ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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当世漢字事情
尊敬してやまない高島俊男さんの文章にこういうのがある。
『概して、無知なひとの書いたのほど漢字がおおい。
これは機械で文章を書くようになってから生じた奇現象である。
むかしから無知無学の輩は、なんでも漢字のおおい文章が上等の文章だとおもいこんでいる。
かなを書くことをはじる。かなのおおい文章を書いたら漢字を知らないとひとにわらわれる、
という強迫観念がしみついているのである。
だからポンとたたいてとにかく漢字にする、それもなるべく漢字の多い変換をえらぶ。』
なかなかに頭の痛い指摘であり、納得するところも多いものだ。
パソコンが自在に変換するのであるから、もともとの出典、成り立ちを知らなくても漢字をうつことができる。
でもって上等な文章にしたつもりが、ますます無知をさらけだすというような事態にもなるのである。
あるいは、熟語を見てなんとなく意味は推察するが、読みまでは知らないことも多い。
だから、いざつかおうと思って打つが、いつまでたってもその漢字に到達できないという悲劇がおこる。

3053庭に来る蝶

「誰かに見られてる」 カレン・ローズ 文春文庫 ★★★
シカゴ検事局の検事補クリスティン・メイヒューは31歳だが独身である。
彼女の有罪判決獲得率は検事局随一で、敏腕検察官として世間ではとおっていた。
だが、有罪確実とされた事件でも陪審員裁判ではしばしばその結果はくつがえされてきた。
極悪非道なレイプ犯や小児性愛者が裁判で勝利し、のうのうと生きているのが現実だ。
ある日彼女の車のトランクに「あなたのつつましい僕(しもべ)」からのケースが入れられていた。
三つのケースにはそれぞれ衣服と死体を写したポラロイド写真つきの封筒が添えられていた。
この犯人は犯罪者、さらには被告弁護人、偏向した判決をくだした判事までをも殺していく。
シカゴ警察殺人課刑事のエイブ・レーガンとともにメイヒューは正体をもとめて捜査を続けていく。
テーマ的には法の裁きを逃れた犯罪者らを正義の名の下に殺していくという、よくあるものだ。
しかし、私的な裁きを許すことは法を無力化することにもつながっていく。
小説のなかではだれが悪かということは比較的わかりやすいが、現実社会ではそう簡単ではない。
このテーマは読後に、すっきり感となにかわりきれないものをいつも残していく。

「散歩の昆虫記」 奥本大三郎 幻戯書房 ★★★★
虫が好きだ、という人がなんとなく好きなのである。
もちろん、虫好きに悪い人はいない、などと原理主義的な思いこみもない。
奥本氏のひょうひょうとした文章や、ものの感じかたがいいなあと思えるのである。
それに博学にささえられた意見はいつもなるほどと納得できる。
『たとえば、イタリア料理からトマトがなくなったら、そして韓国やタイ料理からトウガラシが消えて
しまったら、あるいはドイツ料理からジャガイモを取ってしまったら――そんなこと、とても考えられない、
そうなったら我が国の料理じゃなくなる、と、これらの国の人々は言うであろう。
しかし、トマトもトウガラシもジャガイモも、すべて新大陸からもたらされたものであるから、
コロンブス以前、いや、その後二百年ほど経ってそれらの作物が普及するまで、イタリア人も、
韓国人やタイ人も、ドイツ人も、今とはまったく違った食事をしていたのである。
大昔からの習慣で、その国の本質のように誰もが思い込んでいることでも、
案外その歴史は新しい、ということがある。』
こういう視点がない人は原理主義にかたむきやすいのではないか、と感じるのだ。
虫を好むということは絶対的にならず多様なものを認めることだ、とは虫がよすぎるか。

「ネオネニー 新しい進化論」 アシュレイ・モンターギュ どうぶつ社 ★★★
最近わりあいと知られるようになったことば「ネオネニー」である。
『幼い形のまま成長する過程をネオテニー(幼形成熟)、または幼形進化(ペドモルフォシス)とよぶ。』
だが専門家とよばれる人たちで誤解しており、その最たるものは幼児化と混同していることである。
『この語の意味するところは、幼児や胎児にみられる特徴が、成人にも保存されている、ということである。
ネオテニーという語はまた、発育の速度の低下や、
さらには生まれ老いる過程での諸段階が延長されることにたいしても、もちいられる。』
では、ぞのネオテニーによってどのような変化、効果があらわれるのかということになる。
『多くの女性が、老年にいたるまで幼児的な声を維持する。幼児的な声を保つことは、
彼女たちが“かわいい”と感じる女性が幼児的印象を与えるということの産物であると考えられよう。
この種の幼児的な声の女性がメロドラマ、映画、
テレビのコマーシャルに登場する頻度から判断すれば、これは女性だけでなく男の好みでもある。
おそらく、成人女性にみられる幼児的な声は、人為的に維持されたネオテニー的もしくは幼児的性質で
あろう。このようなものに魅力を感じるというのは、依存性の強い赤ん坊がもつ魅力――
すなわち、かわいらしさ、弱々しさ、傷つきやすさ、そして保護を必要としていることなどにたいして、
私たちが反応しやすいということや、またそれが大人の声でしゃべる者に“優越感”をもたらしやすい
といったことなどが、その背景としてあるように思われる。』
といったことを筆者は述べているのであるが、どう判断するべきだろうか。
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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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