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春眠の候

2009-05-01 | 23:07

気候が暖かくなってくると、なぜかそわそわするのは体内ホルモンのせいではない。
これといった用もないのに、どこかへ行かなくてはと思うのは体質のゆえだろうか。
ぽっかりと時間の空白があいたりすると、いつのまにか頭の中はどこかを旅している。
さわさわと風がわたる田の脇に立って、どちらへ歩いていったいいものだろうかと思案する。
やはり左かと考えたのは、かすかに幟が翻ったのが見えたような気がしたからだ。
店先の縁台に座って、ひと休みするのも悪くはないぞ。
そこの名物とかいう「瞑想のビール」とやらを所望しようではないか、と考える。
とたんに階下からの呼び声で、しばしの現実にもどるのである。

「〈私〉のメタフィジックス」 永井均 勁草書房 ★★★
私とはなにかを中心として、考えをすすめてゆくのだが難解だ。
問題が難解なのか、筆者の思考過程を理解するのがむずかしいのかが判然としない。
これはやはり私の志向が筆者とおなじではないということなのだろうか。
とかくに哲学書は読者を忘れることが多いようだ。
自らの思考のなかで苦闘するうちに、ひらめくものがあるのだろう。
だが、それをどう伝えるのか、伝わっているのかを考え合わせることが少ないのではないか。
こうしたことを世間知らず、というのであるが、哲学者はそれをよしとするのである。
言語をもってするしかない(書物であるから)ところが断絶の始まるゆえんだろうか。
哲学はなにもむずかしいものではないと思うのだが、用語の難解さは漢語由来だからか。
案外に和製漢語であり、本来の意味から逸脱していたりするのではないかと疑ってしまう。
外国語では日常語で書かれていると聞いたりするので、余計に疑うのである。

「心臓を貫かれて」 マイケル・ギルモア 文藝春秋 ★★★
これはノンフィクションであり、殺人犯の弟が書いた物語である。
『ひとつの物語を語りたい。殺人の物語である。
肉体の殺人の物語であり、精神の殺人の物語である。』
ゲイリー・ギルモアはユタ州で罪もない人々を殺したがゆえに有名になったのではなかった。
死刑を宣告され、上告せず死刑執行を望んだことはアメリカ国中のトップニュースになった。
なぜ彼がそういうふうになったのか、生い立ちから語られてゆく。
だが、ゲイリー・ギルモアは死を望んでいるようだった。
『誰かに死刑を宣告することはできる、でも生きることを宣告はできないのだ』
死刑制度というのはある意味矛盾をはらんでいる。
法においては人を殺すことを禁じているが、その法が死刑という殺人を容認しているのだ。
この物語を読めば、なぜギルモアが殺人にいたったのかすこしわかるかもしれない。
彼は自分を殺したかった、というのはすこし違う気がするのである。
生きることに絶望したのではないか、という感想はとめることができない。

「マドンナ」 奥田英朗 講談社 ★★★★
五編をあんだ短篇集である。
市井に暮らすふつうのサラリーマンの周辺にも事件がドラマがあるものである。
会社内の規則、代々うけついできた慣習を変えることはむずかしい。
なぜそれがおこなわれているのか、ほんとうのところは知ることができない。
それは長い時間のなかで本来の意味がうすれてきてしまっているからだろう。
裏金というのも、内部の人間にとっては必要であり、いけないという視点はないだろう。
『冒険しない人間は冒険者が憎い。自由を選択しなかった人間は自由が憎い』
いまや老いてゆく親をみることは子どもにとってはつらいことである。
一人暮らしの老人がみな孤独なわけではない、ということを知らなければいけない。
若いときにひとり旅したことのない人にはわからないかも知れない。
『一人でいる人間を「淋しい」と決めつけるのは間違っている。
アローンとロンリーは似て非なるものだ。』
いつも身近な問題にひそむドラマを丹念に書いている奥田氏に唸る。
「おぬし、なかなかできるな」
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Theme : 読んだ本。
Genre : 本・雑誌

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