ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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エリートへの道
テレビなど見ていても、司会者が彼はエリートだからなどという。
いったいぜんたいどこをもってエリートなんていうのだろう、と思っていた。

そしたら、森毅さんと養老さんの対談本に、こんなことが書いてあった。

『僕は先程、自分がエリートと呼ばれていたと言いましたが、
たしかに僕は、育ちからしてエリートだったと思います。
それは京大に行ったとか、東大に行ったとか、そんな問題ではなく、
もちろん家がどうだかという問題でもありません。
僕流の「エリート」の定義は、自分で責任をとることです。
つまり、教科書でいうならば、自分で選んだ本を自分で読むことです。
自分で好きなことをしたら、自分で責任をとるというのがエリートの条件であり、
旧制高校というのは、その意味でたしかにエリートだったと思います。』(森)

明治維新の志士たちはエリートであったかもしれない。
いまの日本ではエリートとは、たんに高級取りをさすの意しかない。
だから話のなかにエリートということばがでてきても話がかみあわない。

ヨーロッパあたりではずっと森氏のいう定義でつかわれているのであろう。
エリートとは選ばれた人たち(もちろん神から)なのである。
だから民衆を導き幸福にする責務がエリートにはあり、それがエリートの誇りなのだ。

現代日本の社会にはエリートがいないのだ、ということができるかもしれない。
そういえば、アメリカも日本と同じような社会にみえる。
というよりは逆であって、日本がアメリカ社会化しているということだ。

ほんとうのエリートがあらわれる日がやってくるのだろうか。
いまの教育では(つまり今現在の社会では)、無理なのではないかとやや悲観的である。
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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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