんのバランスを考えるときに
きているのだろう。

「動物感覚」 テンプル・グライディン キャサリン・ジョンソン
                  中尾ゆかり訳 NHK出版 ★★★★

本書は自閉症の動物学者が自分の目で動物を観察し、自閉症であるから知り得たことを動物学者の立
場から述べた点が非常にユニークである。自閉症あるいは統合失調症などは程度の差こそあれだれも
がその資質をもっているといってもそう的外れではないだろう。では動物と人間はどこがちがうのか。
『動物と人間の情動の大きなちがいは、動物には人間のような心の葛藤がないことだ。動物は相反す
る感情をもたない。動物同士や人間と愛憎関係にならない。これは人間が動物をかわいがる理由のひ
とつといえる。動物は忠実だ。人を好きになったら、とことん好きだ。外見や収入など気にしない。
 これは自閉症をもつ人と動物のもうひとつの接点になっている。自閉症の人の感情もほぼ単純だ。
だから、ふつうの人は私たちを純真だという。自閉症の人の気持ちは、動物の気持ちと同じように率
直で赤裸々だ。自分の気持ちをかくさないし、気持がゆれ動かない。同じひとりの人間に愛情と憎し
みを抱くなんて、どんな気がするのか私には想像すらできない。』
こんな話はどうだろうか。人間がオオカミを飼いならして犬に変えたという話はよく聞く。だが、オ
オカミのほうが人間を飼いならしたとしたらどうだろう。人間はオオカミとともに進化したのだ。
『オーストラリアの考古学者のチームはあらゆる証拠を調べて、原始人はオオカミと仲間だった時代
に、オオカミのように行動して考えることを学んだと確信している。オオカミは集団で狩りをし、人
間はしていなかった。オオカミには複雑な社会構造があり、人間にはなかった。オオカミには同性の
非血縁者のあいだで誠実な友情があり、人間にはなかった。これは、今日のほかのどの霊長類の種に
も同性の非血縁者のあいだで友情が見られないことから判断できる(チンパンジーは親子関係が中心
だ)。オオカミはなわばり意識がきわめて強く、人間は――これまた、今日のほかのどの霊長類にも
ないことから判断すると――おそらくなわばり意識は弱かった。』
これだけの根拠ではすこし弱い気がするが、次の文章は説得力があるのではないか。
『新しい発見でいちばんの驚きは、たぶん、役に立つ新しい習性をたくさん私たちに教えただけでは
なかったということだ。おそらく、私たちの頭の構造も変えた。化石を見ると、種は飼いならされる
とかならず脳が小さくなっていることがわかる。馬の脳は一六パーセント、豚の脳は三四パーセント
も、そして犬の脳は一〇から三〇パーセント小さくなった。こうなったのは、おそらく、動物は人間
に世話をされるようになると、生活するために使う脳のさまざまな機能がもはや必要ではなくなるか
らだ。どんな機能を失ったのかわからないが、どの家畜も野生の動物とくらべて、恐怖と不安が減少
したことはわかっている。
 今では、人間が飼い犬を正式に埋葬するようになった一万年前から、人間の脳も小さくなってきた
ことが考古学でわかっている。犬の脳と同じように一〇パーセント小さくなった。興味深いのは、脳
のどの部分が小さくなったか、だ。家畜はどの種も、前頭葉がある前脳と、左右の脳をつなぐ脳梁が
小さくなった。ところが人間では、情動と知覚情報をつかさどる中脳と、嗅覚をつかさどる嗅球が小
さくなり、一方、脳梁と前脳の大きさはほとんど変わっていない。犬と人間の脳は専門化されたのだ。
人間は仕事の計画と組織化を引き受け、犬は知覚の仕事を引き受けた。犬と人間はともに進化して、
よき伴侶、よき仲間、よき友達になったのだ。』
なかなかの説得力だが、ほかにも解釈の仕方はあるように感じられる。しかし興味深いし卓見だ。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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