ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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食卓で読書
小学生のころ、机もなかったので食卓で宿題をしていた。それ以外家で勉強をすることなどほとんど
なかった。勉強は学校でするもの、という意識だったのだろう。それでとくに問題はなかった。予習
や復習ということばは知っていたが、なぜか他人事であった。夏休みの宿題などどうしていたのだろ
うか。ほとんど記憶にないのである。夏休みのドリルのなかにあった蝉の鳴き声を書くページだけが
思いだされる。日記も書くことがなかった。それでもときおり、板張りの台所兼食事室にあったテー
ブルで本を読んだりした。といっても雑誌の付録やなにかでほとんど内容など憶えていない。そんな
小学生時代だったなあと追想しながらダイニングのテーブルで本を読む。どうして机があるのにここ
で読むんだろうか。机だと落ち着かない。いかにも本を読んでるって感じがして。なんか大げさなの
が嫌なんだろうか。それとも、貧乏性の症状があらわれているのか。どちらでもいいんだけど。

N9474ガクアジサイ

「グレート・ギャッツビー」 スコット・フィッツジェラルド
                       村上春樹訳 中央公論新社 ★★★★

この本のことはずいぶん前から知っていた。ただ有名な書名だけでストーリーは知らなかった。この
たび読んでみて、若いころであればわかない感慨もあると思った。人の数だけ人生があり、それぞれ
が劇的といえば劇的なのだ。平凡と非凡。なにをもって判じるかはいまもってわからない。希少価値
というのもあるが、つまりは相対的だということになる。世界にひとつだけの花、という言い方もあ
る。はじめて聞いたときは当たり前じゃないかと思ったが世間の受け取り方はちがった。すべてはひ
とつしかないではないか。逆におなじものというのはヒトの脳内にのみ存在するからだ。だが、そう
いう意味ではないのだということがすこしづつ分かってきた。個性をのばそうという風潮とすこし似
ているように思う。個性は自分で判断するものではない。他人の評価である。もっといえば、個性の
ことなんか考えて個性など伸ばせるわけがない。それで伸ばせることができるものは「奇をてらう」
ぐらいのことだ。個性をのばしたいと思うなら、個性のことなど忘れるしかない。この逆説がわから
ないなら、問題外だ。個性個性という人間に個性的なやつなどいない。個性は価値ではない。変なや
つ、偏執的性格、ストーカー気質、天才肌、従順、ひきこもり、すべて個性的ではないか。とりわけ
個性的だと判断されるようになれば、入院するしかないかもしれない。その手の病院には個性的過ぎ
る人たちばかりが暮らしている。なかには天才がいるかもしれない。しかし、凡才にはその天才が見
抜けない。時代がくだって、やっと彼らは天才であったと評価されるのかもしれない。そういう人に
あなたはなりたいのか。否、なりたいと思ってなれるものは天才とはよばないと思うのだが。
『ギャッツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔
に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速
く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。……そうすればある晴れた朝に――』
ここで物語りのあらすじを書こうという気が起きない。うまく書けそうにもない。読んだ人それぞれ
が描く「グレート・ギャッツビー」がありそうに思うのだ。村上春樹氏が訳者あとがきで書く。
『もし「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろ」と言われたら、考えるまでも
なく答えは決まっている。この『グレート・ギャッツビー』と、ドストエフスキー『カラマーゾフの
兄弟』と、レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』である。』
そして一冊なら、この「グレート・ギャッツビー」を選ぶというのである。人さまざまでもある。

「脳はなにかと言い訳する」 池谷裕二 祥伝社 ★★★★
脳はいろんな立場・分野の人たちが研究している。それらの人たちは脳科学者とよばれることもある。
わたしが思うに、その中では養老先生がいちばんである。だが、もう高齢でもあられる。次なる若手
はと考えるとき、まっさきにうかんでくるのは池谷さんだ。語り口はやさしい。文章も平易だ。おま
けに論旨にまざりけがない。変な用語を頻発することもなく謙虚な姿勢がいい。学究肌らしく研究に
あけくれている様子がうかがえる。諸外国の論文にも精通しておられるようだ。ところで本書の書名
にあるように脳はつねに論理をつなごうとするようだ。それが多少の無理矢理感があったとしても、
なんとか道筋をみつける。ことわざにもある。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」などと。それはさてお
いて、こんな文章を発見(?)いたしました。
『神経細胞は、生まれたときがいちばん多く、加齢とともに減っていく、と言われていました。厳密
に言えば、これは正確ではありません。神経細胞の数は、確かに生まれたときがいちばん多いのです
が、二歳ぐらいまでに、七割ぐらいが消えてなくなり、その後は一生の間ほとんど変わりません。一
秒に一個ずつ神経細胞の数が減る、とよく言われるのは、生まれたときと死ぬときの神経細胞の数を
直線で結ぶと、徐々に減っていくように見えるからでしょう。しかし、実際には、そういうことはあ
りません。
 神経細胞に限らず、生命体は、とりあえずたくさん作っておいて、優れたものだけを生命の維持や
子孫繁栄に使い、それ以外は不要なものとして、捨てたり殺したりすることをやっています。精子や
卵子もそうですし、免疫細胞もそうです。脳もご多分に漏れず、ネットワークを作りそこなった神経
細胞や性能の悪い細胞は不要なので、排除してしまうようなのです。』
なるほどね。勘違いしておられた方は多いのではないでしょうか。たとえばヒトの指は徐々にのびて
手の形になるのではなく、ミトンのような形状がまずあって指の間の細胞が自死していって手の形に
なるわけですね。この細胞死はアポトーシスとよばれています。ヒトはそういうやり方をよくするよ
うです。もうひとつこれはおもしろいなと思いました。
『とりわけ私が注目に値すると考えているのが「血液型」である。A型、B型などの血液型は遺伝子
は遺伝子そのものが違うからである。この遺伝子は赤血球の表面のタンパク質に糖鎖を付ける酵素を
コードしている。つまり、赤血球の表面のザラツキ具合が血液型によって異なるのである。となれば
当然、毛細血管の血球の流れやすさが異なり、酸素供給率に影響があることは想像に難くない。実際、
癌の発症率など、血液型によって差があるものがいくつか知られている。
 さて、血液型によって「人格」は異なるであろうか。A型は几帳面で、O型はおおらかで、B型は
個性的などという分類はしばしば耳にするが、いずれも根拠は不明瞭である。ただし、血の巡り具合
が違うのであれば、脳の生理作用に差があっても不思議ではないと考える人もいるだろう。』
科学も切り口ひとつでちがった面を見せてくれるんですね。斬新な理論を期待しましょう。

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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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