ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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地下道で読書
改札口をでたところちかくに連絡地下道がある。まだ日中は暑いので、そこの壁に持たれて待つこと
にした。本でも読んでいようかとザックから取りだす。しばらく読んでいると、ブーンとなにかが飛
んできた。地下道内に響きわたるのはミーンミーンという蝉の声だ。反響をともなってすごい音だ。
どこにいるんだろうと目を凝らすがわからない。まいったなあと思いながら中へと進んだ。また、ブ
ーンという羽音とともに向こう側の明るい方向へと飛び去った。やれやれ、無事脱出できてよかった。
また元のところまでもどって、壁に背をあずける。冷気がシャツをとおして伝わってくるようだ。ど
こからかわからないがカーンカーンと踏み切りの音が聞こえてくる。まもなく電車が着いたら、彼女
はやってくるのだろうか。それとも、もうやってこないのか。あるいは、彼女とそんな約束をしてい
たのか。すべてが夢のように感じるのだが、これも夢のなかでのことなのだろうか。

N9378昼間の月

「昆虫の哲学」 ジャン=マルク・ドルーアン 辻由美訳 みすず書房 ★★★
書名から直截的にわいてくる印象、あるいは期待がある。それがときとして空振りに終わる。がっか
りするわけではない。だけどなんだか口惜しい気がする。もちろん出版社は売れそうな書名をつけた
いと思っているだろう。とくに翻訳ものはその傾向が強くなる。原題とかけはなれたものも多い。内
容を反映したものというのだろうか。などと考えていたときに本書にであった。原題を見る。このと
おりである。おまけに訳者も辻由美さん、まちがいなどあろうはずもないと苦笑する。昆虫はある人
たちには忌み嫌われている。「虫嫌い」は教育上よくないとは知りつつ乗り越えられないお母さん方
も多いときく。虫の立場も微妙である。
『恒温脊椎動物(哺乳類や鳥類)ほど私たちに近くはなく、かといって、植物のように私たちと根本
的に異なっているわけでもなく、昆虫は、科学的研究や、芸術的創造や、哲学的思考へといざなうの
である。』
日本では超がつくほど有名なファーブルの「昆虫記」があるが、ほとんどの人は全巻を読んだことが
ないだろう。とにかく大部であるからそれも仕方がないかとも思う。しかし地球上の動物種のなかで
昆虫は約80%を占めている。虫の惑星とよばれるゆえんでもある。ただクモやムカデは昆虫の枠に
は入っていないので注意していただきたい。アリは童話でも働き者として描かれ、自分の体の何倍も
の大きさのものを運ぶことができる。これをみてもしアリの体が大きくなったらどんな怪力をもつ怪
物となるのかと想像したりするが、そうはならない。アリの体重はその体長の三乗に比例するが、筋
力は体長の二乗に比例するからである。アリが力持ちに見えるのは物理学でいうところの「スケール
効果」の恩恵をうけているからだ。でも昆虫を無視して生きることはできない。
『自然の現実を記述し、社会的価値をあたえるのに、ふたつの方向がみえてくる。エコロジカルサー
ビスという概念と、共通の遺産という概念である。いっぽうは経済の分野から借用したもので、もう
いっぽうは文化遺産の領域からきている。両方とも昆虫に非常によくあてはまるのだから、昆虫と人
間とのあいだには戦いとは別の言語が可能なはずだ。こうした表現のうえでの言い換えは、ある種の
昆虫によってひきおこされる飢饉や病気、あるいは、他の種の絶滅をまねきかねない種の繁殖を考慮
それば、無意味にみえるかもしれない。実際、昆虫とともに生きようと模索することは、蚊の命に人
間の命と同等の価値をあたえるということではない。それはただ最適な共存の条件を追求することで
あり、同時に、人間の歴史において、昆虫が、直接的または間接的に、ひそかにまたは劇的に、よい
意味でまたは悪い意味で、はたしてきた役割、そして昆虫がもたらした新しい概念がはたした役割を
考察の対象とすることである。』
生物の進化の歴史のなかでは昆虫はヒトのずっと先輩である。なんとかもっと虫と仲良く生きていけ
る世のなかがこないかなあなどと思うのは詮無いことなのだろうか。

「響きと怒り」 ウィリヤム・フォークナー 高橋正雄訳 三笠書房 ★★★★
まずは訳者解題のから引用しよう。
『夫婦はたえず互いを蔑視し合って生活している。そしてこの夫婦の間に、クェンティン、キャディ、
ジェイスン四世、ベンジャミン(幼名はキャロラインの弟と同じくモーリーと云う)の三男一女があ
る。このうち、クェンティンとキャディは幼時より仲が良く、キャディはまた生まれながらの白痴ベ
ンジャミンをも大変愛し、ベンジャミンの方でもキャディを慕っている。そして兄弟のなかで、次男
のジェイスン一人がいつも仲間はずれにされながら生長する。ところが、長ずるにつれてクェンティ
ンとキャディの仲はますます密接になり、やがてクェンティン自身はキャディとの間に近親相姦の罪
を犯したものと妄想する。』
これは哀しい物語なのかと思う。あるいはこっけいなストーリーなのか。難解といえば難解である。
途中までなにを読んでいるのかさっぱりわからないと思うばかりだった。しかし、物語りはしだいに
輪郭をくっきりとさせてくる。生きるとはなんなんだ。幸せなどどうでもいい。悪と善は対立するも
のではない。差別と共生か。だが、時代の視点が欠落した批判ほど的はずれで独りよがりなものはな
い。その時代に生きる人の気持ちを想像するのだ。すべて人の考え方ものの見方は時代の制約をうけ
る。それはそれで仕方がないことだ。しかしそれでも批判的であることは必要ではないか。否、批判
的ではなく懐疑的だろうか。人の生きている気配がそれでも感じられるのだ。日常のありふれた光景
でもあるのだろう。ふだんならだれも気にも留めないいつもながらの風景なのだ。それでも小説のな
かのこんな文章がこころに残るのだ。
『人間とはその人の不幸の総和だと父はいつた。がいずれは不幸の方がくたびれるかも知れないと人
は思うかも知れない、だがそうなると今度は時間がお前の不幸となるのだと父はいつた。』
またときとして思考は途切れることなく流れながれてもいくのだと知らなければならない。
『すると父は人間は誰でも自身の価値の裁決者なんだがしかし誰だつて他人の幸福に口出しすること
はならないんだといいわたしはそうかも知れませんといいすると父の言葉はあらゆる言葉のなかで一
番悲しい言葉となつたこの世にはそれ以外なにもないそれは時が来るまでは絶望とはいえないしそれ
がそうだといえるまでは時間でさえもない』

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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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