ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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唯我論
デカルトの有名なことばに「われ思う、ゆえにわれ在り」というのがある。
ほんとうに存在するのかと問い続けたとき、万物はかならずしも存在するとは断定できない。
しかし最後には、この問いを発する自分の存在は疑い得ないと知ることになる。
だから、われが消滅(死ぬ)すれば、すべては存在しないに等しくなる。
存在そのものを認識する主体自体が存在しないのだから、「存在すること」の意味はない。
こいうふうに考えるのが唯我論(独我論ともいう)といわれる哲学の立場である。

ふつうはここにリンゴがあるといったとき、それはわたしがリンゴを見ているということでもある。
そして、わたしの認識とは無関係に客観的存在としてのリンゴがあるということを意味する。
ではあるが、唯我論はわたしの認識と無関係なものに意味がない、といっているのである。
(これは主観と客観との問題にもなるのだが、それはまた別の機会に)
あるいは、わたしの認識以前にリンゴは存在をするということを、わたしは証明することができない。
なぜなら、認識以前に存在するリンゴを認識するとは、論理的に矛盾するからであるというのだ。

1718昼の月

「ふーん、なんだか解ったようで分からないわね」
「そうだな、世界は自分がいてはじめて輝く、なんてね」
「なんだかジコチューみたいね」
「そう、見方が地動説的だともいえる」
「じゃあ天動説的だとどうなるの」
「そこには神がいて、すべてを差配している、ということになるのかな」
「もうすこし説明して」
「自己という主観に対比する、客観(神だな)をもちだしてくるわけだ」
「それもいまいち納得しがたいわね」

彼女がいなければ世界は意味がない、というときは唯彼女論とでもなるか(笑)。
いろいろと角度を変えてながめれば、もうすこし本質に迫れるのだろうか。

「たとえば、唯我論的に解釈すると浮気もこう論じることが可能だな」
「どういうふうになるの?」
「浮気をしているかどうかは、ばれたかどうかだと」
「ばれなければ、浮気をしていない?」
「ばれたとは認識されることだから、認識されないものは存在しない」
「なるほど」
「だからばれなければなにをしても、していないことと同じになる」
「愛されていても、愛されていると知らなければ、愛はないに等しいの?」
「ある意味哀しい(?)立場でもあるなあ」
「まったくロマンチックじゃないわね」

※もちろんフィクションである、念のため。
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この記事に対するコメント
新幹線男。
寧ろ勿論唯我論をしない方が人生を全力で生活出来るよ。
【2012/12/20 02:23】 URL | 電車男。 #mFJQ69R2 [ 編集]

たしかに
☆新幹線男さん

そうですね、もちろんしないということもできます。
人のかずだけ人生がありますから、それぞれです。
【2012/12/21 12:08】 URL | ムッシュ #- [ 編集]


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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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