ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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汀で読書
これからどうしようか。もう、昼はすぎている。おもわず顔を覆った手をうとましいと感じた。どう
するのがいいのか分からない。メシを喰うという気分でもなかった。ふらりとしたとき、陸揚げされ
ている船縁に手をついた。どこかから流れてくる煙にむせた。海辺でなにかを燃やしているようだ。
振りかえったときに目についた商店まで歩いていった。缶ビールとアンパンを買った。お金を払いな
がら、なんだよこの選択はと自分を笑った。笑うとすこし気持ちが楽になる。店番のおばさんに目礼
をしてからまた波がよせているところまできた。砂の上に座って遠くをながめる。空はまぶしくて、
あかるくて別世界にいるような気がした。どうせなら、もっとちがう世界にいこうと手持ちの本をひ
らいた。文字は飛びこんでくるが、まるきり意味がわからない。これって日本語だよな。それはわか
る。だが、なにが書かれているのかまったく理解できない。しかたなく、ビールをぐびっと飲んだ。

N8242フクシア

「晴れた日に永遠が…」 中野翠 毎日新聞社 ★★★
図書館でパラパラとめくっていたら、大瀧詠一の写真が見えた。そう、あれは大晦日だった。突然の
訃報におどろきとなんともいえない気持ちになったことを思いだす。1Kのアパートでひとり暮らし
ていたころのこと。休日には、駅前で買ってきた焼き鳥と缶ビールで昼下がりをすごす。寝転んで天
井を見ながら彼のFM番組を聴いていた。あの声が好きだった。ときどき語られる音楽論がまたよか
った。変に肩ひじ張らないで、しかし論理的だ。ちまたの音楽評論家とはどこかちがっていた。まあ、
同じ年代ということもあるのかもしれない。いまでいう音楽オタクなのだが、芯が通っている。残念
としかいいようがない。そんなことを、読みながら思い返していた。いまでもときどきCMで楽曲が
流れてくると、なつかしいというよりもの哀しい。で、中野翠さんである。こんなことを書く彼女が
好きなんだな。ひねくれとはちがう、と思いますよ。
『私は旧人類。新聞が好きですね。あらためて新聞のよさを考えることもないけれど、新聞のいいと
ころは、私には全然理解できず、興味もないこともいっぱい載っているところですね。
 政界の話、経済界の話、株式欄などほとんど興味がない(最も興味のあるのは社会面、いわゆる三
面記事である)。新聞を広げると、「こんなにも私には興味のないことが世間においては重大事とい
うことになっているんだなあ。私と世間との間にはこんなにもギャップというかズレというかがある
んだなあ。“私”とは何と小さな偏った関心のもとに生きている人間なのだろう」ということが実感
として迫って来る。』
なにかで新聞の文章を模範にするとかなんとか書いてあるのを見ておどろいた。新聞というのはそう
いうものではないでしょう。ああ、こういうズレが世間と私との間にあると中野さんの本を読んでい
て実感することしかりでありました。

「足利義満 消された日本国王」 小島毅 光文社新書 ★★★★
わたしは今まで歴史というのにあまり興味がなかった。読んでいてもおもしろいと思えないのだ。し
かし小島氏の本はちがった。ふむふむと、なんなく読みすすめることができるのである。
『かつて東アジア世界で日本が日本として生きていくために、まさしく「この国のかたち」のために
活躍した一人の偉大な政治家がいた。三島も司馬もまったく評価してくれない人物だが。
 そう、本書は「日本国王」足利義満への鎮魂曲である。彼は消された日本国王なのだ。』
こんなことを言う人はいままでいなかった、と思う。確か、小島氏を紹介していたのは高島俊男さん
だったが、さすがだ。
『義満が明の皇帝から「日本国王」の称号を得たことは、学校の歴史教科書にも載っている。しかし
ながら、それが何を意味するかをご存じの読者はそう多くないのではなかろうか。本書の主題は、ま
さにここにある。そこで、まずは、義満がこの称号を得るにいたる経緯を簡単に紹介しておこう。
 応永八(一四〇一)年五月十三日、義満は祖阿(そあ)なる僧侶を正使、博多の承認肥富(こいず
み)を副使とする使節団を明に派遣した。明の年号では建文三年にあたる。彼らに託した親書では「
日本准三宮道義」と名乗った。道義は義満の出家後の名である。
 相手の呼称は「大明皇帝陛下」。しかも「上書」という表現を用いている。明らかに臣下が君主に
奉呈する書簡の表現であった。』
これが皇国史観の立場からは気に入らないのだろう。だから義満は逆臣ということになっている。
『夜郎自大という成語は、漢のときにいまの雲南省あたりにあった夜郎という小国の王が、「漢とい
う国とわが夜郎はどちらが大きいか?」と訊ねた故事に由来する。「夜郎、みずからを大とす」。日
本の歴史認識は『日本書紀』以来ずっと夜郎自大であった。蒙古襲来のときもそうだったし、「この
あいだの戦争」のときもそうだった。千五百年の歴史のなかで、謙虚に彼我の実力を比較し、為政者
として最も的確な判断をした点で、われらが足利義満の右に出る者はいない。政治が力の論理で動く
以上、好むと好まざるにかかわらず、為政者はそう選択せざるをえないのである。勢いのよい正論は、
しばしば国を滅ぼす。』
いろいろと勉強になりますね。脇道にそれますが、こんな話もおもしろかったですね。
『そもそも、「幕府」というのは、軍隊の司令官(将軍)が遠征先では幕を張った本陣において指揮
をとったことに由来する漢語である。本書でこれから紹介していくように、東アジア文明圏で生きて
いた当時の公家や僧侶が、武家政権のことをちょっときどって中国風に表現してみただけの用語であ
って、武士たちの自称でもなければ、正規の法制上の名称でもない。室町時代には「公方」という名
称も使われたが、これも正式のものではない。』
なるほどね、そういうことでしたか。山陽、山陰ついては、ちょっと目からウロコでしたね。
『ここでまた余談だが、今川氏は東海道を押さえていたというと、いかにも天下統一に最も近い家柄
というイメージにになるが、これは徳川氏(もと松平氏)が三河出身であることと、近代になって太
平洋側を本州の表側とする地理感覚が生まれたためであって、ペリー来航による「開国」まで、太平
洋側はむしろ裏側であった。表は大陸に面した日本海側だったのである。
 博多・敦賀・直江津。日本海側の港は、大陸に向かって開かれた表玄関であった。建武新政の瓦解
後、新田義貞が足利尊氏に逐われて越前(いまの福井県)に逃れたのは、辺鄙な地方に落ち延びたわ
けではなく、交通の要衝を押さえ、経済的な利点を得るためであった。』
こういうことも学校の授業では教えてくれませんでした。うーん、なかなかおもしろい。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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