ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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個読主義
本を読むということは、いやがおうでもひとりですることになる。
図書室などでおおぜいのなかで読むとしても、読む行為はひとりである。
ひとりが好きだとか人間関係がわずらわしい、ということではないがそう誤解されることもある。
静かに本を読んでいると(騒々しく読むということは難しい)、気取っているといわれたりする。
あえて反論ではないが、気取っているというあなたも本を読んで気取ればいい、と思う。
読むことが苦痛であるというならば、たぶん考えることも苦手だと思っているのかもしれない。
わたしなど考え深くもないしという人は、考え深くないということを是とする考えをいだいている。
さらに考え深くあったってどうなるのだ、という功利的な面で人生を考える人なのだろう。
なにも考えないで生きる(無念無想?)とは、およそ凡人にできるようなことではない。

2729葉たち

「ひとり暮らし」 谷川俊太郎 草思社 ★★★
だれでもひとりやふたりぐらいの好きな詩人がいると思う。
そのきっかけは偶然のなせるわざであり、だれかの口の端にのぼる一言であったりしただろう。
谷川俊太郎はわたしたちの生きる時代精神をあらわしている詩人のひとりだと思ったりする。
『財産を失うことを恐れる大金持ちと、何ひとつ所有せず道ばたに生きるものぐさ太郎と、
そのいずれにゆとりがあるのかと問えば、軍配はものぐさ太郎に上がるだろうが、
いざものぐさ太郎になってみよと言われれば人は誰でもためらう。
今の世界が物と金で人をがんじがらめにした上でなければ、ゆとりという言葉を持ち出さないのは、
欲に目がくらんだ人の弱みにつけこむのが商売の秘訣だと知っているからだろう。』
若いころのなにがなんでも理想に向かっていなければならない(思い込みと無知によるか)から、
生きる時間は有限なんだということを身にもって知る年代になれば、理想論はある意味むなしい。
理想を捨てよというのではない、なんでも反対というのは責任感がないか負うことをしないのだ。
ある程度の人生を生きてくれば、ものの見方も変わる。谷川氏もあとがきにこう書く。
『ひとりで暮らすようになってから人と会う機会が多くなり、新しい友人にも恵まれた。
友人たちと旅をしたり映画を見たり、酒を飲んで馬鹿話をしたりするのは、
ひとりでいるのとはまた違う楽しさだ。』
さもありなん。

「無限のパラドクス」 足立恒雄 講談社ブルーバックス ★★★
無限ということを考えるとき、かならず零の発見のことを思いだすのはなぜだろうか。
ゼロと無限は、おおいなる人類の英知の到達した概念ではないかと思う。
いうまでもないことだが、ゼロとなにもないということはすこしちがう概念だということがおもしろい。
どうしておなじじゃないかという問いに対しては、10という数字のゼロをよく見て考えてほしい。
無限もおなじことで、単に限りがない、いつまでも続くということではないということが分かるだろう。
『ガリレオは「静止は運動が無限に遅い状態である」(「天文対話」)とはっきり述べている。
そして「静止の状態からある速さに至るまでの無限のあらゆる速さを有限の時間内に
通過できるのは納得できない」というザグレドの、そして現代でも一部の哲学者が持つ
疑問に対しては、「短い時間の中にも無限の瞬間が含まれていて、速さの一つ一つに
ある瞬間を対応させることができる」のだと(これに関してはアリストテレスと同意見で)
適切に答えている。』
無限の世界における有限なる自己の存在を、ときには思ってみるのもいいものだ。

「水洗トイレは古代にもあった」 黒崎直 吉川弘文館 ★★★
聞きなれないかもしれないが、「トイレ考古学」というれっきとした学問分野がある。
人が都市をつくって暮らすようになると、そこには必ずトイレの問題が発生する。
「トイレ」を意味する語彙には多くのものがあり、その字を見るだけである程度想像できる。
かわや(川屋・河屋・厠・廁・厠殿)、ひどの(樋殿)、
おんよそおいものどころ(御装物所)、いんじょ(隠所)などと。
建物もすでにない遺跡で、ここにトイレがあったとどうして知ることができるのか。
トイレ遺構の判定には、寄生虫卵分析を中心とした堆積土の自然科学的分析が有効である。
こうした目に見えない微細な遺物をとおして、古代のトイレの所在を知るのである。
むかしだからといって、かならずしも劣っていたということはできないのである。
『かの宣教師ルイス・フロイスが感嘆した、その自然に優しい合理的なシステムも、
化学肥料と水洗トイレの普及によって、現代では失われてしまった。
そこにまたウンチをめぐる新たな環境汚染問題が生じている。
ウンチに関わるもろもろの課題は、決して過ぎ去った昔の環境問題ではなく、
現在を生きる我々が直面している重要な課題である。』
江戸時代の農業はまさに循環するエコロジーを実現していたのであった。
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遠くに眺めるのも好きです。
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