ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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ガード下で読書
ガタンゴトンと電車の通過音が響く。ときおりタクシーのヘッドライトの灯かりがあたりをかすめて
いく。フラフラと歩いてゆく酔客もとおる。駅の改札口はすぐそこだ。錆止めだけをほどこした鉄骨
に背をあずけて本を読んでいた。ときどき改札方向に目をやる。待ち人来たらず、かあ。しかたがな
い。なにか急用でもできたのだろう。どこかでいっぱいやって帰るか。線路沿いに歩いていくと何軒
かガード下に飲み屋がある。道路にはみだしたテーブルに座ってビールをたのんだ。煙とともに焼鳥
のにおいが漂ってくる。「どうして待っていてくれなかったの」「もう、来ないかと思ったんだよ」
「いい若者がこんなところで飲んでいていいの」「夢も希望もないよ」「なに、言ってるのよ」はじ
めて彼女の顔を見た。「人間の可能性は無限だ。同様に、人間の不可能性も無限だ。ってジンメルが
言ってる」「じゃあ可能性に賭ければいいじゃない。お姐さん、わたしにもビール」「参りました」

N8539晩秋

「紅茶を注文する方法」 土屋賢二 文藝春秋 ★★★
なんだか精神的に疲れたように感じるとき、土屋氏の本を読む。ものごとの考え方感じ方は人それぞ
れである。読んで痛感しつつ、なんだか疲れがとれるようだ。良い悪いではない。一言断っておく。
一過性の肥満という文章があった。これなどなかなか含蓄に富んでいるのではないか。
『多くの女は肥満を恐れている。日本の行く末やプロ野球の将来よりも恐れている。
 それほど肥満を恐れているにもかかわらず、多くの女は、多少太っていても明るく暮らしており、
深刻に悩む様子がない。彼女たちの食べ方を見ても、肥満を望んでいるとしか思えない。』
彼女らはこれを一過性のものだと考えているのではないか、と土屋氏は考察する。
『どんなものでも、一時的なものだと考えると救いになることが多い。たとえば歯医者での痛みは、
一時的なものだと思うから我慢できるが、もしその痛みが永遠に続くと思ったら、どんなに軽い痛み
でも耐えられないだろう。受験勉強も合格するまでの一時的な苦労だと考えるから耐えられるのだし、
妻の小言もいつかはやむと思うから我慢して聞くふりをしていられるのだ(だが、小言をいわなくな
る日は永遠にこないだろう)。』
前提あるいは条件などを追加するあるいは変更すると、答えは劇的に変化するのだ。哲学とはこうい
うものではないか(?)。愛が分からない、と土屋氏は書く。
『愛することがどういうことかを女がどこから割り出しているのか、謎というしかない。
 これまでの血のにじむような経験で知りえたかぎりでは、愛するとは次のことである。
 ハンドバッグは買うが男物のカバンは買わない、どんな料理を出されても明瞭な声で「おいしい」
と賛嘆しつつ一口残さず食べる(スーパーの総菜売り場で買ったものは賛嘆しない)、虎屋の羊羹は
全部相手に譲る、何か頼まれたときは嫌な顔を見せない、催促されても嫌な顔を見せない、再度催促
されたときは、病気など、納得してもらえる理由を用意している、数十年前の約束や相手の誕生日な
どを忘れない、相手の名前を忘れない、お茶をいれてくれとか新聞をとってくれなど頼まない(とく
に相手が睡眠中であったり、熱を出していたりするとき)、服や髪型が変わったらすぐに気づく、相
手が別人と入れ替わったらすぐ気づく、相手が食べるものの中に、賞味期限切れのものや床に落とし
たものをこっそり混ぜたりしない、危険な場所へ先に行かせるようなことをしない、などだ。』
なかなか哲学も役に立つ、と思われるのではないでしょうか。考察は続く。
『店の近くを歩きながら考えた。「中年女も一人なら静かだ。静寂をいくら集めても音は生じない。
ゆえに中年女が何人集まっても静かだ」という推論は明らかに誤りだ。これは「壁そのものは部屋で
はない。天井も床も部屋ではない。部屋でないものを集めても部屋は生じない」というのと同じ合成
の誤謬を犯している。
 わたしの研究では、中年女の騒がしさは、人数の三乗に比例するのである。むしろ、「中年女が集
まると騒がしい。ゆえに一人でも騒がしい」という分解の論理のほうが正しい。』
いかがでしょうか。納得されましたでしょうか。怒ってはいけません。最後に。
『よく「一人寝の淋しさ」といわれますが、ふとんの中にはダニが何万匹もおり、身体の中には何万
という細菌が住んでいます。あなたは一人で生きているわけではないのです。』
こうした土屋氏の文章がおもしろいと思えたら、あなたはもう哲学者である。

「旅行者の朝食」 米原万里 文藝春秋 ★★★
書名からわかるように食べ物であり料理の話だ。なんとなく知っているようなことが案外そうではな
かったということをこういう本から知る。エッセイってある意味小論文というか試論である。でない
ような駄文は読む気がしない。エッセイストといえばヴォルテールとかソローとか日本なら鴨長明、
内田百閒あたりが思いうかぶ。米原さんなら並んでおかしくないと思うんですが。
『フランス料理では、前菜→スープ→メインディッシュ→チーズ→デザートという順番に従って一皿
ずつ料理が運ばれてくる。『新ラルース料理大事典』(同朋社出版)で「セルヴィス」の項を引くと、
こういう給仕のやり方をロシア式サービスとしている。十九世紀初めぐらいまでは、フランス式サー
ビスというのが主流で、全ての料理をいっぺんにテーブルに盛っていたらしい。客は好きなものを各
自勝手に取って食べれば良かったから、いちいちボーイに料理を注文する必要がなかった。』
へーそうなんだ。知らなかったですね。食べ物についてはフランスが標準かと思っていました。次に
あげるようなことの連想も働いていたんでしょうね。
『イギリスには三百の宗教と三種類のソースがある
 フランスには三つの宗教と三百種類のソースがある』
米原さんは父親譲りの大食いだったらしいが、意見は率直だ。神戸に来たときのこと、これには我が
意を得たりである。ほかにはいろいろおいしいものに出会ったようですが。
『店のはす向かいの行列に並んで、「老祥記」の作りたて豚まんじゅうを食べる。列を制御するおば
さんが不愛想なので、彼女が売り疲れるほど評判なのだなとかなり期待は高まったが、並ぶほどの価
値はなかった。でも三個の豚まん、残すわけにいかず、平らげる。』
行列は不思議な作用を及ぼすようだ。だが味は自分で判断しなければいけない。といいつつも味の好
みは人それぞれである。しかしながら同感ですなあ(笑)。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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