ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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披露宴会場で読書
場所は高台にあった。おおきなフレンチウインドウからは海がみえ、青い芝生の庭がひろがっていた。
披露宴の司会を頼まれていたのでかなり早く会場に着いていた。しばらく陽のあたるベンチに腰かけ
て本を読んでいた。人はこの世に生をうけて、成長して大人になって、恋をしたり失恋したり、いろ
んな思惑から結婚しなかったり、なんとなく結婚したり、その結果赤ん坊が生まれてくる場合もあっ
たり、幸か不幸か子宝にめぐまれなかったり、その赤ん坊もおなじように生きていくのだろうか。な
んて考えていると、人生ってなんなんだと思わざるを得ない。こんな気分じゃ司会なんてやっていら
れない。気分転換にとおおきく深呼吸をしたら潮の匂いがした。海だ、母なる海なんだ。生命は海か
らうまれてきたとオパーリン「生命の起源と生化学」で読んだ。気の遠くなるような時間を経過して
生命は地球上に誕生した。結婚はそのリングをつなぐひとかけらでもあるんだよなあ、と思った。

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「考えすぎた人 お笑い哲学者列伝」 清水義範 新潮社 ★★★
清水氏はユーモア小説作家と呼ばれている。その彼が哲学者物語を書かないかという編集者の誘いに
のってしまって書いたのが本書である。哲学とは苦悩の学問だと思われているが、本作にそれはよく
表れていると思う。なにせ取りあげられているのが、ソクラテスから始まって、プラトン、アリスト
テレス、デカルト、ルソー、カント、ヘーゲル、マルクス、ニーチェ、ハイデッガー、ウィトゲンシ
ュタイン、最後がサルトルだ。一応これらの人の名は知っている。だが、どのような哲学を展開した
のかについてはわたしも心許ない。それは清水氏も同様のようである。なんとなく覚えているのは、
ルソーのエピソードぐらいだ。それはルソーに問いかけるような形で、本書にもある。
『あなたは子供をどう教育するのが理想的かという内容の『エミール』を書いていて、生まれてから
五歳までは何よりも母の愛によって育てなければならないとしています。とても説得力があり、受け
入れやすい内容です。しかし、その『エミール』を書いたあなたが、自分の子を五人も、生まれると
すぐ孤児院に入れているのはなぜなんでしょう。』
ルソーを弁護するわけではないが、その時代の社会の空気というものがあると思う。歴史上のことを
後からの常識や時代精神で批判するのはたやすい。いや、不遜であるかもしれない。だれだって、そ
の時代に生きていればそうしたかもしれないのだ。タイムマシンがないのがつくづく残念だ。それは
ともかくとして、やはりウィトゲンシュタインに興味がある。下世話ながらこんな事実を知った。作
中からそれらを箇条書きに抜き出して紹介してみよう。

  その人の名はルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインである。
  彼は一八八九年四月二十六日、オーストリア=ハンガリー二重帝国の首都ウィーン、アレー通り
 十六番地に生まれた。
  父カールは一代でオーストリアの鉄鋼業界に君臨した事業家で、オーストリアで五本の指に入る
 資産家だった。
  ルートヴィヒは兄四人、姉三人のいる八人兄弟の末っ子だった。
  ルートヴィヒの四人の兄のうち、三人までは自殺している。
  ウィトゲンシュタインは、十四歳まで学校に通わず家庭で教育を受けたが、一九三〇年、リンツ
 の高等実科学校に入学した。
  その学校にはヒトラーも四年間在籍し、ウィトゲンシュタインとは一時期同窓生だった。
  ウィトゲンシュタインはヒトラーと同年生まれである。また、ハイデッガーとも同年である。
  数学への関心は論理学への関心につながっていった。
  ケンブリッジのラッセルを訪問して、哲学的才能を認められる。
  ウィトゲンシュタインはラッセルの論理学を驚くべき速さで吸収し、二人はまたたく間に師弟と
 いうよりは対等の議論相手となった。
  父の死により、ウィトゲンシュタインは莫大な遺産を相続した。
  ウィトゲンシュタインは財産の三分の一をオーストリアの貧しい芸術家たちに寄付した。
  一九一四年七月、第一次世界大戦が勃発した。
  オーストリア軍の志願兵として東部戦線に配属されたが、彼は自ら最前線への配属を望んだとい
 う。
  その後、砲兵中隊の一員になり、予備士官学校へ入ったりしたが、一九一八年にイタリア戦線に
 配属された。
  その年の八月、休暇中に『論理哲学論考』を完成させた。
  その年の十一月、トレントの近くでイタリア軍の捕虜となる。
  一九一九年、捕虜収容所から釈放されてウィーンに戻ることができた。この時ウィトゲンシュタ
 インは三十歳だった。
  自由の身になった彼は、戦争で右手を失った四兄パウルと、二人の姉に全財産を分け与え、無一
 文になった。やることが極端なのである。
  一九二〇年九月、トラッテンバッハの小学校の臨時教員となる。以来六年ほど、小学校教員をし
 たのだ。
  『論理哲学論考』の出版は難航した。
  いくつもの出版社に打診してみたが、すべて出版を断られた。
  ラッセルに相談すると、私が「序文」を書いてやると、と言って書いてくれた。
  しかし、ウィトゲンシュタインにはラッセルの「序文」が気に入らなかった。
  一九二二年十一月に、『論理哲学論考』に英訳をつけた独英対訳版が、キーガン・ポール社から
 出版された。完成してから四年後の出版だった。
  この出版により、哲学界は騒然となった。まったく新しい哲学の名著であるとして、もてはやさ
 れたのだ。
  なのに、出版の年の秋にはウィトゲンシュタインはブーフベルクの小学校に移っていて、人前に
 は出ず、ただ、田舎の小学校の先生をしているのだ。
  一九二六年、彼はオッタータールの小学校で先生をしていたが、ある事件をおこす。
  三十七歳だった彼は、小学校で体罰事件をおこしたのだ。
  四月二十八日付けでウィトゲンシュタインは辞表を提出した。
  きっかけになった体罰事件について、審理がなされたが、評決は無罪であった。
  一九二八年、三十九歳のウィトゲンシュタインはウィーン学団に所属していた若い数学者にすす
 められて、ブラウワーという数学者の講演をきくことになった。
  講演のあと、ウィトゲンシュタインは興奮したおももちで、友人たちに、数学的考察を夢中でしゃ
 べりまくったのだ。つまり、一度は完全に消えていた数学的かつ哲学的な思索がよみがえったのだ。
  こうして、哲学者ウィトゲンシュタインは復活した。
  一九二七年、四十歳になったウィトゲンシュタインはケンブリッジのトリニティ・カレッジに再
 入学した。
  貧乏だったウィトゲンシュタインは、学生に戻ったために生活できなくなり、奨学金を申請した。
  奨学金を受けるには博士号を持っていなければならなかった。
  そこで彼は、七年前に出版されていた『論理哲学論考』を提出して、博士号を取ることにした。
  もちろん博士号は取れて、奨学金ももらえるようになった。そして翌年からは、ケンブリッジ大
 学で講義を始めることになった。
  二度目に哲学者となったウィトゲンシュタインは、何冊もの哲学口述本を出した。
  『哲学探究』の第一部は、一九四六年、五十七歳の時に完成した。
  『哲学探究』の第二部は、一九四九年、六十歳のときに完成した。
  一九五一年四月二十九日の朝、ウィトゲンシュタインは亡くなった。六十二歳だった。
  ウィトゲンシュタインの哲学はむずかしすぎる。
  私の考えでは、ウィトゲンシュタインは、人間の思考力でどこまでは考えることができ、どこか
 ら先は考えることが不能で、考えても無駄だという境界線を、可能な限り深く掘り下げて突きとめ、
 思考できることの輪郭を明らかにしたんだと思う。

