ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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ダム湖で読書
日本ではダムといえばほとんどが重力式コンクリートダムである。よくある形式だ。有名な黒部第四
ダムはアーチ式コンクリートダムだ。他にはロックフィルダムの御母衣ダムがわりあい知られている。
それはさておき、そのときなぜダム湖に来たのかいまではよく覚えていない。そろそろ暑くなりかけ
る季節だった。あたりは緑がしたたるような光景がひろがっていた。滲んできた汗にそよ風がこころ
よい。堰堤のうえから湖面をながめる。波紋がしずかにひろがっていく。こんなところまで来たんだ
と他人事のように思った。湖岸にあるベンチは木陰になっておりちょうど休憩するにはよかった。本
を読もうとして取り落とした。足元の芝生からはずれた土の部分を蟻が忙しそうに動きまわっていた。
アリとキリギリスの寓話が思いだされる。俺はキリギリスということになるのか。しばし考える。空
を見あげる。青い空には白い雲だ。うーんと唸って、くるりとベンチにひっくりかえり天を仰いだ。

8182千苅堰堤

「微生物が地球をつくった」 ポール・G・フォーコウスキー 松浦俊輔訳 青土社 ★★★★
この地球に最初にあらわれた生命体は微生物であるが、それが歴史上の認識となったのは最近のこと
なのだ。肉眼では見えないものだからそれもしかたがない。いまも地球上の生命体で多数を占めてい
るのはバクテリアたちだ。数量的にも重量でもである。熱水が噴出する海中などの環境中にも存在す
るという。そこから進化の枝がひろがっていったというわけだ。
『微生物は地球上で最古の自己複製する生物なのに、見つかったのは最後で、ほとんどの間知られて
いなかったというのは、たぶん、生物学の中でも大きな皮肉の一つだろう。微生物発見の歴史は、科
学史の多くの話と同じく、新しい技術の発明に基づいている。この場合は顕微鏡とDNA配列決定装
置である。この種の生物に目が向かなかったのは、主として私たちの観測にかかるバイアスによる―
―目に見えないものは無視してしまうものだ。』
もちろんヒトの体内にも微生物は存在している。大腸菌や乳酸菌などはよく知られている。ある意味
共生しているということだ。なかよく生きるというのは重要なことだと思う。
『微生物は陸上植物の登場より何十億年か前に太陽のエネルギーを通じて水を分解できる複雑なナノ
マシンを進化させていたが、それができる微生物が最初に登場したのがいつかについては、まだ非常
に不確かな構図しか得られていない。というと、いささか意外かもしれない。酸素を生み出せる光合
成をする微生物で残っている原核細胞生物のグループは、藍藻類(シアノバクテリア)だけだ。』
生物多様性などといわれるが、是非その考えを微生物にまで拡張してほしいと思う。すべては複雑に
入り組み構成されている地球の生命連鎖があるのだから。以下のようなことは現代の悩ましい問題な
のだが、世間の認識はまだまだそこまでいっていない。これからの世代がすこやかに生きれるように
と思うのだ。
『二〇世紀の半ばには、抗生物質を家畜に投与すると肉や乳の生産が増大することも発見された。ア
メリア合衆国で消費される全抗生物質のうち約八〇パーセントは、人間の健康のためではなく、家畜
による生産のために用いられている。実は、今やとくに畜産業でいろいろな抗生物質が用いられてい
るので、多くの微生物が普通の抗生物質には免疫になってしまっている――そうしてまた人間を死に
至らしめるべく反抗しつつある。』
薬はとくにそうだが、毒と薬は紙一重ということをもっと真剣に考えるべきだ。なにご
とも裏と表があると考えるべきで、すべてがいいということはない。それを忘れるといつかしっぺ返
しがやってくるのだが、それを含めて生きるということなのだろう。原発反対もそこらあたりの感覚
が欠けているようでなんとも頼りない。

「だりあ荘」 井上荒野 文藝春秋 ★★★★
ペンション「だりあ荘」を営んでいた両親が車の事故で死んだ。カゴを編むための山葡萄の蔓を採り
に出かけてのことだった。二人一緒に峠の難所から車で落ちた。慣れた道だったはずなのだが。夫婦
には一緒に暮らしていた姉の椿と、迅人(はやと)と結婚して東京住まいの妹の杏がいた。「だりあ
荘」は一年の休業の後、妹夫婦が継ぐことになった。両親は東京のマンションを売って、この山奥の
ペンションを買っていたので、ここが実家でもある。隣のペンションが売りにだされとき買って住ま
いとしていたので椿はそのままそこに住むことになった。迅人はいわゆるエリート社員だったのだが、
指圧師になるためあっさりと会社を辞めた。同じ会社にいた杏も後を追い、ふたりは付き合いをはじ
めて結婚したのだった。迅人は治療院を構えず呼ばれた場所へ治療しに行くかたちだったので引っ越
しにもすんなり同意した。杏夫婦にはこどもはできなかった。杏が不妊症であるらしかった。だから
子犬を飼うことになったときには、この子犬が夫婦のきずなを強くするとも思えた。椿にはお見合い
をしてつきあっている新渡戸さんという男性がいた。椿のことは、みんなが美人だとほめた。だが、
ふたりは結婚する気配もなくいつまでもつきあっているのだった。ペンションは順調に経営を続けた。
そこでバイトの青年を雇うことにした。翼、二十四歳。一人旅をしているという。バイトしながらと
いうことでどんな仕事でもそつなくこなした。こうして「だりあ荘」では男女四人の生活がはじまる。
じつは椿と迅人は東京で会ったときから一線を越えていたのだ。そのふたりが同じペンションで暮ら
しはじめる。杏の目を盗んでは密会を重ねていた。もちろん、杏もなにも気がつかないわけがない。
しかし、疑念は抑えこまれていた。椿は不安であった。妹に知られたらどうしようか。だが、迅人の
誘いを断ることができなかった。こういうことはたいてい当事者以外に知られている。だが、確たる
証拠はないというだけだ。そして言わないながらも翼もうすうす感づいているのではないかと思われ
る。それが椿には苦しい。杏もなにかおかしいと思うときがあるが、なにもないと信じた。思い過ご
しなんだと。あるとき母親の同級生だった夫婦が泊まっていた。そのご主人が言った。
『「この姉妹は足して二で割るべきだな」
 とご主人が感想を述べて、再び笑い声が起きた。
 そのとき椿はぞっとした。この世界で自分は一人きりだ、と感じたのだ。もっとも、そんなふうな
孤独を感じるのははじめてではなかった。ぞっとしたのは、同じ孤独を、同じ深さで、杏も感じてい
るに違いない、と突然気づいたからだった。』
井上さんは不倫とかという問題を書いているのではない、と思う。生きるにともなっていろんなこと
が起きるだろう。こういうことは当たり前には世間にないかもしれない。だがあることも確かである。
生きるとはこういったことすべてを潜り抜けていかなくてはならない。否、対峙することもある。人
はときどき動物の世界などに倫理的な理想世界を描こうとする。だが動物界には不倫という概念はな
いと知る。つまり結婚というものもない。あるのはどうすれば子孫を残せるか、ということだけ。不
倫、それは人のみがつくりあげたものなのだろう。だからといって、不倫を奨励しているわけではあ
りませんよ(笑)。人類学的な関心があるだけです、とでも言うべきか。

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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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