ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
05 | 2017/06 | 07
S M T W T F S
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

潮溜まりで読書
旅の途中で海が見える休憩所に立ち寄った。そこから海岸へと降りていく小径があった。下ったとこ
ろからゴロゴロした岩場になっている。ころあいの岩に腰かけて海をながめる。潮に混じってすこし
海藻らしきにおいもする。引き潮らしく、あたりは潮溜まりがところどころにできていた。しばらく
本を読んだりお茶を飲んだりしていた。ふとピチャッと音がしたと思った。足元をのぞいてみると、
カニがそそくさと岩陰へと走っていく姿がみえた。潮溜まりのなかにはちいさな魚が泳いでいる。屈
みこんでじっとさらに観察する。砂地のなかに保護色をした魚が潜んでいたり、ちいさなエビがはね
ていたりする。この潮溜まりはこれらの生き物の宇宙だな。いろんな生物が共生している。それに比
べてヒトは進歩しているのかどうか。さらには自分自身のことにも思いは回帰する。立ちあがって沖
の方をながめたら白い浪がたっていた。陽炎のなかでゆれるタンカーの姿も見えかくれした。

N8699沖行くタンカー

「海馬 脳は疲れない」 池谷裕二 糸井重里 朝日出版社 ★★★★
脳といってもいろんな部位がある。大脳、小脳、脳下垂体などそれらはどんな役割をになっているの
だろうか。池谷さんはそのなかの海馬(かいば)についての研究に明け暮れているのだそうだ。糸井
氏から、頭がいいけど嫌いなやつのことは、ほんとはバカなんだと思っているという発言をうけてこ
う答えている。
『それはおもしろいです。「頭の良し悪し」の基準を「好き嫌い」だと考えるとすっきりしますし、
当たっている気がします。
 根拠もあるんです。脳の中で「好き嫌い」を扱うのは扁桃体というところでして、「この情報が要
るか要らないのか」の判断は海馬というところでなされています。
 海馬と扁桃体は隣り合っていてかなりの情報交換をしている。つまり、「好きなことならよく憶え
ている」「興味のあることをうまくやってのける」というのは、筋が通っているんですよ。感情的に
好きなものを、必要な情報だとみなすわけですから。(池谷)』
この海馬だが、起きている間だけではなく寝ているあいだにもすごく活動しているという。どういう
ことかというと、眠っているあいだには夢をつくりだしているのだそうだ。つまり情報の整理をして
いるということがわかってきた。睡眠は、きちんと整理整頓した情報を記憶するプロセスなのだ。こ
れはとても重要なことで、睡眠を強制的に奪われると幻覚を見る。このことは経験的に知られていた
のだろう。究極の拷問は眠らせないということで、そのせいで発狂に至ることもあったという。
『毎日のリズムを崩すことが海馬に非常に悪影響を与えることもわかってきました。時差ボケのよう
な状況に陥ると、ストレスで海馬の神経細胞が死んでしまうという実験結果が出たんです。(池谷)』
規則正しい生活というのは、そういう意味では理にかなっている。じゃあ、どういうふうにすると、
扁桃体や海馬、つまりは脳がよりはたらくようになるのかという疑問がわいている。
『脳をはたらかせる細かいコツは、たくさんあります。ブドウ糖を吸収したほうがいいとか、コーヒ
ーの香りが脳のはたらきを明晰にするということも言えます。あとはたとえば、前に言った「扁桃体
と海馬がお互いに関係し合っている」ということで言うと、扁桃体を活躍させると海馬も活躍します。
 扁桃体をいちばん活躍させる状況は、生命の危機状況です。だから、ちょっと部屋を寒くするとか、
お腹をちょっと空かせるという状態は、脳を余計に動かします。寒いのは、エサの欠乏する冬の到来
のサインですし、お腹を空かせるのは直に飢えにつながりますから。』
なにごとも過ぎたるは及ばざるが如しの心境でいくしかないですね(笑)。

「幕末下級武士の絵日記 その暮らしと住まいの風景を読む」 大岡敏昭 相模書房 ★★★
江戸時代の武士はどんな生活をしていたのか考えると、うかんでくるのはテレビや映画の時代劇の一
コマだったりする。どうもあれが真実かどうかは疑わしい。ことばだってよく聞いていると、現代に
しかないような単語や言い方だったりで信頼するには足りない。暮しぶりというようなことは、逆に
とりたてて文章に書き残すこともすくない。しかし、やはりなかにはそういうことを書き残す御仁が
いたのである。ああ、よかったと筆者も思ったのであろう。おまけに絵入りである。江戸から北に十
五里ほど離れた関東平野の一角に小さな忍藩(おしはん)十万石の城下町があった。そこに尾崎石城
という下級武士がおり、彼は「石城日記・全七冊」を残したのだ。江戸時代といえば、士農工商と厳
密に階級が決められていたようだが、実態はどうだったのかも気になる。また、武士の実生活、収入
はどうだったのか。藩の規模は石高であらわされる。たとえば加賀十万石とか。そのなかで下級武士
と呼ばれるのはどのようなひとたちなのか。こう解説されている。
『藩によって身分の仕組みが異なるが、概ねどの藩でも扶持取りの武士がそれに当てはまる。しかし
知行取りにしても、五十石未満では扶持取りとそう変わらない。たとえば石城は十人扶持であったが、
それは年収にして十八石である。一方知行取り三十石といっても、年貢率が六つ(割)とすると、実
収入は十八石ほどで石城と同じぐらいとなる。しかも収入はその年の米の出来高によっても変動する。
またわずか五~十石の知行取りも多くいるが、その石高では石城の収入より低い。したがって下級武
士とは、ほぼ五十石未満の知行取りと扶持取りをいうのが妥当であろう。』
中級武士で禄高百石前後、いまの年収にすれば約四百万円に相当する。ということは下級武士では百
万円をすこし上回る程度ということになる。しかし住まいは藩からの拝領であり賃貸料は払わなくて
もいい。で、なんとか家庭菜園などやりながら暮らしていたということであろうか。しかしこの日記
によるとその実態はすこしちがっている。
『石城は友人宅を毎日のように訪ねる。そこに彼らがいるということは友人たちもふだんの多くは家
にいたことになる。またそこには石城のほかに多くの下級武士、寺の和尚、町人たちも集まってくる。
下級武士の登城勤務は少なく、ふだんは友人たちとでさまざまな交流と催しが家でおこなわれていた
のである。』
本書を読んでいると、石城は友人宅や寺に行っては酒を飲む。そして酔っぱらってはしばしば泊まっ
ていく。そこには町人たちもまじっているのだ。江戸末期であるからかどうか、士農工商の厳格な区
別は市井の生活のなかではあまりなかったかのようだ。またそえられている絵がなかなかに興味深い
のである。

スポンサーサイト

テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://moucheokuno.blog26.fc2.com/tb.php/1624-97a2bbeb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリー