ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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雨想
肩凝りからきているのだろうか、歯が浮くように痛い。
机の前で、どうしたものだろうと思案していた。
こういうときに限って、別のことが脳裏にうかんでくる。

あのときも雨が降ってきたなあ、と思いだす。

島へ渡る若者だれもが好きだったおばさんが亡くなった。
もう四年前のことになるのか、といまさらながらに思う。
Kさんが癌で亡くなって、しばらくしてからのことだった。

みんながおふくろさんのように慕っていた。
家よりこの島につい足が向いてしまう、などと言う輩もいた。
そんな思いがあるからか、いまでも島へ帰ると言ったりする。
台所の戸をいきおいよく開けて、
「おばさ~ん」とおおきな声で挨拶をしたものだった。
「まあ、よく来たわねえ」と、いまでも聴こえてくる。

IMG_3301.jpg

『ハワイ語の「アロハ」はだれでも知っているだろう。
ハワイ語だけでなくポリネシアの島々で「アロハ」、
ときには「タロファ」ということばは共通してしばしばつかわれている。
そしてわれわれの大部分はこれを「歓迎」「ようこそ」という意味だとおもっている。
それにまちがいはない。

だが、じっさいのハワイ語のなかで「アロハ」がもつ意味はずっと深い。
そもそもハワイ語ではことばのことを「マナ」という。
日本の「ことだま」のようなもので、「神の力」ということ。
そして「アロハ」とは「神の心」といったようなことを意味する。
要するに「神聖なるとき」ということだ。
これに「オエ」がくっついて「アロハ・オエ」になると「さようなら」ということになる。
いや、「さようなら」よりもっと厳粛な別れであって「これでいよいよお別れですね」といった気分。
だから、お葬式での別離のことばも「アロハ・オエ」になる。』

   (「なんのための日本語」 加藤秀俊 中公新書より)

言葉には、なにげなく口にしているが、思いもよらない意味が隠されていたりする。
別れのことばは、いつもどこかもの悲しくひびく。

絶対忘れないからなどと、ぼくは言えなかった。
それは言うべき言葉ではなく、こころのなかで決意するべきものだ。
すぐに絶対と口にだす人間は、往々にしてそう言ったことを忘れてしまう。
なぜならあまりに多く言ったからだ、とパラドックスが教える。

しかし、いつかは忘れてしまうかもしれない。
それでもいいではないか。
決意したということがそれで消えてしまうわけではない。

否、消えてしまってもかまわない。
そんなことはこの意思とはなんの関係もないことだ。
ここまで書いて、ふと気づく。
あいかわらず理屈っぽいわね、とどこかで笑っているのだろう。
それでこそ、まさしく本望なのである。

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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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