ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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お好み焼屋で読書
暑くてたまらない日には、昼下がりの人のすくないころを狙ってお好み焼を食べにいく。おばちゃん
ひとりが切り盛りしているような狭い店だ。焼き台のまわりにぐるっとカウンターがあるだけ。十人
は入れない。いつものように「スジソバモダン」焼きを頼む。このスジはおばちゃんが自分で煮込ん
でいる。というのは向こうにある鍋で確認済みだからだ。おばちゃんが焼きはじめたら、本を読む。
ソースのこげる香ばしいにおいが食欲をそそる。暑い、ビールが飲みたい。しかし、人生には忍耐が
必要ではないか。よりうまく飲むための我慢が。などと考えているといっこうにページがすすまない。
そろそろ焼きあがるころになった。そこで、ビールを注文する。キリンとドライどっち。もちろん、
大瓶のスパードライで。まずはグラスでいっぱいのむ。う~ん、うまい。熱熱のモダン焼きの一片を
ヘラで口にはこぶ。熱い、うまい。すかさずビールをのむ。じんわりと生きている実感をえる。

N8255花と蝶

「損したくないニッポン人」 高橋秀実 講談社現代新書 ★★★★
高橋氏の著作には奥さんがよく登場する。それも対抗勢力として、なかなかの論客なのだ。
『かねがね私は妻に「貧乏くさい」と言われている。貧乏ではなく「貧乏くさい」。貧乏は客観的な
経済状況だが、「貧乏くさい」は生活態度、いうなれば人格である。「くさい」というくらいで、全
身から立ちのぼり、周囲にも影響を及ぼす。貧乏でも貧乏くさくない人はおり、金持ちでも貧乏くさ
い人はいる。貧乏と「貧乏くさい」はまったく別物なのだが、私は貧乏くさいので最悪らしく、そう
なじられるとなおさら損したくなくなってくるのである。』
損したくない人は節約をこころがけるのだろうか。あるいは工夫にかけているのか。おなじようでい
て微妙にちがうこの感覚がひっかっかるのである。ある女性に聞いてみた。
『――「節約」と「工夫」はどう違うんですか?
 彼女はさらりと答えた。
「例えば、パンの耳を揚げてスナックをつくるとします。『節約』の場合は、お金がないから安いパ
ンの耳を利用して揚げスナックをつくる、ということです」
 ――はぁ、それで「工夫」のほうは……。
「『工夫』の場合は、パンを買ったら耳が余っちゃってどうしようかと思って、おいしそうだから揚
げてみたらやっぱりおいしかったぁ! ということです」
 何が違うのだろうか。安いモノを利用するのが節約で、余り物で楽しむのが工夫のような気もする
が、やっていることは同じである。ノリが違うということか。節約のほうは客観的な描写だが、工夫
は誰かに語りかけている。ひとりでやると節約だが、誰かに呼びかけると「工夫」になるのか。前者
のほうは「お金がない」と断言しているので貧乏くさいというより貧乏であり、それを取り繕ってい
る分、後者のほうが貧乏くさいような気もする。』
節約は安くあげるということでもある。では安いものを買う。だがこの安いとはなにによるのだろう。
そこで半額セールを思い浮かべていただきたい。でこの半額はいわゆる定価よりの値引きだ。それと
モノの値段というのもある。定価と値段、おなじようでいてどこか響きはちがうものだ。
『「定価を決めているのは百貨店なんです」
 明快に答えてくれたのは、都内某百貨店に勤務していた土屋信彦さん(仮名)である。今もアドバ
イザーとして百貨店経営にかかわり、この業界の生き字引ともいわれる存在だ。
 ――やっぱり定価ですよね。
 私は思わずうなずいた。割引やらポイントやら一向に定まらない値段の中で、「定価」という響き
にはすがりつきたくなるような安定感がある。
「メーカーはまず百貨店に商品を入れる。その時にメーカー側が仕入れ価格に利益をのせた値段を付
けてきますので、それをそのまま『上代』にするんです」
「上代」とは百貨店が販売する際に付ける値段、すなわち「定価」のこと。ちなみに「下代」は仕入
れ価格を意味するらしい。
 ――交渉とかしないんですか?
「値段についてはほとんどしません。商品を置くか置かないか。どこに置くかという判断だけです」
 ――それで商売としては大丈夫なんでしょうか?
 私がたずねると、土屋さんが微笑んだ。
「商売というより、定価がないとみんな困るでしょ。割引するにしても定価がなければ、どれくらい
の割引なのかわからないでしょ」
 ――そうですよね。
「ですからまず、百貨店が定価を決めて世に出す。その後にメーカー側は量販店に卸して割引を始め
る。百貨店は定価。つまり価格を決めるという役割を担っているんです」』
うーむ、そういうことだったのか。さらに高橋氏は考察をすすめる。
『もしかすると「価格」と「値段」別物だったのではないだろうか。早速『日本国語大辞典』(小学
館 1970年)で調べてみると――、

