ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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フィクションか実話か
ブログなど書いていると、これって実話ですかと訊かれたりする。
フィクションの部分もあるし、実話に基づくところもある。
それにどちらかにきっちりと区別できるものではないしなあ、と思う。

そこらあたりを説明すると、いや、だからどっちなのと再質問がくる。
えっ、だからご説明申し上げたようなことなのですが。
もしかして、自分で考えるということを放棄しているのですか。
こういう方に哲学はむかない、かな。
というより哲学なんてことを考えなくても生きていけるたくましいひとなのだ。
(あるいは、そういう哲学の持ち主なんだな)
であるから、ある種尊敬の意味もこめてこう答えることにしている。

「まったくのフィクションですよ」
「まあ、妄想といってもいいですけど、はっはっは」

N7458エレベータ内

だが、こだわる方はたしかにそこそこ存在する。
白黒つけたいというやむにやまれぬ気持ちがあるのだろうか。
わたしなどつい、どちらでもいいけどなどと思うほうだ。
それより話の中身そのものだろ、と突っこみたくなる。

書きながらふと考えてみると、フィクションか実話か、われながら判然としない。
そこで思うのは、水とお湯の境ってあるのだろうかと。
水とお湯というそれぞれの概念はある(日本語には)。
英語だとお湯はホットウォーター、か。
すこしニュアンスにちがいがあるな。

思考および言語は分けることから始まるといわれる。
分けられるものと分けられないもの。
思考のなかでは、すべて分けることができる。
で、現実にもどって、どこからが水でどこからがお湯なのと。
うーん、連続しているんだな。

冷たい熱いは、主観的なものでしょ。
客観化するなら、温度で表しなさいよ、と。
そういうことなのかなあ、まあ一理はある。

ものを書くということは、書き手の視点からのものである。
(たとえば客観的な歴史などというものは存在しない)
(仮に存在したとしても、それを歴史とはよばない)
(歴史とは、ある歴史家が書いたものでしかない)
あるいは、バイアスがかかっているといってもいい。
(このあたり不確定性原理を思いうかべるんだな)
だから、究極的にはすべてフィクションなのだ。

というようなことで、よろしいでしょうか。

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遠くに眺めるのも好きです。
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