ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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深夜フェリーで読書
名残惜しいが夏の北海道を去る。お金に余裕はない。札幌を夜の普通列車で発ち、函館をめざす。満
員状態で立ち通しであった。八時間ほどかかったのだろうか、はっきりとは記憶していない。だが長
かったと感じたことだけはたしかだ。函館駅に着くと同時に連絡フェリーへと人々は駆け出す。する
と、歩いていた人たちまで駆け出したくなるようだ。フェリーのなかは席にまだ余裕があった。それ
ほどおおきな連絡船だった。岸壁を離れると、街の灯かりがきらめいて見えた。席にもどって文庫本
を開いたが、すぐに読むのをやめた。このひと月半ほどの北海道での暮らしを思いだす。いろいろと
事件にも遭遇した。おおくの人たちに出会った。みんなそれぞれの人生を歩んでいるようだった。ヒ
トは環境に影響される。順応できる者もいれば、なじめない者もいる。どちらが幸せなのか、などと
考えもした。森のなかの静まりかえる湖でもぼんやりと考えていた。生きるとは考えることなんだと。

9298ゴーヤ

「ゴシップ的日本語論」 丸谷才一 文春文庫 ★★★★
丸谷さんが亡くなってもう五年ちかくになる。多くの著作を残しておられます。それらの本でいろい
ろと教えていただいたなあと思いつつ読んでいた。小説もお書きになられましたが、評論は切れ味鋭
くて読んでいて爽快でありました。エッセイもまさに小論文という本来の意味でのものでした。未読
本がどんどんと少なくなっていくのは残念な気がします。だからというわけではないですが、酒をの
むようにちびちびと読もうかなと思ったりもします。人は褒めて育てよ、という。しかし、ただ褒め
るだけではむしろ害になるかもしれない。増上させることもあるだろう。しかし、これも相手により
けりですからね。相対性ですね、相性と字面が似ています。
『戦後、日本人全体が多弁になつた。それから早口になつた。よくしやべるやうになつたせいで泣か
なくなつた。
 昔は無口で言語表現がうまくできないから、無念の思ひが心の中にわだかまつて泣いた。そのこと
については柳田國男が書いてゐます。赤ん坊は言葉がないから泣くんです。ところが、今やみんな言
葉によつて一所懸命表現するやうになつたために、泣くといふ風俗がなくなつた。』
なるほど、おもしろいですね。ちょっと引っかかるところはありますが。
『「活版印刷による出版資本主義が国民国家をつくつた」と、ベネディクト・アンダーソンが『想像
の共同体』ではつきり指摘してゐます。日本の場合、この活版印刷による出版資本主義を可能にする
ためには、機能的=能率的な言葉がなければならかつた。その機能的=能率的な言葉を成立させたのは、
西洋的概念の漢字による訳語だつたわけです。』
こういうことを読むと、志賀直哉を思いだしつつ苦笑するわけです。すこしずれているんですけど。
テクストの理解についてもおもしろいですね。
『文章とは、抽象的な、中立的な読者を想定して書かれるものだし、また、そのやうにして書かなけ
ればならない。ところが、テレビ時代にはいつて成長した人々には、テクストがさういふものだとい
ふことを知らない人が多いから、さういつた文章を書きにくくなつた。
 もう一つ、ここでつけ加えなければならないのは、携帯電話の大流行です。すぐに推測できるやう
に、携帯電話といふのは、テレビ以上にコンテクストに寄りかかつてゐる表現なんです。テクストな
し、コンテクストだけがあると言つてもいいかもしれません。』
コンテクスト(文脈)は第三者には共有されていない。このことを肝に銘じてゐなければいけません。
教育の場でこういうことを具体的にわかりやすく教える必要があるでしょうね。でないと、社会に出
て困りますから。そしてなぜ通じないのか、ということも分からないということになる

「潤一」 井上荒野 マガジンハウス ★★★★
井上荒野さんはやはりすごいと思う。いや、その前に小説がとてもおもしろい。あたりまえですが、
やはり作品には作家の人生観がでるものなんだと再認識した。小説の書き方にもいろいろとあるのだ
が、読者にどう伝えるかだと思う。この伊月潤一という人物の造型をどう描くのか。彼にまつわる女
性たちを通してというのはまあよくある試みである。だが、最後に潤一の独白という章をもってきた
ところがいいですね。ストーリーに深みができました。この小説全十章からなっている。九人の女性
がいろんな場面で潤一と出会う。それが自然に感じられるというのが、荒野さんの筆力なんでしょう。
『1―映子(三十歳)
 私が潤一と会ったのは、太極拳教室だった。

 2―環(二十八歳)
 わたしが潤一に会ったのは「耳」だった。

 3―あゆ子(六十二歳)
 私が潤一に会ったのは、夫の蔵書を処分したときだった。』
あゆ子のこんなこころの描写がじんわりとしみこんでくる。こういう視点もうまいと思う。
『葬儀が終わり、納骨もすんで、身辺が落ち着きはじめた頃から、私は夫の書斎で過ごすことが多く
なった。
 台所や居間や寝室にいると、かつてそこでともに食事をしていたり、くつろいでいたり、傍らで眠
っていたりする夫の不在を感じずにはいられなかった。それで私は、書斎に逃げ込んだのだ。夫は書
斎にいるときはいつも一人だったし、書斎にいる夫に私が呼びかけるときには、細目に開けたドアの
隙間から、いつも夫の背中を見るだけだったから。
 考えようによっては、それは奇妙なことだった。書斎は、夫にもっとも近しい場所だったはずなの
に、私にとっては、夫を思い出さずにすむ唯一の場所だったのだから。』
男と女が出会う。そしてセックスしたりしなかったり。このセックスなんだが、この小説を読んでい
るとボノボの「ホカホカ」が思い起こされる。ヒトの不安や不安定な心情をおだやかにする効果があ
るのかな。恋愛至上主義は現代では死語になったかもしれない。もともと、そんなことは絵空事であ
るとだれもが感じていた。でもなにか理想がイデアがあったほうがいい。ものごとはいつも揺れもど
る軌跡をえがいたりするものだ。ゴーギャンではないが、人はどこから来てどこへ行くんだろう、な
どと考えさせられる結末部分でありましたね。荒野さん、お見事というしかないですな。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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