 ・価格/物の価値を貨幣で表したもの。
 ・値段/売買の相場。

「価格」とは、貨幣で表す価値の「格」で、「値段」のほうは現実の市場取引そのものを意味してい
るのだ。価格は自分で格付けするようなものだが、値段のほうは市場に委ねられることになる。自分
で格付けしようとすると商品に対する自信が問われるが、値段は気楽。「高くすればいいじゃん」と
上げられるし、それで売れなければ「安くすればいいじゃん」と下げればよい。一方、格付けは揺ら
ぐべきではなく、だから価格とはすなわち定価なのである。』
損したくない日本人はどうやら貧乏くさいような気がしてきた。

「真夜中の太陽」 米原万理 中央公論新社 ★★★
米原さんは通訳の仕事上いろんな方と知りあいになる。ときに、なるほどという情報に接することも
ままあるのだ。たとえば、商社の方の養殖魚に対するこんなご意見。
『「御社だって、養殖やってるじゃないですか」
「だから、よーくわかってるのよ。生け簀みたいな狭いところに自然より何倍も密集した形で魚を飼
っていると、運動不足のストレスで必ず感染症が蔓延する。それを防ぐために、配合飼料に抗生物質
を混ぜる。そのせいで、生け簀の魚の四代目五代目になると必ず奇形になる。切り身にしてしまうか
ら、消費者は、そのことを知らないで喜んで買うけれどね。米原さん、買うなら、鰯やサンマみたい
な安い魚がいいよ。養殖しても元とれないから、天然物ばかりだからね」』
そのせいか最近ではヒトは死んでもなかなか腐敗しにくいのだそうだ。食物の中にはいっている防腐
剤やら抗生物質やらなんやらのせいだそうだ。養殖もの恐るべし(笑)。こういう事実が知れ渡ると
養殖ものの価格は高騰するのだろうか。いや、世間はすぐ忘れるのかもしれない。いや、忘れてしま
いたい、のかもしれない。喉元過ぎれば熱さ忘れる。すこし考えればわかることばかりだ。だが、こ
とはそう簡単ではないのである。
『たとえば、先ほどのキリストの産着の切れ端とやらが、万が一紛れもない本物だったとしても、キ
リストの教えを敬う信仰心と、キリストに関係したモノを崇める心とは、本来無関係なはずだ。
 などと偉そうに論ずるわたしとて、モノ信仰から完全に自由であるわけではない。フェラガモの靴、
グッチのバッグというだけで、ふつうの靴やバッグの十倍の値段を、安いと思いこんだりするのだか
ら、ブランド崇拝は原始的な宗教に通じるところがあるのだろう。』
これぞまさしく信じれば救われる(?)、ということなのではないか。キリストに神にブランドにす
がって生きるしかない哀しいヒトという種なのだろうか。種を救いたまえ。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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