ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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校庭で読書
放課後の藤棚の下で友を待つ。なかなかやって来ない。空を見上げる。天は高い。鞄から本をとりだ
して読みはじめる。ときどき読むのをやめて考える。なにをかって。いろんなことをだ。いろんな人
のこともだ。どうしても思いは特定の人物に収斂しそうになる。そこをぐっとふんばる。なぜ踏ん張
るんだろうか。でないと、想いが突きぬけて空に飛散してしまう気がするからだ。だからぐっとこら
える。また本のページにもどる。活字のインクの黒がくっきりと見える。だが意味は読みとれない。
この字はなんて読むのかわからない。すこし焦る。どうしてしまったのだろうか。こんなこと、いま
までに経験したことがない。ひたすら目を凝らして見るが読み方も意味も浮かんではこなかった。ど
うしたものだろう。そのとき肩をたたかれた。ごめんごめん、先生に呼びだされて遅くなってしまっ
た。どうしたんだ。いや、この字なんだったかなあって。えっどういうこと、それは「愛」だけど。

N9881メダカぼっこ

「そこへ行くな」 井上荒野 集英社 ★★★★
「そこへ行くな」という書名を見て、まずどういうことなんだろうと思う。遊園地、ガラスの学校、
サークル、団地、野球場などいろんな場所が登場して、さまざまな出来事があり、世のなかはまわっ
ていく。ありえないと思えるようなことの連続で、逆にこうしたことが世間ではあり得るのかもしれ
ないと納得する。最後の病院は哀しいような複雑な気分になる。龍は中学生である。クラスに都心部
から転校してきた有栖川泉は僻地といわれる仲間関係にいる。つまり人ととの距離が遠いのである。
だからでもあったのか学校でいじめから足を骨折して入院している。たまたま龍の母親が入院して病
院とおなじだった。そこですこしずつ話すようになった。
『僕自身はそうしたいじめには加わらなかった。でも、その代りにべつのことをしたわけでもない。
僕は何もしなかった。どうしようもないことだった。どうしようもないことがこの世には起こるのだ、
と考えた。』
こどもは純真無垢である。こどもは残酷である。こどもはなにも知らない。こどもは世知に長けてい
る。すべては一面の真理だ。ものごとをすっぱり切ろうとする卑怯さ、まちがいに気づかない。気づ
くのが恐いのかもしれない。気づいてしまえば、その後の人生の苦難はいくばかりか。しかしヒトは
知りたいという衝動を抑えることができない。恐いもの見たさ、といえばいいのか。人は社会的な動
物である。ではその社会性とはどんなものだろう。これが多様性に富むのである。多くの人たちはそ
れを深く考えないで生活している。いやそうではない。うすうすは知っているだが知らぬふりを決め
こんで暮らしているのだ。無意識のうちにどうにもならないという諦観をいだいているのか。言葉に
できないことを考え続けるのには精神の強靭さが必要だ。ときに忘れたり、ふと思いだしたりしなが
ら生きている。だが、すぐれた小説家はそれを言葉で目の前に提示してくれるのだ。具体的な生活の
シーンを通じて表現してくれる。読むほうはときにそれをわが身の事情に変換・翻訳して読む。そし
てわが生活を家族をふりかえるのだ。家族の数だけの家族の形がある。どれが正しいとかということ
ではないと思う。だがなにが正しいかをも求めてしまうのが人なのかもしれない。

「騙し合いの法則 生き抜くための「自己防衛術」」 竹内久美子 講談社 ★★★
ヒト以外の生き物、哺乳類や鳥類・昆虫の生態を知るとなにか妙な感慨をおぼえる。虫嫌いな女性を
見ると、なんだか不思議な感覚に襲われる。どんな暮らしのなかで育ったのだろうか。ご両親はどん
な性格なんだろうか。その性格は遺伝的要素がおおきいのか。おおきなお世話であることはよくわか
っているのだが。地球という環境のなかにはそれこそ多様な生物がいる。戦略といっていいのかわか
らないがヒトから見て特殊な生態を示すものもいる。おもしろいと思うのだ。そういったことも含め
て毛嫌いする人がいることも知っている。いつも不思議な人だと感じる。生物多様性については理解
があるのだろう。でも、虫は嫌いと言うだろうな。残念である(笑)。すべての生き物は進化論的に
はつながっている。だから当然ながら、すべてのイギリス国民が英国王室とどこかでつながっている
ようにということでもある。だが王室などはけしからんというどこかの政党の意見もある。人はすべ
て自由で平等であるという。現実にそうなっていなくても理想としてそうあるべきと。それはさてお
き、多くの動物には序列、順位制がある。メンドリはきれいな一直線の序列をつくる。最下位の者な
どはエサにありつけるのが一番後回しだし、ほとんど残っていない場合さえある。それでもちゃんと
序列を守る。それは序列をつくっていたほうが皆が得をするから。いちいち争うと全員がくたくたに
なってしまう。最下位の者でも、ひとりでいるよりはエサにありつける点でも、捕食者から身を守る
点においても、はるかにましだからなのだ。人間がえてして考えるようにトップがすべて総取りとい
うようなことは起こっていない。序列を作らないものでも群れでいることはよくある。群れでいるこ
とで捕食者に対して皆で警戒できるし食べられる確率も下がるからだ。スズメはエサが塊だと黙って
ひとりで食べ、エサがバラバラにあるとチュンチュン鳴いて仲間を呼び、警戒のための要員とする。
『順位や序列というものには、結局のところ、優位がいいのか、劣位のほうがいいのか、よくわから
なくなってしまいます。
 ただ、ひとつ言えるのは、皆が同じように権利や自由を主張しあうと、社会は何かと効率が悪くな
る。しかし順位、あるいは秩序がある社会では、何かと効率がよく、皆が得をするということ。
 こうして順位や秩序をつくっていたほうが、むしろ極端な不公平のない、穏やかな社会が実現する
ようだという逆説的な結論に至るのです。』
なんだか人社会のほうが進化していないのではと思わせる。高度な社会性をもつアリだが、人間との
共通点がある。それは戦争をするということだ。
『ミツツボアリの隣りあうコロニーどうしは、兵力に大いに差があるな、とわかったときに、優勢な
ほうが劣勢なほうに、戦争を仕掛けます。
 結局、人間の社会でも、隣りあう国どうしの軍事力のバランスのとれた状態になっていることが重
要で、睨みあいによる膠着状態をつくることが戦争を防ぐための、一番有力な手段ではないかという
ことになるのです。』
常識的に考えればそういうことである。しかし、世界にはしばしば常識の通じない方々もいる。日本
も例外ではない。これも悲しいことにまた事実である。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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