ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
07 | 2017/08 | 09
S M T W T F S
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

気分たい
文章の書き方(文体とも言いますが)は読む(好む)本の種類などに影響されることが多い。
荘重な文章を評価する人は、自ずと書く文章もその風体をなしてくる。
軽妙な言葉づかいが好ましく思えれば、自然とそのような文を書くようである。
しかし、あるときは片目の運転手、またあるときはガード下の靴磨きというような場合はどうだろう。
社会的役割によって変化するのではなく、気分で文体が変わることもあるだろう。
生真面目な気分のとき、ユーモアがあふれて困るとき、などでちがってくるはずだ。
いい文章とはどんな文体なんだろう、とつい考えてしまうのである。
だが、いい文章とはなにを指すのか、と考え始めるとなにがなんだかわからなくなることもある。

「家日和」 奥田英朗 集英社 ★★★★
ありふれた(?)家庭のそれぞれ独立した話が六編で構成されている。
どこにでもあるようで、どこにもないような家庭が次々と登場してくるのである。
しかし奥田氏のユーモアは楽しくもあり、ほの哀しくもあるからいい。
『愛するものは、おとぼけとユーモアで、
近寄りたくないのは、ナルシシズムと冗談が通じない人たちだ。』
ではあるが、冗談のようで冗談でないのも困ることがある。
『「さあ、生き生きと。自分らしく」インストラクターが声を響かせる。
出た。自分らしくかあ。康夫が思うもっとも恥ずかしい言葉である。』
自分らしくは、単なる現状不満(努力はしなくても)の表明でしかないようだ。
『先進国のエコロジーは、衣食足りた人々の免罪符である。
環境をダシにして人の上位に立とうとする態度がどうにも臭う。』
これで儲けてやろうという魂胆がありありだったりする(二酸化炭素排出量取引がそうだ)。
『自分で言うのと他人に言われるのとは根本的にちがう。
自己懐疑のない人は、少しのことで怒り出す。
真面目な人ほど「傷ついた」とヒステリーを起こす。』
基本的に大きな声をだす人は、自分の非に気づいている(無意識にせよ)ようだ。
だからその声を消し去るためにも、大きな声を必要とするのである。

「死と生きる 獄中哲学対話」 池田晶子・陸田真志 新潮社 ★★★★
哲学者、池田晶子と獄中にある死刑囚、陸田真志との往復書簡である。
読後いつもとはちがって、睦田氏(二十七歳)の書いた箇所ばかりに付箋が貼られていた。
真剣に生きるとは、死とはなにかを考えている、とだれもが思うのではないか。
人は(私も含む)しばしばいつかは必ず死ぬことを忘れて(考えずに)生きている。
人を殺した経験を持つ睦田氏の書く文章には、深い内省からくる重みがある。
『逮捕されるまでの私は、人間ではない「動物」でした。獣といってもよいです。
殺人を犯した後も、金を稼ぐ事に没頭し、自分が殺人者である事さえ忘れようと努めていました。
人間としての誇りも、善も、正しさも、他者への優しさも全部捨て、
ひたすら利益を上げる事で、自分の精神を事実からそらそうとしていました。
そして、高額の金を得るようになり、私は逮捕され、やっと夢から覚めたように、
自分がやった事に対する現実感が、よみがえりました。
それまで、目をそらし続けていた「殺人」という現実が。』
そうした日々のなかで池田氏の著作に出会い、手紙を書いたことから始まる。
対話(といっても主に往復書簡)のなかで彼は次第に思索を深めてゆく。
『私の罪とは、厳密に言えば被害者の命を奪った事より、
彼らが彼ら自身の真実に気付き得た可能性を奪った事にあります。
人間がその自己の真の目的に気付く潜在能力を有している。
その事こそが万人に平等にある「人が人としてある」天賦の権利、「人権」であると思えるのです。
その為のきっかけと時間を、罪を犯した者に与えてくれる死刑制度は、
むしろ、非常に人道的であると思えるし、無理にその人間の罪悪を考えないようにする
少年法や人権派の方が、むしろ、非常に人の道を外したものであり、
その人間への「仁義」を見失っていると思うのです。』
こういう視点が死刑廃止論者や厳罰主義者にはないから議論がうわすべりになる。

「寝ながら学べる構造主義」 内田樹 文春新書 ★★★★
内田氏の著作は読んで分かりやすいだけでなく、その姿勢がいいと思う。
例えば、こういうことを書く人を私はあまり知らない。
『私がことばを語っているときにことばを語っているのは、
厳密に言えば、「私」そのものではありません。
それは、私が習得した言語規則であり、私が身につけた語彙であり、
私が聞き慣れた言い回しであり、私がさきほど読んだ本の一部です。』
率直であるし、それがだれの言説であろうとかまわないという気概がある。
出典を隠して(あるいは無意識にか)、さも自分が考えだしたかのように思う御仁も多い。
全体をながめわたせば、それがどこかからの借り物であることはすぐ分かるものだ。
『構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。
私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、
その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。
だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。
むしろ、私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に
「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。
そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、
そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、
私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。
私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、
実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、
という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。』
なるほど、構造主義というのがどういうものかよく分かりますね。
ふと、「サピア=ウォーフの仮説」(言語相対仮説)を思いだしていました。
人は生まれ育った社会、言語の枠内で考えるし、時代の空気にも影響されます。
ときに科学の世界で天才が云々されますが、ニュートンが言ったように、
「私がさらに遠くを見ることができたとしたら、それはたんに私が巨人の肩に乗っていたからです。」
ということでもあるわけですね。
スポンサーサイト

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://moucheokuno.blog26.fc2.com/tb.php/679-faf6d8f0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリー