ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
09 | 2017/10 | 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

読み休め
人と話すのと本を読むのとではどちらが好きか、といわれれば読書だと答えるだろう。
しかし少し考えてみれば分かるのだが、どちらかと問われたからそう答えたまでだ。
実際に生きていて、どちらかに判断を決めなければならないことはそう多くはない。
仮に行動をどちらかに決めたとしても、こころのなかでは割り切れないことがある。
だが、人ははっきりと断じる政治家やらなにやらに追随してしまう。
いま一度立ち止まり、頁を繰る手を止めてしばし考えてみることも必要かもしれない。

「男と女、二つの〝性〟がある理由」 奥本大三郎×長谷川眞理子 産経新聞社 ★★★
フランス文学者であり虫屋の奥本氏と、動物行動学者の長谷川さんの往復書簡集。
はっきりいって、いまひとつかみ合っていないというか、対談になっていない雰囲気だ。
それは御両人ともお分かりのようではあるが…。
やはり、奥本氏の話のほうがおもしろいのである。
『「ではシンポジウム、シンポジオンの語源を知っているかね。
シンも〝一緒に〟で、こっちはギリシャ語から来ている。シンフォニーのシンだね。
たくさんの楽器を一緒に演奏するからね、
で、ポジオンのほうは酒宴、つまりシンポジウムは、余興、談論などを交えた、
晩餐後の酒宴なんだから、酒を飲まないのは本来変なんだよ」』
こういう理屈っぽいところが好きなのは、私が男であるゆえなのかもしれない。

「学校のモンスター」 諏訪哲二 中公新書ラクレ ★★★★
いまの子どもたちはどんな考え方でいるのか、現場の教師であった諏訪氏は語る。
経済至上主義的な社会の中で、彼らも影響を受けずに育つわけにはいかない。
『近代人の「私」も意識、すなわち、「自我」は「こう思っている私」と同時に、
「こう思っている私を他人の目から見ている私」の二重性において成立するべきだ。
「こう思っている私」と「ほかの人は違った風に思っているだろうな、と思っている私」でもいい。
近代の国民教育はとりあえず「この私」と
「それを見ている私」から成る近代的個人(私)を成立させるためにある。
だから、「オレ様化する子ども」とは幼児的な全能感の残滓である「この私」のままで
社会を生きようとする子どもである。』
ある意味、子どもたちは現在の大人の鏡像でもある。
社会の価値観の影響を受けないわけがないのである。

「ゼルプの裁き」 ベルンハルト・シュリンク 小学館 ★★★
ナチス時代には検事であったが、いまは私立探偵をしている。
幼なじみの友から、会社のパソコンへ侵入した犯人調査を依頼される。
事件そのものは早期に解決するのだが、それとともに過去がふたたび別の様相を。
しかし、ナチスドイツの影はあらゆるところにおちている。
こんな一節にであって、あのフランクルの書名の意味が分かったりする。
『多数の負傷者は「夜と霧(もみけし)作戦」によって、
ルベンロン化工の療養病院に運び込まれたという。』
ゼルプは70歳になろうとしているのに、女性問題も起こしている。
やはり、日本人とは考え方・生きかたがまるでちがうもののようだ。
スポンサーサイト

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://moucheokuno.blog26.fc2.com/tb.php/530-db97d566
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリー