ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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記憶の意味
記憶をなくすと自分というものもなくなってしまう。
想像してみればいい。
自分が誰だかわからないのだ。
もしかすると、誰かであるということすら考えられない。

「あれっ、なにも思いだせない」
「いままで、なにをやっていたのだろう」
「うーん、わからない」
「ここはどこなんだ」
「どうしてここにいるんだろう」
「わたしって、だれなんだ」
「だれか、わたしのことを知らないか」
「絶海の孤島にひとり生きているような感じがする」
「群衆のなかにいるのに、ひとりぼっちだ」

記憶とはアイデンティティのことだといってもいい。

個人は、だれかが誰誰くんなどと呼んでくれることにより存在する。
絶海の孤島にひとりでいるなら、自分という概念は不要だ。
たぶん、鳥や魚が仲間だという認識に達するかもしれない。
(ペットは自分が人の仲間だと思っているのではないか)

なぜこんなことを考えるかというと、
ある朝起きたときにそんな感覚を経験したことがあったからだ。
とてもうろたえるというか、混乱したことを思いだす。

ある種の宗教体験にそのようなことがあると読んだことがある。
記憶がなくなると自己というものが希釈されていくだろう。
自己拡散というのか、自己と他者のというより宇宙との境界がなくなっていく。
一体になるといったほうがいいのだろうか。
つまりは死という概念もそこには成立しないのだろう。
だから多幸感にみたされるのだという。
(逆説としての死はあると思うのだが)

N8228あじさい等

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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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