ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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伝言板横で読書
そのころ多くの駅には伝言板というちいさな黒板のようなものが備えられていた。待ち合わせに遅れ
てくる相手に先に目的地にむかうと書いたりした。だからか、ここが集合場所に指定されたりもした。
そのときは、すこし離れた位置に立っていた。ときどきは改札口のうえにある時計を確認もした。早
く来すぎたかもしれない。でも遅れるよりはいい。そう言いきかせてみてもなかなか時計の針はすす
まなかった。しかたがないから、かばんから本をだして読んでいた。ちらちらと改札口を見る。もう
来ないのかなあ、などと思いながら本の同じところばかり読んでいた。また電車がはいってきた。た
くさんの人が改札口からでてくる。だがいない。最後のほうにおばあさんがゆっくりと歩いてきた。
やっぱり乗っていない。来ないのかなあ。そのとき、突然後ろから肩をたたかれた。おはよう、って。
びっくりした。どうして後ろからと振りむたら、笑顔いっぱいの彼女にすいこまれてしまった。

N7824蜻蛉

「本の花」 平松洋子 本の雑誌社 ★★★
最初に向田邦子さんの「嘘つき卵」(文藝春秋)があってなつかしい。読んだはずなんだが、まった
く思いだせない。そうなのだ。人によって感じるところがちがう。だけど彼女の本は好きだ。まあ、
ベスト・テンには楽勝ではいる。そんなランクをつけたことないけれど。孫引きで申し訳ないけれど、
そのエッセイのなかの「ゆでたまご」を平松さんが引用している。クラスに片足の悪いIという子が
いた。遠足の日に級長の自分のところにⅠの母親が大きな風呂敷包みをもってきた。受け取って中身
を見ると古新聞にくるんだ大量のゆでたまごであった。でも、いらないと断れなかった。
『「歩き出した列の先頭に、大きく肩を波打たせて必死についてゆくⅠの姿がありました。Ⅰの母親
は、校門のところで見送る父兄たちから、一人離れて見送っていました」
級長をつとめる女の子らしい繊細な目配りの描写のあと、こう続く。
「私は愛という字を見ていると、なぜかこの時のねずみ色の汚れた風呂敷とポカポカとあたたかいゆ
でたまごのぬく味と、いつまでも見送っていた母親の姿を思い出してしまうのです」』
愛かあ、と思う。でも、愛なんだろうな、とも思う。なんだか涙がでてきそうである。昔はたまごは
貴重品(高価)だったから、なんとなく母親の気持ちもわかるんだよなあ。それと自分自身のことな
のであるが、ある時「愛」の字を見て何と読むのかわからないことがあった。うろたえた。なんとな
く大切なというか重要な概念だというのはわかるのだが読めない、意味がわからない。しばらくして
その症状(?)は消えたが、自分が冷血漢であるかのような気分に陥ったことがあった。漢字ってあ
る意味やっかいなところがある。では、もうひとつ平松さんは本を読むだけじゃなく、自分でも体験
しようとすぐ出かけるところなんか、好きだよなあ。「スバらしきバス」平田俊子(幻戯書房)につ
いての書評にこう書く。
『憧れと羨望にまみれ、わたしも地元の循環バスに乗って二巡してみた。座席は、ちょっと迷って一
番後ろの隅っこ。のんびりぐるぐるするうち、日常のあわいで半身浴をするような心地に浸りこんだ。』
最後に、書評は誉めるばかりではおもしろくない(仕方がないか)。斎藤美奈子女史や高島俊男さん
のように辛口評論もきかせてほしいと思うのは、高望みでありましょうか。

「言葉のない世界に生きた男」 スーザン・シャラー 中村妙子訳 晶文社 ★★★★
筆者のシャラーは聾者でも言語学者でもない。しかし十七歳のころからアメスラン(アメリカ手話)
の世界にはいっていった。そんな彼女でも言葉なしで生きていける人間がいるなどと思いもしなかっ
たのだ。あるときある会場に手話の通訳をするつもりででかけたが、そこにそんな人がいたのだ。彼
の名はイルデフォンソといった。生まれながらに耳がきこえなかったし教育も受けていないし、言語
も学んだことがない。だからもちろん手話も知らない。そんなイルデフォンソが会場の片隅にぽつん
とひとりいたのだ。彼女が身ぶりで挨拶して名前のサインを送ると、彼はそれをそっくり真似てきた。
さて、どうしたらいいのだろう。シャラーの奮闘がここからはじまるが、しばしば無力感に襲われる。
『何十年ものあいだ、意味のない、沈黙の世界で暮らしてきた人間が言語とは何か、抽象的なコミュ
ニケーションとはどういったものか、ずっと後になってから、はたして理解できるものだろうか?』
いろんな文献を探してみるが、そういった経験、研究はみつからなかった。これからはわたしが手探
りでやるしかない。幸いにも、彼は好奇心は旺盛のようにみえた。目の見えない人の世界を想像する
には目を閉じればいい。しかし聾者の世界というのは耳をふさいだところで理解することはできない。
『言葉を用いることを知っている聾者でもしばしば、聞くという機能について理解していないことが
多い。生まれながらの聾者にとっては、意味が音声を通じて伝えられるということ自体、こっけいに
思われるのかもしれない。』
まずこの世界には言葉があって、それでおたがいの気持ちを伝えあっているということを彼に教えな
ければならない。いま現在、彼にとって手話はなんの意味ももっていないのだ。そんな彼が身ぶりで
はなく、サインの意味を理解する瞬間がやってきたときには思わず涙がでそうなほど感激するだろう。
人のもつ可能性というのはいろんな困難な状況をも超えていけるのだ。学生時代に「アヴェロンの野
生児」を読んだとき以上の感動をおぼえた本書であった。人間というのはこんなにすごいのに、反面
どうしてそんなことをするのか、ということもある。すべてひっくるめての人間なのだろう。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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