ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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水辺で読書
地球は水の惑星とよばれている。ヒトもそのからだの組成の60%以上が水分だ。地球上の生物にと
って水はなくてはならないものである。元始、生命は水のなかで誕生したという説もある。というわ
けでかどうか、水辺にはなにかヒトを落ち着かせるものがある。旅の途中にたちどまってひと休みし
たり、読書をしたりした。そこはちいさな沼のようなところだった。周囲は遊歩道が整備されていて
散歩する人たちもいる。ときおり水面は太陽の光をキラキラと反射させる。まばゆいながらもその方
向に注意がむく。水草越しに白い服をきた女性のシルエットが見えた。顔は見えない。ときおり下を
むいているようは動きをする。なにかを探しているようではない。だれかと話しているのか。そんな
姿勢で話すなどありえない。ちいさな生き物のような動きだけが感じられるのだ。いつのまにかじっ
とその光景に見入っていた。脳裏にうかんだのは、ホムンクルスがいるのかということだけだった。

N0344池の面

「脳のなかの万華鏡」 リチャード・E・サイトウィック&デイヴィッド・M・イーグルマン
                           山下篤子訳 河出書房新社 ★★★

世界をだれもがおなじように感じているわけではない。比喩的な意味でいっているわけでもない。あ
る人たちは共感覚(シナスタジア synesthesia)とよばれる特殊な知覚をもつ。たとえば文字を見て
そこに色を感じたり、音に色を感じたたり、形に味を感じたりするのだ。これらの人々は自分のこと
を特別だと思っていない。だれもがそうなんだろうと思っているので殊更に話すようなこともない。
なにかの拍子にそのことを知りおどろく。近年調査研究がすすんできてかれら共感覚者は思ったほど
少数ではないことがわかってきた。二〇〇五年にエディンバラのジュリア・シムナーたちが二つの調
査を行なった。その結果はどうなったか。
『この研究で、いずれかのタイプの共感覚がある割合は二三人に一人、書記素→色の共感覚は九〇人
に一人の割合で見られるという結果が出て、共感覚は当初に考えられていたよりもはるかに多いこと
が確認された。また、もっともよくあるタイプは、曜日に色を感じる共感覚で、その次が書記素→色
の共感覚だということもわかった。』
また別角度からみると、世のなかにあることばの比喩は彼らの実感そのものだ。非共感覚者といえど
もまったく別世界に生きているものではないかもしれない。
『匂いが味の知覚に大きな影響をおよぼすことを考えると、主として匂いを表現する言葉が、ほとん
どないのは皮肉である。匂いにかかわる言葉はほぼすべて、ほかの感覚からの借りもので、「甘い」
も、「鋭い」も、「はなやかな」、「清潔な」、「新鮮な」、「やわらかい」、「スパイシー」も、
みなそうだ。また匂いの用語は、「「花の香り(フローラル)」、「果物のような香り(フルーティ)
」、「かびくさい匂い」、「刺激臭」など、代表的な原因をひきあいにしているのが通常である。』
この共感覚というのは単にある形がある色などを感じるということではないようなのだ。
『多数派の共感覚者にとって、色を誘発するのは、ある書記素に固有の概念であって、視覚がとらえ
る形そのものではないということがあきらかになってきたと思う。』
概念だから、たとえばJであれば小文字でも筆記体でも同じ色が誘発されるということだ。形ではな
く概念なのだ。数字に色の共感覚がある人の場合、こんなこともある。
『6という数字が黒いインクで印刷されている。共感覚者はそれが黒だということは知っていて、実
際にも黒く見える。しかしそれとは別に緑も感じる。その緑の体験は不随意的である。それを内的に
体験する(緑が頭のなかに浮かぶ)人もいるし、色が位置をもっている(字のうえに重なっている)
人もいる。共感覚者は一般的に、「まちがった」色のついた字を見ると――たとえば赤を感じるのは
数字の3だけという人が、赤い6を見ると――落ち着かない気分になる。』
共感覚のなかには字に人格を感じたり、生きものではないものに情動特性を投影する共感覚者もいる
のだ。彼らは桃がおどおどしていると感じたり、バナナを一本、房からとるのにためらいを感じると
いう。なぜなら房からはずすと「さみしくなる」だろうと思うからだ。

「煽動者」 ジェフリー・ディーヴァー 池田真紀子訳 文藝春秋 ★★★
本作の主人公はキネシクスが専門の女性捜査官キャサリン・ダンスだ。このキネシクスとはなにか。
まあ簡単にいうと相手のボディランゲージから心理分析をするというものだ。相手が嘘をついている
かどうかを見きわめようとするときに注目すべき要素は三つあるという。非言語行動(ボディランゲ
ージ、またはキネシクス)、言語の様態(声の高さや話す速度の変化、答える前にためらうといった
反応)、言語の内容(発言の中身)。先の二つは、嘘やごまかしの判断指標として、最後の一つより
はるかに信頼度が高い。「何を言うか」は思いどおりに変えることができやすい。しかし、「どう言
うか」をコントロールするのは困難だ。その際にボディランゲージとして表れる反応も、意識的にコ
ントロールするのは難しい。だがなにごとにも例外があり、サイコパスと呼ばれるような連中はこれ
をいとも簡単にクリアしたりするから厄介だ。そのキャサリン・ダンス・シリーズの第4弾になる。
犯罪者はだれでも嘘をつく。だが、ボディランゲージや言葉の抑揚、一瞬のためらい、視線の動きな
どはコントロールがむずかしい。そこを判断するのだ。なにをつまり内容よりどうしゃべっていりか
を観る。しかし百発百中ということはありえない。ところで今回はダンスがいきなり失態を演じる。
そこで捜査本部から銃の携帯が許されていない民事部への移動を命じられる。そこで遭遇したのがナ
イトクラブが招いた人気バンドのライヴで起こった失火事件だ。火事騒ぎでパニックになった観客が
非常口に殺到するがトレイラーにふさがれて開かず圧死により死亡者もでる大惨事となった。調べて
いくと火事は起こっていなかった。火事をよそおっていただけだ。なぜだれがこんなことをと疑問は
つのる。さらに連続して関連していそうな事件が起きる。犯人の目的はなんなのか。パニックに陥る
人々をながめて快感を得ているのか。それとも、もっと別の動機が隠されているのか。ジェフリー・
ディーヴァー独特のストーリーが二転三転するうえにさらにまた逆転するという展開がまっているで
ある。上下二段組で491ページもある長編ミステリだから読みごたえもある。
『気にしないこと(レット・イット・ゴー)……』
文中にたびたびでてくるこのフレーズ、なにを意味しているのだろう。読んでいて気になる。そう、
気がかりがあるとミステリはおもしろいのだ。しかし最後の種明かしには、まったく参るのである。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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