ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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スキー場で読書
バスの添乗のバイトでスキー場に行った。夜行のバスで途中チェーンの装着などあった。着いた所は
湯田中だった。路線バスならワンマンも可能だが、観光バスはそうもいかない。法律でふたり以上の
乗務が義務づけられていた。で宿に着くと帰路まではなにもすることがない。運転手さんたちはのん
びり温泉三昧である。スキーをしてきてもいいぞといわれたが、そんな気はなかった。宿にいてもす
ることもなく退屈なのでスキー場まで歩いて行った。ゲレンデが見わたせるロッジの食堂でビールを
頼んだ。雪の白さがまぶしい。若者たちはワイワイと楽しそうだ。おれだって若者なんだけどな、と
その感想に思わず苦笑いがでた。美味くもない焼そばを食いつつ本を読んでいた。かたわらを通りす
ぎる女性は怪訝な表情である。この人なに、という視線だったのだろう。旅館への帰り道、まわりの
連中の見よう見まねでスノーシューズで滑ってみた。スイスイとはいかないが存外に楽しかった。

N8840雪中電車

「ことわざの知恵」 岩波書店辞書編集部編 岩波新書 ★★★
ふとしたときにそうだよなと思わされることわざがある。しかし、あれってどういうことなんだろう
というのもある。たとえば「人を呪わば穴二つ」、でこの穴二つってどういう意味があるのか。人に
禍が降りかかるようにと呪うようなことをすると罰を受けますよ、という戒めがこめられていること
わざだとは分かる。だがこの「穴二つ」がいまいちわかっていなかった。
『省略しない形では「人を呪わば穴二つ掘れ」。なぜかといえば、呪った相手が葬られる穴と、自分
自身が葬られる穴と二つ必要になるからだ。
 のろい殺すからには、自分も命を失うことを承知せよ、あだやおろそかに人を呪ってはならぬぞ、
という教え。』
なるほど、その覚悟もないのに人を呪うものではない。ということですね。「ごまめの歯ぎしり」と
いうことわざも、力のない者がいたずらに憤慨するという意味だ。この「ごまめ」とは小さな片口鰯
のことだが、なんだか腑に落ちない。ちょっと「ごまめ」をあなどっている感がぬぐえない。
『ごまめは、田の肥料にすれば四万俵だった収穫が五万俵にもなるということで「五万米」と当て、
「田作り」とも呼ばれる。また、「まめ」は、誠実・達者の意味の「まめ」からきているという語源
説もあり、お節料理に使われるのはこれらの縁起による。
 ことわざの世界では、これといい、「ごまめの魚交じり」といい、縁起のよい方は切り捨てられ、
取るに足りないものの代名詞的な扱いを受けている。』
イワシ好きな者としては、すこし溜飲をさげるのだ。ことわざには西洋由来のものもおおい。「目か
ら鱗が落ちる」などは代表的なものだろうか。「新約聖書」使徒行伝からきていることは「広辞苑」
にも載っている。だがこの鱗、魚だとするとなんだか辻褄があわない。
『キリスト教を迫害していたサウロ(パウロ)は、その罪で失明する。イエスはその目を元に戻すべ
く弟子を彼のもとに遣わす。弟子が彼の体に触れると、「目から鱗のようなものが落ちて」再び目が
見えるようになったという話。
 蛇は脱皮の際には鱗を落とすが、目も例外ではない。蛇のごとくに邪悪な男サウロ、ということで
「鱗」が想定されたのであろうという。』
なるほどね、蛇の鱗でしたか。しかし、蛇が邪悪というのにはちょっと納得がいかないのである。

「妻と罰」 土屋賢二 文藝春秋 ★★★
週刊文春の連載コラム「ツチヤの口車」の書籍化されたもの。相変わらず独特の切り口をみせている。
あきらめる方法についてである。なかなかためになる、かもしれない。
『打つ手のない状況に陥ったとき、打つ手は二つある。一つはあきらめる、もう一つはあきらめない、
だ。
 今では、「あきらめるな」と叫ばれることが多いが、古来、日本人はあきらめの中に美を感じとり、
あきらめようとしない人間を軽蔑していた(と聞いた)。
 わたし自身、これまで、あきらめの境地を目指し、多くをあきらめてきた。大ピアニストになる、
詩人になる、日記をつける、妻の性格を変える、豪邸に住む、車庫入れするなど、あきらめたことは
数え切れない。
 しかし残念ながら、あきらめきれないことも多い。大富豪になる、天使のような女と出会う、一人
静かに暮らすなど、あきらめきれないでいる。あまりにもあきらめが悪いので、今では、あきらめの
境地に到達することをあきらめている。』
あきらめる方法の一つ「どうせの方法」の考察もおもしろい。「どうせ……だから」という論法を使
ってあきらめる方法なのだが、それには説得力に欠けるものも多い。
『説得力があるのは、余命一年よ宣告された人が、「どうせ一年しか生きられないんだ。だから金を
貯めても無駄になるだけだ」と思って並寿司を上寿司にするような場合である。ただし、これを拡張
して「どうせあと五十年も生きられないんだ。節約するのは無意味だ」と考えて豪遊すると、取り返
しのつかない結果になる恐れがある。また仮定法を使って「どうせ明日交通事故で死ぬかもしれない
んだから、今日のうちに金を使い切ってしまおう」と考えるのも危ない。
 そもそも「どうせ」と言っても本気であきらめていないことが多い。無駄に金を使った人が「どう
せ死んだら無一文だ」と言っても、あきらめきれているわけではない。ためしに「それなら、金はい
らないよね」と言って金を巻き上げようとしてみれば、抵抗するはずだ。』
あきらめるのもなかなかむずかしい問題あり、なのだ。
『わたしがよく使うのは、「どうせ一週間後にはまた散らかるのだ。今日片づけ物をしても無駄にな
る」「どうせこの建物は百年後には取り壊されているのだ。本を整理するのは無駄だ」「どうせ地球
の寿命はあと千億年もない。だから棚を直す意味がない」「どうせ金は妻にとられてしまうんだ。使
ってしまえ。使うと怒られるが、どうせ怒られるなら、一万円使ってやれ」などだ。
 今、妻が「いい加減、そこにある本を片づけてよ!」と叫んだ。つい先日、「どうせいくら言って
も片づけないんだから」と言ったばかりではないか。あきらめの悪い女だ。』
こうしてツチヤ家の日々はすぎていく、のだろうか。しかし一抹の真理はあると思うのだが、分かる
人には分からない人のことが分かりようもなかったりする。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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