ということで、最後に清水氏はこう書くしかないかという感じでひとフレーズ。

  理解しえぬ哲学者については、沈黙しなければならない。

しかしながら哲学者ってほんとうに変人ばかりだ。しかしながら、彼らがもしいなかったとしたら歴
史はまったく味気ないものになっていたのだろう。

「心はすべて数学である」 津田一郎 文藝春秋 ★★★★
心は心臓にあると考えられていた時代から変遷して、いまでは脳にあると一般に思われている。つま
り、心はなんらかの脳の活動状態である、と考えている脳神経科学者は多い。だが、津田氏はそうで
はなくて逆に心が脳を表していると考えるのだ。生まれてすぐに「自己」というものがあるのか。な
いとしたら、「私」という意識はどのようにできてくるのか。「私」とは「他者」なのではないか。
『つまり、脳神経系の構築を考えたとき、そこには周りの人たちの行動や言葉や表情までもが入り込
んでいるのです。だから、お母さんやお父さん、周りの人と相互作用しているときに、なんとなく私
の脳に宿るものというのは、どうやら最初は他人なのではないか。それがある種、心ではないかと思
うわけです。そこからだんだんと自分というものができていく、自分の心が生まれていくわけだけれ
ども、すでに赤ん坊の時点で脳は他者の心によって構築されているのではないか、と。』
このあたりは、芸術は模倣からはじまるというのに似ている。模倣からはじまったとしても、それは
模倣にとどまらないわけだが。その他いろいろと脳に関する知識は増えてきている。ではそれをどの
ようにストーリー解釈するのか。理論体系を構築していくのか、まだまだ道半ばということらしい。
津田氏はこうした状況のなか提言する。
『そこで「心が脳を表現する」「数学は心である」ということを考えているのです。あえて言えば、
脳とは、神の心を表現する器官ではないかと。その心は数学に最も適切に現れているのではないかと。
時々刻々と不断に変化し続ける脳のダイナミクスを実験だけで捉えきれることはできない。そこには
モデルがなくてはならない。脳の数理モデルを作る、脳を数学的に表現する、という意味はここにあ
ると思っています。』
脳の理解のむずかしさは要素還元的では不可能だということ。つまり部品を組み上げていけば脳とい
うひとつの機械が出来あがるということではないのだ。どういうことなのか。
『システムの中に入ってはじめて機能を持つ要素は多くありますが、その代表がニューロン(神経細
胞)です。無数のニューロンがつながってニューラルネットワークができ、そこから脳というシステ
ムができあがっています。ところが、ネットワークができてそれが働くと、その働きを担う部品であ
るニューロンの働きは、もとのそれとは違ってきてしまう。システムの中から取り出してそこだけ見
たら、まったく違う性質になる。では部品としての働きを、どうやって研究したらよいのか、が問題
になるわけです。そこには地球科学と同じような問題の構造があります。つまり、どういうモデルを
作ったらいいのかがとても難しい、という問題です。』
心とはなんなのだろうか。それと密接な関係にある脳とはなにか。まだまだ道のりは果てしない。

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遠くに眺めるのも好きです。
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