ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
07 | 2017/08 | 09
S M T W T F S
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

読みかた
鹿島市は「かしまし」、鹿島建設は「かじまけんせつ」とおなじ漢字でも読みがちがう。
苗字もそうだな、山崎さんは「やまざき」か「やまさき」か、どちらだろうかと悩むこともある。
濁るのと濁らないのでは、声をだすときに相手への対しかたがおおいにちがうのだ。
またまちがえると失礼だとも思うと、余計にどちらだったか自信がなくなったりする。
人によってはそういうことに無頓着な方がいて、それはそれで気楽だなあと思うのである。
そんなこと気にしませんよ、とおっしゃる方がいると、すこし安心する。
いままで読んできた本のなかに書かれていた漢字でもまちがって読んでいることがあるだろう。
まちがいに気づきもしないでいたのだ、と考えただけでも背中を冷や汗がおちてゆく。

2757燈明

「警視の孤独」 デボラ・クロンビー 講談社文庫 ★★★★
ひさしぶりにスコットランドヤード勤務のキンケイド警視シリーズを読む。
いまでは警部補になったジェマとそのこどもトビー、そしてダンカンの息子キットとの四人暮らしだ。
事件のことよりも、一家の行く末が、キットのことが気にかかるのである。
ジェマの友人のエリカはもう九十代だが機敏で独立心が強く、頭がよく切れて好奇心も旺盛だ。
彼女は将来の進路に悩むキットにこう語りかけるのである。
『「でも、いろんなことに興味があることはいいことよ。筋道立ててものを考えることができるわ。
それに、現代の社会が直面しているいろんな問題は、いくつもの考えを総合したり、
昔ながらの慣習にとらわれずにものごとを考えたりすることができる人たちにしか、
解決することができないと思うわ」』
連続放火事件やら殺人事件があり、行方不明のこどもも登場するの展開のなか人は生きる。
章立てごとに挿入されるディケンズのことばがなかなかいいものだ。
『どんなに悲しんでも、折れた骨は治りはしない。
いい人だってめったにいない。だったらこの状況をせいぜい楽しむがいい。
 ―チャールズ・ディケンズ「ボズのスケッチ集」より』
次回作でははたしてキットはどんな生き方を選んでいるのか、興味深いものがある。

「だます心 だまされる心」 安斎育郎 岩波新書 ★★★
「だます」には、なだめるというのと、ほんとうでないことをほんとうと思わせるという意味のふたつある。
本書で書かれているのは、この後者の意味である。
なかでもおもしろいには、超能力とか霊感とかよばれるたぐいのものである。
一般人も考え違いをしていることに、科学者はそのウソを見抜けると漠然と考えていることがある。
どちらというと世間知らずの科学者のほうがだまされやすいしのである。
そのうえ、自分がだまされていることにも気がつかないという二重の凡庸さがあるのだ。
『人間は「理性的動物」と言われますが、「人間は理性的だからだまされない」というのは、
根拠のない信念に過ぎません。
ある意味では、「人間は理性的だからこそだまされやすい」のです。』
ものごとがすべて理性で片がつけばこの世のなかもずいぶんと住みやすくなるだろう。
超能力者とマジシャンのちがいは、本人の申告によるものである。
眼前でおこなわれた信じがたい行為は、はたして奇術か超能力か判断できるだろうか。
また、マルチ商法は時代の衣装をまとい、手を変え品を変え消え去ることはないようだ。
『「人々に欲望がある限り、私らは困りません」―ベテラン詐欺師は、そう言います。』
確かにそう思えるところが、人間の弱さ、強欲さを示しているといえるだろうか。

「小説ブッダ ―いにしえの道、白い雲」 ティク・ナット・ハン 春秋社 ★★★★
シッダールタ(悉達多)とは、みずからの目的を成しとげるものという意味がある。
このお釈迦さんのシッダールタという本名もヘルマン・ヘッセの小説を読んで知った。
だがヘッセはドイツ人で、アジア人とは捉えかた感じかたがちがうとこの小説を読んで思う。
『比丘たちよ、教えとは単に真理を説明する手段にすぎません。
教えを真理そのものととり違えてはいけないのです。
月を指し示す指は月ではありませんね。
月がどこにあるかを知るために指が必要ですが、指と月そのものをとり違えてしまったら、
永遠に真実の月を見ることはできません。』
つまり、真理とは自分で到達するものであり、だれかに教わるものではないということ。
だから、だれかの教えを信じてそれで事足れりということではない。
こういうところが、仏教と他の絶対的存在者をいただく宗教とはちがうところだろうか。
『物質的存在は(色)もまた意識の対象のひとつです。
意識の主体と客体は、ひとつの現実のふたつの相にすぎません。
意識の対象のないところに意識はなく、
意識と意識の対象はおたがいに独立して存在することはできません。
意識の主体と客体がわかちえないのですから、両者は心から生まれるといえるでしょう。』
このあたりは実感として、すこしむずかしいかもしれない。
『<空>は非存在ということではありません。
何ものも独立しては存在しないという意味であり、他と切り離された個別性、
<我>がないということです。
みんながすでに知っているように、『ある』と考えるのも、『ない』と考えるのも、
どちらも間違っています。
すべてのものはたがいに依存しあって存在しているからです。
かれあるがゆえにこれあり。かれなければこれなし、かれ生ずればこれ生ず。
かれ滅すればこれ滅す。このように、空の本質は相互依存的な存在なのです。』
これを読んで、なぜかアインシュタインの相対性理論を思いおこす。
人間は絶対的なものを考えるゆえに、神を求めてやまないところがあるようだ。
M島のおじさんに読ませてあげたかった本であり、それがかなわないのが残念な気がする。
スポンサーサイト

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://moucheokuno.blog26.fc2.com/tb.php/840-db00f8eb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリー