ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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床屋で読書
思いたってそれまでの肩まであった長髪を切ることにした。ちょうど通りにあった床屋にはいった。
客が立て込んでいたので時間がかかりそうだがかまわない。ラックにあった旅の雑誌を手にとる。特
集は離島だ。離島か。この離とはどういう意味なのだろうか。しばし考えながらページを繰った。離
隔、距離、離島とことばがうかんでは消える。二点間の距離の最小は直線である。ユークリッド平面
ではという限定付きだ。空間のゆがみを考えなければ、と読んだことを思いだした。どういうことな
んだ。うまく想像できない。二次元平面、三次元立体、そして時空四次元。ああ、なにも考えること
ができなかった。思考をどこかへ放り投げたい気分だ。そのとき、お客さんと呼ばれた。散髪台に座
る。どうしますか。スポーツ刈りでお願いします。えっ、いいんですか。はい、バリカンでやってく
ださい。ブーンとうなる音とともにジョリジョリと髪が落ちていく。思いも同時に形をなくしていく。

N9609琵琶湖

「霜の降りる前に」 上 下 ヘニング・マンケル 柳沢由美子 創元推理文庫 ★★★★
2015年10月にヘニング・マンケルは亡くなっています。享年67歳でした。残念ですがしかた
ありません。警部クルト・ヴァランダーのシリーズ作品は世界的にも人気がある。マンケルの作品は
他のものもあわせて四〇〇〇万部以上が刊行され、四〇ヵ国語に翻訳されて読まれている。読んでみ
ればそのわけがわかります。さて本作だが、スウェーデン南部の町イースタの警察署に彼の娘である
リンダ・ヴァランダーが警察学校を卒業して勤務するが決まった。正式な勤務がはじまるまでは父の
アパートに同居することになった。そんな時期に友人アンナが行方不明となった。心配になったリン
ダはアンナの住んでいたアパートに入りこみ失踪した手がかりを探したりした。そのころ、イースタ
では動物たち、白鳥が子牛がそしてペットショップが焼かれる事件が連続して起こっていた。さらに
古い小道を研究している女性が失踪し、森のなかの小屋で惨殺されている姿が発見された。祈るよう
に組んだ手がそこには残されていた。胴体などはどこにもない異様な殺人である。なにか宗教的な意
味がうかがえたが詳しいことはわからない。まだ正式に警察官にもなっていないリンダだが知らず知
らすのうちに深く事件とかかわっていくのだ。そしてまた教会のなかで殺されている女性が発見され
る。彼女はなんとアメリカ人であった。数年前に失踪届けがだされていた。父親は彼女に言った。
『「警察学校で習わなかったか? 警察官はいろいろ思ってはだめなんだ。人伝てに聞いた話を信じ
たり、あり得ないと決めつけたりしてもいけない。警察官は真実を求める。だが、同時に、なんでも
あり得るという想定がなければならない。その中には燃える白鳥を見たという電話も含まれる。そし
て、それは真実であり得るということも」』
やがてリンダはあることに気がついた。事件にかかわっている女性はすべて中絶経験者だったという
ことだ。それがなにを意味するのかはわからない。宗教的なものなのだろうか。ここからは読んでい
ただくしかない。人はなにかに頼って生きるしかないのか。それが宗教の本質なのか。宗教的な狂信
に支えられた犯罪はときに世界を震撼させる。そんなとき、神は存在するのかと自問するのである。
ミステリは世相を映すものでもある。今後リンダを中心としたシリーズがと思うのだが、マンケルは
もういない。まことに残念である。

「骸骨考 イタリア・ポルトガル・フランスを歩く」 養老孟司 新潮社 ★★★★★
ヒトは亡くなると骸骨になる。その骸骨の扱いは日本と欧米ではかなりちがうようだ。前回の東欧の
旅におけるお墓や骸骨の話も興味深かった。さて、今回はフランス・イタリア・ポルトガルである。
カラー写真でみるヨーロッパの納骨堂や教会は迫力がある。骸骨を装飾(?)につかうのである。お
国柄なのだろうか。だがこれも案外身近でいいと思えるのである。日本では気味が悪いと思われる方
が多いかもしれないが、これはこれで趣がある。
『身体の一部である脳、そこから生じる多くの働きのうちの一つが意識で、その意識が母体である身
体を考えるのだから、「それで十分」のはずがない。でも現代社会は意識の世界だから、身体も意識
の中にあくまでも取り込もうとする。それが健康志向の根本にあって、だからサプリメントであり、
ジョギングであり、禁煙であり、ダイエットなのだろう。そういうことなら、まさに「意識的に可能」
だからである。意識的に可能であって、論理的かつ合理的なら、それが正しいことである。意識はそ
う主張するであろう。では身体はどうか。身体はなにを主張するのか。黙って生まれ、黙って育ち、
黙って死ぬ。その身体が意識を根本的に左右している。現代人はそこをどう思っているのか。という
より、歴史的にも、昔から、それをヒトはどう思ってきたのだろうか。そういう問題意識があって、
相変わらずの墓参りなのである。意識が身体をどこまで、どう把握できるのか、それはわからない。
だから実地に当たってみるしかない。身体の研究はつねに実地に戻ってしまう。身体は意識ではない
のだから、それで当然であろう。』
いつも養老先生の文章を読むと腑に落ちる。わかりやすいというと語弊があるが、理解にひっかかり
がないのだ。世のなかのことを理論式で理解したいという科学者の気持ちはよくわかる。わかるがで
きるではないとも思う。理解したいが理解できるに、理解できたに、変化・変形していくさまは理解
できないことではない。ちょっと笑ってしまう文章になってしまった。ことばは繰り返しを避ける場
合と、あえて少し変化させながら反復するおもしろさ楽しさがある。単純にこころよい響きを楽しむ
のである。それが実践できればいいのだがなかなかにむずかしい。ことばのリフレインは麻薬のよう
な効果をもつ。リズムもおなじ構造を持つのだろう。ヒトは快を求める。快は心的負荷低減をもたら
すから快なのだろうと思う。つまり、こころが楽な状態、ストレスを感じないということだ。養老先
生の文章はそんな快をわたしには与えてくれるのだ。
『現代の日本では、死に関する態度が混迷しているように見える。七十年前までは、そこには少なく
とも暗黙の了解があった。人生は自分のためではなかったのである。だから神風特別攻撃隊だった。
戦後はむろんそれが逆転した。自己実現、本当の自分、個性を追求するようになった。その典型はア
メリカの文化であろう。そのアメリカの脳科学がなにを見つけたか。ヒトの脳のデフォルト設定は社
会脳なのである。つまり一人でものを考えたり、集中して作業をする時の設定ではなく、だれか他人
の相手をするときに働く部分がはじめから活性化している。それは日常でもわかるはずである。もの
を考えている、あるいは集中してなにかをしているときには、話しかけられたら迷惑である。でもな
にもしておらず、ボンヤリしているときに話しかけられたら、「待ってました」であろう。新生児の
脳では生後二日目にはもはや社会脳の設定が見られるという。新生児にとって重要なのは母親以外に
ない。それなら脳ミソがはじめから社会的設定になっていて不思議はない。ものを考える能力は、お
そらくそれに伴って、偶然に、あるいはやむを得ず、発達してきたのであろう。その証拠に、霊長類
では大きな社会集団を作る種ほど、脳の発達がいいことが以前から知られている。
 その人独特の思想などというものはない。それは以前から指摘してきた。他人が理解しない限り、
どのような思想も定義により意味を持たない。社会脳がヒトの脳の前提だとすれば、それで当然だと
いうことになる。ヒトに伝えるために考えている。』
個性とはなにを言わんとしているのか。いまいちどじっくり考えてみる必要がありそうだ。そうすれ
ば個性を伸ばすなどという意見などでてこないかもしれない。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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