ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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不可知論
英語でのagnosticismを日本語では、不可知論という。
人はすべてを知りえるかと考えてみたときに、どうしても知りえないものが残る。
それは死後の世界(経験したという人もいるにはいるが、経験したということを証明はできない)、
神の存在(なかには私が神だという者もあるがそれも同様証明できていない)などは、
だれもが納得できるような客観的認識には到達することは不可能だ、とする哲学的立場のことだ。

用例としては、「ぼくは女性に関しては不可知論の立場をとるね(笑)」などとつかう。

そんな哲学のことなどわからないし、興味がないという人がいるかもしれない。
だが現実生活のなかでも、似たようなことにしばしば遭遇しているのである。

たとえば、こんな男女の会話を聞いたり(あるいは言ったり)したことがないだろうか。

「あなたは、わたしのことをちっとも分かってくれないのね」
「そんなことはないよ、よく理解しているつもりだ」
(男としては、理解しているが肯定するかどうかは別問題だという気持ちがある)
「いいえ、口先だけで分かろうとなどしていないわ」
(理解しているというなら、絶対服従行動がなぜとれないのかしら)

陳腐なステレオタイプである。
しかし、ここには実に男女(個人というべきか…)のちがいが如実にあらわれている。
女はことばの意味に恣意的な部分が多すぎはしないか。
男はどうしてそう衝突を避けようとするのだろうか。

女の立場からすれば、努力すれば必ず私の心情を理解できるはずだという思いがある。
さらには、(私の気持ちが)分からないのは努力が足りないせいにちがいない。
当然ながら、自分は正しいというゆるぎない認識があることはいうまでもない。
(これまた当然ながら、正しいとはなにかという設問自体が無意味である)
(私がルールブックだと言った審判がいたが、おなじような心理なのだろう)
(このあたりは原理主義かとも思うが、変幻自在なのかもしれない)

男は、どうすればいいのだろうか、としばし考える。
やがて水流るるごとくに導かれるのは、諦観でしかない。
おたがいに(というよりは、あなたは)理解できるはずだとする立場と、
人間同士わかりえないことはある、と考える立場では観る方向が正反対なのだ。
わかり合おうとする立場すらも、女からは不十分であると裁断される。
つまりは私(女)の言うことが正しいと認めよ、ということにほかならないと気づく。

いろいろと説明すること(それは雄々しい【女々しいは差別語】言い訳だ)は不要である。
ただ唯諾々と聞き入れていれば(あるいはそう思わせていれば)いい、ということになる。
だがそこには細心の注意が必要であることはいうまでもない。
面倒臭そうに(こういう男が多い)答えるというまちがいをしばしばおこすからである。
(こういった態度がさらなる怒りのエネルギーの点火につながることは否めない)

よって、男は秋の空のように変わりやすい女心の本質(?)は知りえないと結論づける。

3011男と女
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遠くに眺めるのも好きです。
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