ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
08 | 2017/09 | 10
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

美術館で読書
なぜそんな場所で読書していたんだろう。ワイエスが見たいというから京都まで出かけていった。彼
女は東京から来るから美術館の前で落ちあおうということに決めた。着いてみるとずいぶんと見学者
がおおいことに気づいた。見つけられるかなあ、と不安をおぼえた。まだ約束の時間までにはだいぶ
ある。入口ちかくの壁にもたれて本を読みはじめた。なんの本だったかいまでは憶えていない。だが、
のめりこんでいくというのか夢中になって読んでいた。まわりのすべての世界は消滅したもおなじで
ある。ふと気づいて、あっと思って腕時計を見たら、すでに約束の時間は過ぎている。しまったとあ
わててまわりをみまわしたが彼女らしき人物はみつからない。どうしようかとあせって考えるが頭の
なかがぐるぐる廻るかのようでめまいするら覚えた。そのとき、壁の後からにっこり笑った彼女があ
らわれた。ほっとしたのもつかの間、彼女は消えた。時計を見ると約束の時間までまだ三十分あった。

N7651京都国立近代美術館

「塀の中のプレイ・ボール」 安部譲二 講談社 ★★★
刑務所に実際に服役した経験から書かれた小説なのだろう。わたしは入所した経験はないので興味深
く読めた。厳しいんだろうな、規則とかいろいろと。食事もおいしくはないのだろうな。「くさい飯
を食う」といえば、刑務所にはいるという意味だ。もちろん冷暖房なんか効いていないだろうし、そ
うなると楽しみってなにがあるのだろうと思う。そうそう刑務所の慰問って聞いたことがある。
『刑務所では月に一回ぐらい、映画や講演、演芸、それに宗教行事を懲役に見せる。懲役に人気のあ
るのは映画と演芸だが、当然のことにその程度には、ピンからキリまでいろいろあって、ヤクザの大
物が服役している刑務所には、娑婆の仲間が無理のきく芸人を差し入れと称して送り込むので、ヤク
ザとは深い御縁の芸能界だから、紅白歌合戦の常連まで出演する。これがピンでキリの方は地元の商
店街かなんかの旦那衆。どうにも理解しかねる判断と情熱を発揮して刑務所や養老院などの施設をま
わるのだが、風呂の中でしかやれないようなものを心の籠らぬ拍手の中で演じ続ける神経は、たいて
いどんな奴を見ても驚かない懲役でさえ、動物園で不思議な動物の前で口を開けたまま立ちすくむ子
供のようになってしまう。』
あるとき、ミュージカルスターの“飛び魚ミミ”が演芸にやってくると聞く。小説の主人公水田順一
は所内で、大泥棒だが腕のいい家具職人小山忠の助手になっていた。ところがこの指物師が“飛び魚
ミミ”の旦那だというのだ。そのいきさつからいろいろと聞き、芸人とはそういうものだと知ってい
るので納得もした。しかしその話は物悲しいものだ。あるとき“飛び魚ミミ”のい出会った。新人な
がらメキメキと芽を出しかけていたころだった。だけど、芸人の世界はレッスン代とかつけ届とか、
いろいろとでていくものが多く給金だけではどうしても足りない。
『「そんなわけで、この道で身を立てると決めた以上は、仕方がないから旦那をとるわ」
 と飛び魚ミミは、子供の頃と変わらない陽気な子猫のような顔をして、それでも矢張り悲しげに目
を伏せて言ったので、
「お前さんさえ構わなければ、今日の今から俺が面倒を見させてもらう。どうか立派な芸人になって
くんない」
 と小山忠は胸を張ったのだという。懐には札束がうなっていたのだそうだ。』
そんな事情があったのだが、若い飛び魚ミミには盗んだ金というのがひっかりがあったようだ。
『「困った人から盗んじゃいねえ、盗んでも良いと自分で決めたところからだけだ。少しの芋や米で、
おふくろ達から一張羅を巻き上げた百姓ほど、人の道にはずれるようなことはやってねえ。良い悪い
は警察や裁判官に決めてもらうことじゃなく、自分で決めることなんだ」
 と話してやったら、どうやら飛び魚ミミも納得がいったっようだった。』
正論をふりかざすばかりでなく、いちど別の角度、たとえば塀の中の住人の立場からみると、世のな
かの構造がいかにゆがんでいるか、と感じるかもしれない。政治家や官僚そしてその利権につながる
人びとの厚顔無恥さに慣れきってはいないだろうか。そんなことを感じるのだ。

「耳で読む読書の世界」 二村晃 東方出版 ★★★★
目の見えない人はふつうにはすぐにわかる。だが、耳の聴こえない人は見ただけでは判断できない。
見えないのは目をつぶることである程度想像できるが、耳が聴こえない状態を自分の経験としてわか
ることは困難である。耳をふさいでみても、音は完全には遮断できない。どうすればそれらの人たち
のことを理解できるのか、ときに考えていた。本書の著者、二村(ふたむら)さんは定年間近で失明
する。九州大学を卒業後、電通に入社、大阪支社で営業統括局長にまでなった人だから経済的には恵
まれていたことだろう。中途失明者は点字の習得は難作業になる。彼も習ったが、点字本を読むのを
諦める。ところが、点字を覚えたことで、点字で入力する盲人用音声ワープロを使えるようになる。
なにごとも、そうすっぱりとはいかないと知ることだ。本の好きな彼に、対面朗読を受けてみればと
勧めてくれる人があった。こうしていく人ものボランティアに出会う。そんななか、音訳者のための
機関誌「対面朗読通信」に何でもいいから書いてほしいとの依頼がある。ボランティアさんのミスを
あげつらうようなことはできないと断るが、ボランティアの皆さんは利用者の本音をとても聞きたが
っているとの説得をうけ、書くことになったのが本書のはじまりになる。黙読していると、多少はわ
からない単語や漢字などがあっても読んでいるうちに文脈からなんとなく想像ができたりする。しか
し、音読の場合はそうはいかない。類推できる場合もあるが、そこで思考はストップしてしまう。と
くに日本語は同音異義語が多いからやっかいである、とおっしゃる。たとえばこんなふうに読まれた
ら、理解できるだろうか。
『「小兵な男の剽軽な仕種」をショウヘイな男のヒョウガルなシワザ。兵庫県のヒョウゴを思い出せ
ば、小兵はクリアーできます。
 (略)
「恋敵の優男」をコイテキのユウナン。芝居などの敵役も、カタキヤクです。
「性悪な女」をショウアクな女。』
というふうに読まれると目が見えない方には伝わらない。理解できないからそこでひっかかり後に続
く文章もはいってこないという連鎖反応がおこる。なるほどね、いろいろとちがった角度からの意見
がためになる。それにしてもボランティアの方々も地道に頑張っておられるんだ。そう思うと、なん
だか世のなかもあたたかくこころ強く感じるものです。

スポンサーサイト

テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://moucheokuno.blog26.fc2.com/tb.php/1602-183c7eb4
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カレンダー

08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリー